学び直し体験記① ~社会人Dr. 編
前回の記事で、キャリアチェンジをしたお話を少し書いてみました。
書きながら過去の事に思いを巡らせるうちに、どんどんその記憶が薄れてあいまいになってきていることに気づきました😱
そこで、せっかくの経験なので、自分のための忘備録というだけでなく、「学び直し」や「キャリアチェンジ」に挑戦してみたい!と考えてらっしゃる方々に少しでもお役に立てれば・・・とnoteに書き残す決意を固めました。
ここで、私が経験した「学び直し」とは・・・
今回は第1章『会社に通いながら博士号習得』編についてご紹介したいと思います。
前半の1)と2)は個人的な話なので、興味がない方はぜひ3)だけでもご覧いただければ幸いです🦩
1)博士号取得を目指すに至った経緯
① 少女時代の夢
今から30年程前のこと。
まだ小学生だった私は、母親の日々の言動&こどもエコくらぶやガールスカウトの活動経験から、環境問題に興味を持ちはじめました。
また、幼い頃から「魔女(魔法使い)」に憧れていて、それを現実とする一つの方法として「化学」というものに興味がありました。
これら2つが、中学 ⇒ 高校と年齢を重ねる中で熟成されていき、高校を卒業する頃には「環境にやさしい素材を開発する研究者になりたい!」というのが夢になっていました。
そこで大学受験では、材料開発に携われそうな学部学科(工学部)を選択。
数学どころか2桁の足し算・引き算すらあやしい私でしたが😅、「Where there's a will, there's a way(意志あるところに道はある)」が座右の銘だった私は、自分のお尻をペンペン叩いて、最終的には一浪までさせてもらって(お父さんお母さんごめんなさい😭)、なんとか志望校に合格!
晴れて大学の門をくぐることができた日、「よし、これから短くて4年、長くて9年、この大学で頑張るぞ!!」と心に誓いました。
そう、この「長くて9年」というのが「博士課程を卒業する」という意味です。
この時点ですでに、できれば博士号を取得したい、と考えていました。
② 大学で研究室に入って
さて、そんなこんなで夢に向かって着実に進んでいた私。
学部4年生になってようやく研究室に配属になりました。
憧れの研究生活🧪
メンバーにも恵まれて楽しいこともたくさんありましたが、一方で自分の研究者としての才能に疑問を持ち始めることに・・・
最大のネックが、物理・数学の素質がないこと。
これまではにかく「努力!根性!!最後は友達に頼る(笑)!!!」で物理数学に関する科目を乗り切ってきましたが、やっぱり化学は反応速度や熱力学と切っても切れない分野。
基礎研究の分野で研究者としてやっていくには、その辺りをしっかり理解できないと新しい合成反応を考え出すのは難しい。
修士課程まで進ませてもらいましたが、その先博士課程に進むのは諦めることに。。
すっかり自信がなくなっていたので、就活を始めた頃は研究職で就職するということ自体にも迷いがありましたが、
ここまで両親に支援してもらったのだから、ひとまずは大学&大学院で学んだ経験を活かせる仕事につかねば、と思った
大学(基礎研究)と企業(実用研究)では同じ研究職と言っても必要なスキルが違うかもしれない…とひそかに期待した
・・・の2点から、研究職の道を選ぶことに。
ずっと夢として貫いていた「環境にやさしい素材の開発」を軸に就活し、無事にとある製造会社に就職が決まりました。
③ 入社して
会社での採用は「技術系 総合職」という枠だったため、入社するまで研究所に配属になるのか工場で生産管理に携わるのか判りませんでしたが、運よく研究所に配属されることに。
そして、幸か不幸か研究所内でもっぱら「厳しい👹」と評判の上司のチームで働くことになりました。
実際、その上司の方は厳しかったのですが、理不尽に厳しい訳ではなく部下に対する熱い思いによるものでしたし、何より、ご自身も会社勤めの傍らで博士号を取得するなど研究者としてのプロ意識が高い方でした。
そのおかげで、入社2年目から社内外で研究発表したり、その分野の専門誌(学会雑誌)に投稿するための指導をしていただけたりと、他の同期よりも断然恵まれた「研究生活」を送ることができました。
そしてその上司は事あるごとに「博士号に挑戦してみないか?」と声をかけてくださり、その度に私は「考えておきます~」と右から左に受け流していました(後から聞いたところによると、先輩たちも同様に声をかけられていたようです笑)。
④ 「若手」から「中堅」になって
