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カンボジアの農村部が教えてくれた4つのこと

こんにちは。
すっごく久しぶりの更新になってしまいました…!

半ば放置気味だったのですが、久しぶりに話した友達から「note教えてよ!」と言われたので、「ちゃんと書かねば…」とやっと重い腰を上げ、いくつかの記事をリライトしたり、マガジン化(というかカテゴリ分け?)したりもして、ようやく今日に至ります。。。

そんな中で、「そういえば、カンボジアでの話、記事にしてなかったな…」と気づき、今回は2019年7〜9月にインターンに行っていた、カンボジアに関するお話を書きたいと思います!

自分のなかでのカンボジア備忘録に近いですが、何かお役に立てることがあれば嬉しいです。

なぜカンボジアに?

前述の通り、私は2019年7〜9月にカンボジアにインターンに行っていました。

参加したのは、NPO法人クロスフィールズさんが主催する留職プログラムというプログラムです。(現在は一時休止中とのこと)

どんなプログラムかというと、日本で働く会社員が新興国のNGOや社会的企業(ソーシャルエンタープライズ)に日本人1人で派遣され、派遣先の団体での課題を探し〜解決に向けて主体的に動いてみる、というような内容です。

自分の枠を超えて、主体的に挑戦していく力を高めることが目的とされています。

私は大学時代から移民問題に関心があったので、「移民関連の社会課題に携わってみたい」「社会課題のリアルを自分の目で見てみたい」と思って参加しました。

農村部の水問題解決に取り組むベンチャーでの3ヶ月

そんな動機で参加したのですが、移民関係の派遣先が見つからなかったので、カンボジアの農村部の水問題解決に取り組む、設立半年のベンチャー企業にお世話になることになりました。決め手は、提示していただいた派遣先のなかで、1番過酷そうだったからです(笑)

カンボジアの農村部では、85%もの人が安全な水にアクセスできないと言われています。(※2019年当時)つまり、「蛇口をひねれば水が出る」という人たちが15%くらいしかいないということです。

さらに、都市部以外では政府による水道整備を諦めており、民間の水道事業者に委任している状況です。民間の事業者も、大規模な事業者はほぼおらず、家族経営のような会社が何百社といるような状況だそうです。

そんななかで、「浄水設備を作り、水道を引き、村人に安全な水の重要性を啓蒙して、水道普及を促進させたい!」と熱い想いを持ち、水道事業に乗り出した企業が私の派遣先だったわけです。

派遣先は、設立半年だったこともあり、人いない・金ない・スキルない、ないモノだらけのベンチャー企業でした。そこで、私は営業支援やマーケティングのような役割(ぼんやり)を任されました。結果的には、「これやった方が良さそうだな」というものはいろいろ挑戦する何でも屋さんのような感じでした。

主に、以下のようなことに取り組みました。

  • 営業に使うツールの作成
    「営業スタッフの子、全然売り込み知識ないじゃん…!」ということで、お客さん先に行ったときに安全な水を使う重要性や、価格が説明できる資料(パワポ)やチラシを作りました。問題なのが、カンボジアは識字率が低いので、文字で書いても全然伝わらないこと。イラストや写真などで視覚的に理解できるよう心がけました。

私の作った資料を説明するスタッフ


  • 人材育成施策を考え、実行する
    設立半年にもかかわらず、すでに数人スタッフが辞めていたり、仕事を辞めたいと言っている子がいたり。「何か手を打たないとまずいのでは?」と思い、色々悩んだ末、カンボジアで長く活動されている方にアドバイスを求め、ワーク形式でモチベーションを高める施策を取り入れてみました。
    定量的に評価するのではなく、ワークを通じて一体感を生み出す、仕事の意義を理解してもらうことが効果的という視点は、現地経営者に聞かないと得られなかったです。SALASUSUの青木さん、ありがとうございました!

「水道のおかげで村に生まれた嬉しい変化」「感謝の声」などを書き、木を完成させるワーク
  • 村人向けの販促イベントを立案する
    一軒一軒営業に回るのは、なかなかに大変な活動です。それに、「事務所から遠くてあまり行けていない…」「周りの人が契約するなら私もするけどね」というお客さんにまとめて営業をかけるには、イベントを開催するのが1番です。安全な水を使う重要性を説明したり、抽選会をしたりするイベントを開催し、一気に契約数を増やすことができました。

イベントのワンシーン
  • 日本企業とのコネを作ってみる
    日本企業や団体も、カンボジアの水問題には課題意識を持っています。とある会社に訪問する機会をいただき、勤務先企業の社長とGMにそのためのプレゼン資料作り&発表をお願いしたのですが…。「こういうことアピールしてね!」と言っていた点は全く盛り込まれておらず……グダグダで終わりました。とある企業の方、その節は申し訳ありませんでした。。

カンボジアの農村部が教えてくれた4つのこと

そんなカンボジアでの活動でしたが、うまく行ったことより、行かなかったことの方が多かったかもしれません。表面的には良い思い出ですが、深掘りすると嫌な思い出もたくさんあります(笑)

