On Air from Fukuoka #3
福岡あるいは九州に在住、以前住んでいた方や出身とするモッド・レジェンドたちにあれやこれやと突撃インタビューをするコーナー。
#3は 、ネオモッズ期にあたる81年、まだ福岡でモッズというキーワードが全く認知されてない頃から、いち早くスタイルとサウンドを落とし込んだバンド【ザ・フェイクス】を結成。
そのバンドマスターである武田裕次さんに今回インタビューにご協力していただきました!
武田祐次(THE FAKES)
1)80年代の博多、デビュー前のモッズもロッカーズも見た
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module (以下m):ユウジさんご無沙汰しております(実は20年ぶり)。
本日は宜しくお願いします!
武田祐次(以下 T):お久しぶりです。活躍はなんとなく見よったよ。すごいねエ!
m:ありがとうございます。恐縮です。
さっそく本題に入らせていただきますが、80年代に多くのバンドが福岡からデビューしていき、90年代へと変化していくのですが、当時のお話をお聞かせください。
T:そうやね・・・あの頃はそれまであった80年代の博多のシーン、いわゆる "めんたいロック"(*1)とは違った、東京とのネットワークを持ったモッズ文化とが出会った時期やった、俺はそう感じとったよ。
m:ユウジさんが認識してた自身のバンドTHE FAKES(ザ・フェイクス)は、博多のめんたいロックの中に位置づけられるんでしょうか?
T:う~ん、どうかわからんけど、影響は大やね。というのも、映画【さらば青春の光】を初めて見たのも高校1年なら、デビュー前のザ・ロッカーズを見たのも高校入学の翌週という・・・
m:ザ・ロッカーズ、今は俳優の陣内孝則さんのバンドですね?
T:そう。当時、西南学院高校に通っていた僕らは、隣接していた西南学院大学の先輩達がチケットば売りに来てね。「100円コンサート?行ってみるか?」と見に行ったよ。その後、東京で<ザ・プライべーツ>、<ニューブーツ&パンティーズ>、さらにはイギリスに活動拠点を移した加瀬(*2)と一緒にね。
m:高校時代から濃厚な青春時代を過ごされたのですねー。
T:俺たちの人生を変えた30分やったと思うよ。
"コンサートとは拍手するもの" そんな子どもの常識を吹き飛ばして、ハッと気づいたらステージが終わっとった...マイク一本壊してね。
で、「え!?」と気づいたら俺の後ろに座っとんしゃった。化粧したまま、ひざに綺麗か女の人を抱きかかえて。
m:(笑)高校生には刺激が強かったでしょうね?
T:それでグーっと瓶ビールを飲んで俺と眼があったらニヤっと・・・「カッコよかー!」そう思うたよ。それ以来、"バンドマンの彼女はミニスカートに網タイツ" そう思いよった(笑)
m:そういうのも含め、子供ながらの憧れですよね〜。ステージに立つアーティストの存在は。
T:そうなんだよ。そしてその後80sファクトリー(*3)に...
m:福岡の伝説のライブハウスですね?
T:そう。そこで石井相互監督の映画【狂い咲きサンダーロード】ば見に行ってね。終わったらそこに登場したのが、映画のサウンドトラック作成に関わったメジャーデビュー前の<ザ・モッズ>。「おじさんが出てきた」最初はそう思うたよ。ところが曲が始まった瞬間にそんなつまらん考えは吹き飛んだよ。なにせとにかく・・・なんと言うたらぴったりかわからんくらいにカッコよくて粋やった。
m:デビュー前のザ・モッズ、ザ・ロッカーズを見られたのですか?