そんなこんなで忙しい会社(研究者)生活を送っている内に、気付けば「若手」でなく「中堅」と呼ばれる年代になっていました。
中堅になって考え始めることが「この先どのようなキャリア計画で会社人生を送って行こうか」ということ。
「総合職」として会社に雇ってもらっている以上、ずっと研究所に居られる保証はなく、各地にある工場に勤めることになるかもしれないし、本社勤めになる可能性も十分ある。
特にその当時は、管理職になっても研究を続けている女性はほとんどいらっしゃらず、本社 or 同じ研究所勤務でも「知財部」と呼ばれる特許を扱う事務部門に異動になる例が多数を占めていました。
(もともと女性が少ない職場で、そこからさらに管理職になるまで勤め続ける人も少ない、というのがその時の実状だったということもあります。)
事務作業をしたり、コミュニケーション能力が第一に求められるような仕事をしたりするのが苦手な私としては、なんとかして研究職で仕事を続けたい、さあそのためにはどうしよう、と頭を悩ませることに・・・
⑤ 「Dr.」と結婚して
仕事でそのような悩みを抱えていた頃、私生活では結婚という大きな節目がありました。
そしてその結婚相手は、図らずも「理系の博士課程を修了し、海外でポスドクの経験をした後、公的な研究所に勤めている」という、バリバリのDr.でした。
この「Dr.と結婚したこと」が、のちの自分を後押しする要因になるとは、結婚当初は考えてもいませんでしたが・・・
⑥ 上司に再度「博士号どう?」と誘われて
そんなこんなで今後の人生設計に考えを巡らせ始めていたところ、例の上司から再度「博士号どう?」と声をかけていただきました。
これまで何度もいただいた「博士号どう?」の言葉でしたが、今回明らかに違ったのが「自分(上司)が博士号を取らせてもらった研究室の教授が来年度いっぱいで退官になるから、このつながりを活かすならこれがラストチャンスだよ」という言葉。
そのお言葉に加えて、ちょうど携わっていたプロジェクトが波に乗ってきて少し心の余裕が出てきていたこと、今後研究職を続けていくためには研究者としてスキルアップしておいた方がいいと思ったこと、さらには博士号を持った夫が応援してくれるという心強さが後押しして、ついに「チャレンジします!」と回答するに至りました。
2018年、入社9年目の秋でした。
2)いざ、博士号取得に挑戦!その記録
① 打合せ(2018年11月)
以上のように上司に仲介いただいて、教授のところに挨拶に伺ったのがまず第一歩目。
その打合せで決まったことは・・・
<1>課程博士(大学に籍を置き、教授の指導のもと研究&論文執筆を行う)ではなく、論文博士(大学には籍を置かず、独自に複数本の論文を学術誌に投稿した上で、それらを包括するような博士論文を書く)で博士号取得を目指す。
<2>論文についてはすでに投稿済みのものが2本+どのみち投稿しようと考えていたものが1本あるので、それにプラスして最低1本執筆する。
<3>その論文は海外の雑誌に寄稿する(=英語で書く)。
<4>国内の学会発表件数はそれなりにあり、海外でもポスター発表はしたことがあるので、あとは海外で口頭発表した実績が欲しい。
<5>博士論文は来年(2019年)11月~12月を目標に提出する。
つまり、
・・・という、泡を吹きそうなスケジュールが決定した訳です。
もちろん、会社の仕事は普通にこなさなければならないので、これらの作業の大半は休日に行う訳です😿
ちょっと泣きそうになりましたが、自分で決めたこと。
なんなら1年で終わると思ったら気が楽でいいや、と思うことにしました。
② いろいろこなした2019年
やる、となったらしっかり計画を立て、それを完遂させられるのが私の数少ない特技。
上記の鬼スケジュールをなんとかバラけるように配置し、2019年末には博士論文を完成させることを目指しました。
先生や学会とのやりとりは全て会社のPCで行っていたため、会社を辞めてしまった今となっては正確な日付が手元に残っていないのですが、実際に、
✓ 日本語の論文 ・・・2019年夏頃には投稿
✓ 英語の論文 ・・・2019年冬頃には投稿
✓ 英語で口頭発表 ・・・2019年10月に実施
・・・と、なんとかかんとかミッションクリア。
もちろん休日は1日もありませんでした。
(思えば、入社3~4年目の2年間も学会発表や論文投稿に追われ、平日は仕事、休日は発表 or 論文準備をしてまったく休めなかったので、その悪夢が再び…といった感じでした。)
そして、さあ残すは博士論文&その審査のみ!