「あぁ…なんでそういうふうに考えるんだろう」「いつになったらやってくれるんだ…」「本当に危機感持ってるの?」という葛藤や、言語の壁により、自分の想いをうまく伝えられないもどかしさといった精神的疲労。

3ヶ月で2回高熱で寝込んだし、病院には2回行ったし、人生初の点滴も打ったし、油で胃がやられるし、といった肉体的疲労もありました。

でも、カンボジアの農村部という、社会課題の最前線に教えてもらったことがたくさんあります。この学びは、何ものにも代え難い経験です。

①貧困は、不幸とイコールではない

1つ目は、「貧困≠不幸」だということです。

現地に行く前、「安全な水を使えないなんて、なんてかわいそうな人たちなんだろう」と思っていました。最初に農村部を訪れた時も、そう思っていました。

「かわいそうな人たちだから、助けてあげたい」「日本から寄付を募って、村の人たちに水道を普及させたい」割と本気で、そう思っていました。

でも、しばらく活動していくうちに、自分のなかで違和感を感じ始めました。そして、ある日、当時の彼氏(今の夫。同じく途上国インターン経験あり)とLINEで話していた時にこう言われたんです。

「『してあげたい』というのは上から目線だよね」

確かにそうだ、と思いました。これは「先進国」である日本人の「途上国」であるカンボジア人への価値観の押し付けなんだ。そこに違和感を感じていたのだ、と気づきました。

その後、農村部の人たちを見ていると、子供たちが楽しそうに走り回り、親でなくても近所の人が世話をし、みんな笑顔で談笑していることに気づきました。幸せそうでした。同時にこう思いました。

「幸せって何だろう」

金銭的には彼らより豊かな日本人。でも、毎日満員電車に揺られて通勤し、偉い人やお客さんに怒られ、遅くまで働き、絶望的な顔をしながら夜遅くに帰る。家族と顔を合わせる時間は少ないし、たまに長い時間を過ごすとケンカばかり…。こんな生活、幸せなのだろうか。カンボジアの農村部の人と、都会暮らしの日本人、どちらが幸せなのだろうか。経済的に貧しいことは、必ずしも不幸とは言えない、ということに気づきました

そして、この気持ちにデジャブ感を感じました。そうです。イタリア留学時に、イタリア人に口酸っぱく言われていた、「仕事は人生の目的ではなく手段だ!」という言葉です。そして、気づきました。

「もしかして、日本の社会課題は『精神的貧しさ』なのではないか」

これが、現在に至るまで、私の解決したい社会課題になっていきます。

②自分を作るのは、周りの環境である

2つ目は、自分を作るのは、周りの環境であるということです。

人材育成施策を考え始めたときのことです。

最初取り組んだのは、会社でやるべきタスクを棚卸しし、スタッフ一人ひとりが「できること」「できないこと」を可視化する、ということでした。そして、できない仕事があるのであれば、それは「できないままで良い仕事」なのか、それとも「できるようになった方が良い仕事」なのかを決める。「できるようになった方が良い仕事」の場合は、期限を決め、できるようになったら昇給などのインセンティブを与える、ということでした。

しかし、一人ひとり目標を設定してもらったはいいものの、一向にスキルを高めようという気配は見られませんでした。そして、そのまま頓挫しました。

なぜ、頑張らないのか。頑張れないのか。「そういう文化だから」「東南アジアの人はのんびりだから」そんな単純な偏見じみた文化論で済ませるのは、何だか気持ち悪かったんです。

そんなとき、こんなことを教えてもらいました。

「日本人は頑張ること、頑張れば成功することを、小さい頃から、親や先生、周りの大人に教えてもらっている。だから「頑張れる技術」を持っている。でも、カンボジアは違う。「頑張れば報われる」という教育を受けていない。だからその施策はうまくいかないのかもしれないね」

すごく腑に落ちました。

私は、中学受験を頑張らなかったから12歳にして塾の先生に「人生負け組」と言われた。大学受験を頑張ったから、留学に行かせてもらえたし、念願の猫を買ってもらえた。

失敗したことも、成功したこともあったけれど、結果を残せばご褒美を与えてもらえた。努力しないで失敗すると怒られた。それは、親や周りの人が「頑張る」という技術を身につけるためにしてくれたことなのだ、と気づくことができました。

私だって、カンボジアの農村部に生まれていたら、きっと頑張ることを知らないまま、大人になっていたと思います。大企業で働くこともなかったし、大学はおろか、高校にも行かなかっただろうし、きっと村の人たちと同じく、家事や農作業、子どもの世話をして過ごしていたでしょう。