2)乗り継いだスクーター、モッズになっていく
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T:<ザ・ロッカーズ>はメジャーデビュー後に帰ってきてね。
【箱崎祭】って九州大学の学祭のオールナイトイベントで深夜24時回った頃かなあ?!東京から来たバンド、フリクションやらが出た後に<ロッカーズ>が出てきたとよ。
陣内さん▶︎「こないだくさー!青山のベルコモンズに出たったい。」
合いの手のごと、いろんな女が入れてくる。
会場▶︎「つや~!」ってね。
陣内さんがそれに応えていくとやけど
陣内さん▶︎「そんときに東京と博多の違いのわかったぜ~!」
会場▶︎「な~ん?」
陣内さん▶︎「そんときくさ、ステージに女のパンツが飛んできてくさ!やっぱ東京やね!」そして「俺は待っとるぜ!1・2・3!」
しばらくしたら、俺の右後方から女もののパンツが飛んだとよ、陣内さんは空中キャッチ。
m:現代ではありえない光景ですね!
T:いたいけな高校生の俺は、思わず後ろを探したばい、どの女やろう?って(笑)
m:(爆)
T:そげな毎日の中、80sファクトリー(*3)に入り浸っとったら、そこでバイトしよったとが高校の先輩やったりしてね。
俺が「どげなレコード聞いたらよかですか?」って言いよったら最初に「これ聞け」って先輩にオススメされたとが【ザ・フー】の【四重人格】。
もうね、スクーターに乗るしかない、と思うたけど、手に入るベスパやらは当時なくてね。国産のスズキ・ジェンマに乗りました。
m:時代ですよね。諸先輩方から80年代は色んな物がまだ日本には入ってきてなくて、入手が困難だったとお聞きしております。
※愛車、160GS
T:それからジェンマをペイントしてね。その後ベスパ50R、2000年頃にはベスパ160GSと乗り継いだけどね。みんな苦労しよったよ。
まあ、もちろんバンドは始めたけどね、とにかく「これが一番好きだ!」と思うたとがザ・ジャム(以下ジャム)。
東京でのライブステージをたまたまラジオで聞いてね。最後のヒートウェイブにつながる、ビートが効いとるのに、せつなくて、でも希望がある、そんなところに惹かれてね。で、俺のバンド、ザ・フェイクスが目指したのはジャムやった。
※天神のライブハウス徒楽夢でのTHE FAKES。とにかくオーディエンスが集まるバンドになった。
3)博多の鬼っ子 ザ・フェイクス
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※東京でニューブーツ・アンド・パンティーズだったオルガニストのヒロ加入。ハモンドオルガンが加わり無敵になった頃。常時数百人が集まった。
m:当時ジャムが唱えるモッズとは今までにはない新しい提案だったと考えられますが?
T:ジャムはモッズってステージの上で新しいものを作り出そうとしたとやないかなあ、と思う。言ってみれば "モッズとはこうあるべき" と思う子たちにとっては "ちょっと違う" と感じた気がする。<鬼っ子>って言ったらいいとかいなねえ?!それを目指したわけやけん、めんたいビートの影響大でオリジナルを作っていった俺たちは、<モッズとはこうあるべき>という人たちからしたら なんか違うやったっちゃないかな?!で、博多のバンドの集まりの中じゃ「あいつらはモッズやけん」になってしまうやろ?要するにどこに行ってもザ・フェイクスというのは浮いていましたよ、ハイ(笑)
※常時数百人の集客があった頃のTHE FAKES。
m:そのコアな部分(フェイクス)を好きな人はいる訳で熱狂的なファンの方とかは大勢いたのではないのでしょうか?
T:そうだね...そういう結果が後押しした事もあって、FMラジオでちょっとしたコーナーを持たせてもろうたりしてね。
そんときくらいからライブでは200~300人は集まるし、博多の中でのメジャーバンドが出演したイベントじゃ2000人を超えるお客さんが集まって、その行列を見たときはしびれたよ。
m:2000人ですか!?
T:リッケンバッカー360WB抱えてね。
その裏にはバッタリ会うた、というか西鉄グランドホテルで待ち伏せしたポール・ウェラーのサインが入っとったしね。
m:待ち伏せしたんですか?