となったまさにその時。
なんとまあ、コロナが世界を襲い始めたのです👽
③ 状況が変わった2020年
コロナで世の中がパニックに陥りつつある中、淡々と博士論文を書き上げ、なんとか最終締め切りだった1月末までには仕上げました。
しかしその先「コロナで人が集まれない=審査会が開けない=論文を審査できない」という事態に・・・
え~元旦すらいつもと変わらずに執筆作業したのに。。
夫にも英語の翻訳手伝ってもらったりしたのに。。
もう泣くしかありません😭😭😭
さらに、これは2019年中に起こったことではあるのですが、私の中で究極の変化が。
それは「会社を辞めると決意」せざるを得ない状況になったことです。
原因はいろいろ複雑にあるので、詳しくはまた別の機会にしたいと思います。
そんな状態で(2021年春に退職してやる!と2019年秋に決めちゃった状態で)モチベーションを維持していくのは本当に困難でした。
それでも、いつになるか分からない審査に備えて、博士論文の手直しやら海外雑誌への論文投稿の修正やらをチマチマ続けなければならないという、精神的苦痛MAXの2020年でした。
④ ようやく決着がついた2021年
そんなこんなでいつの間にか2021年が目前になろうかという頃、教授から「オンラインでの審査会が認められるようになりました」との一報が。
オンラインでできるなら、2020年中にして欲しかったな~とちょっと恨めしく思いましたが、当時は体制や設備が整っていなかったから仕方なかったし、1年プラスされたことで論文の精度も上がったのでヨシとするしかない。。
以下、日付の記録。
<2021年1月5日>
年明け早々の公聴会。平日なので当然年休を取って対応。
(それにしてもまさか2年連続「休めないお正月」を迎えることになるとは(苦笑))
メインで審査して下さる担当の教授と、その先生の研究室に関連する学生さんに向けてオンラインでプレゼン。
いくつか質疑をいただき、淡々と終了。
<同年1月7日>
またまた年休。
午前中に大学に赴き、専門分野(と英語もだったかな?)に関する筆記試験を受験。
午後はいよいよ審査本番。
先日の公聴会とは少し内容を変えて挑む。
担当の教授に加えて、同大学で関連分野がご専門の先生2名と、私の大学時代の恩師2名(大学もご専門も違う)の計5名に向けて大学の研究室からオンラインでプレゼン。
質疑応答後、私だけ退室して審議が行われる。
しばらく経って、担当教授より直接「合格」のお言葉をいただく。
大学を出て駅に向かう途中、脚に力が入らずその場に崩れそうになる。
本当は泣き崩れたかったのを必死に抑えた。
人間、力を出し切った後に安心すると、立ってられなくなるということを初めて実感した瞬間だった。
<同年1月末>
審査を受けて修正した博士論文を大学の窓口に提出しに行く。
併せて、審査料16万円を納める。
<同年3月某日>
学位授与式。
「式」と言っても、担当教授と、その研究室のアシスタント2名と、私と母の計5名だけが参加者で、「学位記」と言われる証書をいただいただけの簡素なもの(@研究室)。
証書をいただいた後、その担当教授に今月中に会社を辞めること、研究職ではなく工芸の道に進むことにしたことを伝える。
審査をしてくださった他の4名の先生にも、お礼の挨拶と一緒に同じことを伝える。
なんとも後味の悪い終わり方・・・
3)博士号取得に関するまとめ
論文博士として博士号を取得した経験について、以下にまとめてみます。
(注:論文博士でも課程博士でもおなじ「博士」で、現状、肩書に違いはありません)
① 研究にかかった時間
「研究にかかった時間 = 博士論文に記載した実験結果を得るのにかかった時間」とすれば、約9年間となります。
② 論文完成にかかった時間
"博士論文" としてまとめるのにかかった時間は1~2年ですが、それまでに書いた論文の存在も実際には審査の対象になるので、それを加味すると、「3~4年分の休日+α」となります。
③ 取得のためにかかった費用
審査料が16万円で、完成した博士論文を製本するのに2万円程度、その他交通費などの雑費が2万円程かかったので、合計20万円強といった感じでしょうか。
これが課程博士となるとケタが変わってくるので、そういう意味ではお手頃かなと思います。
④ 博士号を取得して良かったこと
<自力で研究する力を養える>
日本で研究職として企業に就職しようと思うと、「修士卒」であることが最低条件となることが多いです。
それは、大学の学部4年間のうち実際に研究室で学べるのは1年前後と非常に短く、研究者としての素養を身につけきれていないのではと考える人が多いためだと思われます。
しかし実際に修士課程の2年間で習得できることも、最低限の研究スキル(実験操作、論文調査の仕方、発表の仕方、論文の書き方)を教授や先輩Dr.の実験計画に基づいて学べる、という位が限界で、「自分で研究テーマを見つけ出し、それに対してのアプローチも考える」というところまで到達するのはなかなか難しいと感じます。