日本人だから頑張れるわけでも、カンボジア人だから頑張れないわけでもありません。「自分を作るのは、周りの環境である」ということです。

③仕事とは、信頼関係を築く手段である

3つ目の気づきは、仕事とは、信頼関係を築く手段であるということです。

小さな村でやっている水道事業ですが、元はといえば会社の人とは縁もゆかりもない土地で始めた事業です。そんな農村部で、知らない人が土地を買い、大きな設備を作り、営業に来る。想像してみたら、結構抵抗感のあることですよね。

しかし、村の人はすごくにこやかに迎え入れてくれます。「なぜだろう?」と考えたときに、もちろん、日々スタッフがコミュニケーションを取っていることもありますが、「村にとっていい仕事をしてくれている人たち」と認めてくれているからだ!と気づきました。

私が仕事とは無関係に、急に村に訪問したとしたら、「えっ?日本人なの?よく来たね!」と喜んでくれる人もいるかもしれませんが、多くの人は不審に思うことでしょう。しかしそうはならず、多くの人がにこやかに私を迎え入れてくれるのは、会社が仕事を通じて村に価値を提供し、信頼を築いているためです。

人が社会生活を営むためには、経済的にはもちろん、信頼関係や社会的信用を得るためにも仕事が必要だ、と気づくことができた経験でした。

④人間は「意味」を消費する

4つ目は、人間は「意味」を消費するということです。

「安全な水を使えないなんてかわいそう」と思っていた私。

しかし、営業に同行しているうちに気づいたことがあります。「水道を契約しないという選択をしている」人というのが非常に多いことです。

「安全な水を使ったほうがいいとは聞くけど…特に大きな病気もしてないし、川の水でいいわ」「家に浅井戸があるから、水道はいらないわ」

もちろん、水自体が手に入らなくて困っていた人、水道水を使いたかった人には、非常に感謝されています。しかし、水道を使えるようになってよかったことを聞くと、こう答えるのです。

「蛇口をひねれば水が出るから助かっている」

多くの人は、水に対して「安全性」より「利便性」を求めていたのです。そして、利便性の面では、水道も浅井戸も大きくは変わらないのです。そうした人たちにとって、水道は差し迫って必要なモノではないと認識されている場合が多かったのです。

そして私が驚かされたのが、水道は契約していなくとも、タバコを吸っていたり、ビールを飲んでいたり、スマホを持っている人が多くいることです。カンボジアでは、貧しい人でも、マイクロファイナンスなどから借金をしてまで買うものがあります。それは、家、結婚式、スマホです。

家はともかく、結婚式やスマホは命に関わるものではありません。しかし、それでも、貧しくても借金をしてまで欲しいものなのです。そして、水道水は、命を脅かす可能性もあるのに、「あったらいいもの」の位置付けです。

最初は「なぜ??」という気持ちが強かったです。でも、よく考えると、私たち日本人も似た行動を取っているということに気づきました。

少々体に異変を感じても、病院に行かない。がん検診を受けたほうがいいと思っても行かない。体に悪いと思っていても、ジャンクフードを食べる。自分の人生のことなのに、キャリアに悩みを考えていても、我慢して今の仕事を続ける。

これらは、全て自分自身の健康や人生を大切にする上で、とても大事なことです。大事とわかっていても、やらない人が多いです。

なぜでしょうか。人間は、そのモノやサービスが自分の生活にあったらどんな生活にしてくれるだろう?と考え、魅力的な「意味」を消費するからです。

スマホ、ビール、タバコなどは楽しい時間を提供してくれるという「意味」が想像しやすいモノです。しかし、カンボジアの農村部の人たちにとって、水道水は、「今使っている川の水と比べて、どんな魅力的な意味を与えてくれるのか?」を想像しにくいモノです。

水道を普及させていくには、既存の手段と比較して圧倒的に魅力的な意味を作る必要があるということが、最後私がぶち当たった壁でした。そして、その壁を突破しきることはできませんでした。

これが、私が大学院でデザインの視点からビジネスを作るプロセスを学ぶ理由です。

外に出て、自分の常識を壊そう

異国の環境に身を置いて、当たり前のことに気づいたり、自分の常識が壊されたり、当たり前ってなんだろう?という気持ちに駆られたり、自分の当たり前に感謝したり。

外に出たからこそ、見えていなかった世界も、気づいてなかったこともたくさんありました。

挑戦は、ときに不安や恐怖があります。でも、環境を変えなかったら、自分の可能性や視野は広がらなかったです。

カンボジアに行くと決めなかったら、仕事もやめなかったし、大学院にも行かなかったし、結婚もしてないし、どんな自分だったんだろう?と想像することもできません。たった3ヶ月の経験が、私の人生を大きく変えるきっかけを作ってくれました。たくさんの人に出会い、お世話になり、感謝の気持ちでいっぱいです。

「なんとなく、おもしろそうだな」と思うことは、とりあえずやってみる。可能性や視野が広がり、ときには悩んで苦しむこともあるかもしれないけれど、悩み抜いて、さらに挑戦してみる。そうすると新しい景色が広がっていくんだろうな、と思います。

一度きりの人生、やらなかったことに後悔したくないですよね。


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