T:泊まっとったのがわかってね。ホテルのボーイさんが「困ります!」と俺を止めようとしたったい。
ばってん、ポール・ウェラーが気づいてくれてね、「大丈夫、俺の友達やけん!」って言いながら俺に近づいてきてくれたとよ。
博多弁じゃなく英語やったばってん(笑)
m:すごいエピソードですね!
T:もう感激してね。そのリッケンバッカー抱えてステージに立ったら、2000人のお客さんが俺が走る方向にみんな殺到したりしてね。密です(笑)
m:お話だけで当時のシーンが目に浮かびますね!
※ロンドンから帰国したばかり。FMラジオでのDJ、雑誌に掲載などで、さらに動員数が増えていく。
4)イギリスへ
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T:なんか新しいもの作りたくてね。
博多の中で最初にイギリスに行ったのは俺です。
山善さん(山部善次郎さん)が先やけど、現地の空港でとっ捕まって強制送還されとんしゃるけんね(笑)
m:山善さんの武勇伝も凄いですね(笑)
T:ロンドン、ブライトン...古着の買い付けのバイトしながらね。あの空気は凄かったなあ。
m:そんな中でバンド活動を休止されましたが、何が理由だったのでしょうか?
T:みんないろいろあるよね、若気の至りと言いましょうか...
さっき言うた加瀬(*2)とバンド組む話もあったとよ。東京に行ってね。でもふんぎりつかんでそれも流れて。
後で他のバンドのヤツが「お前、ソロの話があったろう?」やら言われたけど「そんなこともあったっけ?」と思うた。必死やったけん、いろいろありすぎて...そこまで必死に走ったけん、もう気力も失せて嫌になったって言うかね。
※ロンドン カーナビーストリートのメランデイ前で。ポール・ウェラーとニアミス、残念。
5)ザ・フェイクス、博多のシーンへ戻る
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m:結果、数年の活動休止という事で、99年に再始動、翌年のモッズメーデー福岡でのライブは素晴らしいパフォーマンスでしたよ!
T:いやあ、あれはね、リハビリやったよ。なんか自分の中では違うんです。だから、俺のベストメンバーやった時のオルガニストの仲道(*4)にね、「手伝ってくれんか?」って言いに行ったと。そしたら「一緒にやりたいけど、メンバーがザ・フェイクスじゃない。マーちゃんに頼みましょう!」と。
m:マーちゃんとは?
T:マーちゃんという素晴らしい仲間、ベースがおったとよ。
出会いも面白いよ。俺が西新を一人でベスパに乗って走りよったら、向こうからベスパが走って来てね。で、すれ違った後、なんとなくこっちも向こうも止まって戻って来てね。「ベースしよった。」って言うやない。
俺が独りぼっちの時やったけんね。翌日は彼の家に押しかけて、テープ聞かせて。彼は「これはやってみる価値がある」って思ったらしいよ。その彼。
ヘフナーのバイオリンベースをあんなに鳴らせることができてハモれるベーシストは他におらんと思うね。
m:そんな才能に恵まれたオリジナルメンバーがいらっしゃったとは存じてませんでした。それでまた一緒にやろうと?
T:そう。でもドラムがおらんやった。ところがザ・フェイクスを見に来よった男がおってね。「アマチュアバンドやらつまらん!」って思いよったその男は、休止前のザ・フェイクスを見に来て「!」と思って毎回来たげな。
そやけん再開のそのタイミングで「俺にさせてくれ!」って熱烈にアピール。「今ヘルプしよるあのドラマーはザ・フェイクスがどんなバンドか、その凄さをわかっとらん。俺にやらせてくれれば生き返らせることができます!」って。そげん言われたら「ならまかすばい!」ってね。
m:ベストメンバーでのフェイクス、僕は拝見出来ておらず... 見たかったです。
T:そしたら<つくす>の鶴田さんが「ザ・コレクターズを呼ぶけんイベントに出らん?」って。「わかりました」って返事したら「出るって言うたら教えようと思いよったけど、実はイギリスからポール・ウェラーを呼ぶんだ、競演だよ!」って。俺は死んでもいい、と思うたよ。
m:それであの黒のリッケンバッカー330にもサインが入っているんですね?