その辺りを身につけようと思ったら、やはり博士課程以上を目指す必要がある。
私の個人的なイメージでは、
「修士を卒業する = 富士山を登りきる」
「博士を卒業する = 雪山を登りきる」
・・・という感じの違いです。
修士はとにかく頑張って取り組めばなんとか乗り切れる(場合が多い)。
博士は専門的な訓練をしないと乗り切れない。
※研究室の厳しさや、本人の取組み方&素質によって感じ方は様々と思うので、あくまでも個人的な見解として受け止めてください🙏
企業の「研究」と大学や公的機関での「研究」には違いがあるので、今回のチャレンジで私自身がどこまでの「研究スキル」を身につけられたのか、少し不安に思う面もありますが、やはり取り組んだ分だけパワーアップはできたかなと自負しています。
<その分野の知識を深めることができる>
私が博士号取得に挑戦して一番良かったと思っているのはこの点です。
博士論文を書くにあたって何が一番大変だったかと言うと、「緒言」と呼ばれる「なぜこの研究をする必要があるのか。その分野の技術的な歴史や類似の研究例、世の中のニーズ等をすべて絡めて説明する」章を書き上げることでした。
なぜならばこの章は、自分の知識や感覚だけで書いてはダメで、必ず文献による裏付けが必要になるためです。
例えば「近年○○の国内需要は増加傾向にある[*]が、それは▲▲がその一因であると考えられる[*]」という、たった1文を書くために、[*]にあたる引用文献をそれぞれ何十ずつも検索し、読み、その中で引用するにふさわしいと思われるものを書き出さなくてはならないのです。
自分の知識や感覚だけで書いて良いなら1ページ書き上げるのに1時間あれば済むところが、文献検索によって何週間にもなってしまう訳です。
でもこれが勉強し直すチャンスとなって、本当に良かった。
英語と日本語の文献を併せて300冊以上読み、そこで得られた知識を図や表にしてまとめることで、自分の中の知識をアップグレードさせられました。
そして、せっかくなら自分のためだけでなく、会社の後輩たちが今後この分野を研究する際に基礎資料として使ってもらえるようにしよう、と目標を立て、その分野を網羅的に「広く・ちょっと深く」書くよう心掛けたので、いつか誰かの役に立つのでは・・・と期待しています😗~♪
<視野を広げることができる>
自分の会社の中だけで研究していると、どうしてもその独特のやり方に囚われがちになっていきます。
それが、社会人Dr.として教授に指導していただけると、「アカデミックな研究」という違った角度で見直せるようになります。
また、私はあまり時間がなかったのでゆっくりその研究室の方たちと関わることができませんでしたが、もしそのようなことが叶えば、新たな人脈を広げることもできると思います。
入社5年目位を過ぎて、会社が自分の「常識」になりがちになってきたら、一度このような経験をされると良いかも?と思います。
<研究者としてある意味唯一の資格を得られる>
私はずっと、薬剤師さんや看護師さん、保育士さんのように明確な資格がある職業をうらやましく思っていました。
もし一度仕事を辞めざるを得なくなっても(そしてしばらく時間が空いてしまっても)、再就職する時にその資格が生きるからです。
一方で研究職にはそのようなものはなく、せいぜい「○○という会社で研究してました」と言うか「××大学の修士課程を卒業しました」と言える程度。
でも研究って本当は世界レベルで戦うものなので、そんな経歴では海外で「研究者」として認めてもらうことは難しい。
それが「博士号」を取ることで、「Dr.」の肩書をつけることができるようになり、研究職として再就職する際に資格として役立てることができたり、ようやく海外に飛び出す礎になったりする訳です。
私の場合、取得してすぐにキャリアチェンジしてしまったので、現状では資格として生かすことは残念ながらできていません。
でも、もし今後研究に戻りたいと思ったり、何かしら研究に近い活動をしたりしたいと思った時などには、きっと何かしらの形で役立つんじゃないかな、と考えています。
4)おわりに
最後にこの場を借りて、私が博士号取得するにあたってお力を貸していただいたたくさんの方に改めてお礼申し上げます。
せっかくご協力いただいたのに、会社も研究職も辞めることになってしまい、いまだに心苦しさがありますが、今後必ず何かしらの形で活かしていきたいと思います‼️
以上、とても長い記事となってしまいましたが、学び直しを考えている方、博士号取得にチャレンジしてみたいと考えている方等に少しでもご参考になれば嬉しいです😆
第2章「30代後半で脱サラし、専門学校に入学」編も近日中に執筆してみたいと考えておりますので、ぜひそちらもよろしくお願い申し上げます!!