T:リハの後にサインもろうたっちゃけど、360WBのサインを見て「覚えている!」って驚きよったよ。
※ポール・ウェラーとの共演イベントのために、<つくす>の手により、ソラリアでPV 、ステージ衣装、使用されているリッケンバッカーの数々、旗等が展示された。
6)東京ツアー
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m:東京にもツアーされていますよね。何年頃でしょうか?
対バンなど何かエピソードがあればお願いします。
T:何度かね。アウェイでやるのは大変ばい。誰もまだしてなかったしね。
最初のツアーは84年で<ザ・プライべーツ>と【新宿・ロフト】に、<ザ・バイク>や<ザ・ストライクス>なんかと【新宿・スタジオジャム】に出たと思う。
m:ザ・バイクって、ザ・コレクターズの前身バンドですよね?
T:そう。そんなときに限って、ベースのヨシトが弦を切ってね。「!」と思うたときに、ザ・バイクがベースを貸してくれてね。良か人やったよ、本当に今でもありがたい。
博多でイベントやった時は俺たちを呼び出しをしてくれてね。俺はザ・コレクターズ、大好きです(笑)
m:男気を感じるいい話ですねえ。
T:最後の東京ツアーのときに解散が決まっとってね。
でも帰ってくる新幹線の中で曲を書いたよ。「壊れたカップなんか捨ててしまおう」負けと認めない限り負けたわけじゃないんだ、って。その後、レコード会社とも契約してもらえんやった頃のソロデビューしたポール・ウェラーを神戸まで見に行きました。
m:自分を鼓舞するため?
T:そう、人生長く生きてくると、そういうのわかるよね。
音楽はいい...つらくて立てん気がしても、なんとか立ち直る力もくれる。昔の曲は聞けば一瞬でタイムスリップする。そのときの景色も空気も匂いも。
m:そうなんですよねえ...
T:今はバンド活動はしてないけど、解散したわけじゃないんよね。仲間とは今もよぉ会うしね。
※新宿ロフト、下も同時期。ロフトにはザ・プライベーツの招待で実現。そのステージは現コレクターズの加藤ひさし氏も見に来てくれた。
7)人生は恐ろしい冗談の連続である
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m:2019年、ジャムのオリジナルメンバー、ブルースフォクストン(ベース)結成の"THE JAM" を見に行かれたのですよね?
T:レコードやCDじゃわからんことも多いんだなあ、と思うたよ。
興味なかった曲が「実はこんな曲だったんだ!」ってブイブイ押してくるやろ?
でわかった。俺は今のポール・ウェラーはどうでもよくて、ザ・ジャムが好きだったんだな、って。
スタイル・カウンシルのときはジャズも聞いたし、最先端のオシャレやったろうけど、最先端のものは、新しい最先端がやってくると途端に古くなる。それがよくわかったよ。
m:ポールウェラーにとってのスタート(本人の独自のカラー)が本当の意味で色濃く出てきたのはスタイルカウンシル(ジャムの後半)からですからね、好みはわかれますよね。
スタートといえばユウジさんは現在、ミュージシャンではなく、武道家として活動されているという事ですが?
T:【居合(イアイ)】って知っとう?
m:イアイ...ですか!?
T:刀を使う武道でね、抜いたところからは【剣術】、抜かないところからは【居合】。
m:なんとなく解ってきましたが...
T:無外流(むがいりゅう)という300年の歴史がある流派でね。新選組の斎藤一とか、土佐の山内容堂とかね。
その宗家の直弟子として、免許の巻物もらって、国際居合道連盟鵬玉会という会の会長をしています。
m:伝統あるとても凄い事というのは武道に無知な僕でも理解できました。わかりやすい凄さで言ったら東芝のCMにも出られていたとか?
T:バンド関係者から「出張でホテルに入ってテレビ見てたら出ていたぞ!びっくりしたぞ!」って連絡がきたよ(笑)
アメリカのNBCから取材などがきたり...そして11月にはスコットランドの (ピー) 。
m:えー!イギリスから・・・!!!
イギリスに憧れて、バンドマンとしてじゃなく、武道家としてイギリスに・・・!
それ、公開したいニュースですよね、11月が待ち遠しい!
T:まわりまわって面白いよねえ。
人生は恐ろしい冗談の連続ですヨ(笑)
m:終盤に差しかかり、また面白いエピソードもでてきましたね。話が尽きませんね(笑)
8)モッズとは?
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m:最後にお決まりの質問で締めさせて頂きますが、ユウジさんにとってモッズとは?
T:60年代のポップでクールなスタイルなんだろうと思うけど、たぶん「あ、これはモッズ的だな」とか、それぞれにあるっちゃないかなあ。
自分の中に基準があって、それがアイデンティティになっとうとよ、みんな多分。
そやけん、ポール・ウェラーが言ってたように「何をやっていようが、モッズはモッズ」なんだと思う。
そういう意味では俺は「福岡のただのモッズ」という気持ちが今も変わっとらんとよね。
m:本日は貴重なお話が聞けて大変嬉しかったです。ありがとうございました!
※西新のJA JAのオーナーが亡くなって。その追悼で当時世話になったバンドが集まった。その際のTHE FAKESのステージ。
[脚注]
1) "めんたいロック"
1970年代から1980年代にかけて福岡市などを中心に勃興したロック・シーンでありロック・ムーブメントである。
2)"加瀬 嗣(かせ ゆずる)"
初期の"ザ・プライベーツ"のメンバー・ギターリスト。
その後に単身イギリスに渡って活動。
2005年、インド・ヒマラヤ山脈のヒル・ステイション、 マクロード・ ガンジ(Mcleod Ganji)でデュオバンド、The Green Griffons(ザ・グリーン・グリフォンズ) を結成。
ザ・コレクターズの旧ドラマー・阿部耕作が加入前に在籍していた“ニューブーツ&パンティーズ”のバンドマスター(創設者)である話も有名。
3)"80's FACTORY(エイティーズファクトリー)"
音楽のメッカ親不孝通りにオープン。
1979年8月~1982年3月、3年足らずという短い期間でクローズした幻のライブハウス。その面々はザ・モッズ、ロッカーズ、ルースターズなど、博多を代表するそうそうたる顔ぶれ。
4)"仲道ヒロタカ"
フェイクスの黄金期とも言えるオルガニスト。
北九州の人気バンド、"ニュードブ"のメンバー。プロのバックミュージシャンなどで活躍したのち、現在は飲食店【麻布 / 仲みち】、【福岡 / 宴や】という薩摩ぢどり屋を経営。
◆プロフィール
武田祐次(たけだゆうじ)
1981年、福岡にてモッズバンド【ザ・フェイクス】を結成。
84年に渡英。同年帰国後に最初の東京ツアーで新宿ロフトや新宿スタジオジャムにて出演。
ザ・プライべーツやザ・コレクターズ結成前ザ・バイク時代の加藤ひさし氏と共演。
FMラジオのDJ、雑誌のグラビア、イベントの企画等でモダンドールズ、ザ・キッズなき後の福岡のバンドシーンを牽引していた。
武道歴は長く、44年に及ぶ。
無外流居合 教士七段免許。現在は国際居合道連盟鵬玉会会長。
2010年から無外流明思派宗家 新名玉宗の直接個人指導を受け、武号「鵬玉(ほうぎょく)」を拝受。「武田鵬玉」として各種メディアにも多数登場。常設道場が浅草にあり、福岡をはじめ、全国に支部道場がある。
現在、国内外において無外流居合の普及に努めている。
ザ・フェイクス
Vo.&G. 武田祐次
Vo.&Ba.早川正信
Dr. 中村ショージ
Or. 仲道ヒロタカ
■インタビュアー:fame the mod(コウジ)/module