バイク泥棒の話
はじめに
この話は2年ほど前、10月の上旬のこと、JR某駅で新快速と快速を間違えて乗ってしまった時、近くに立っていた女子高生と思われる二人組が話していた内容です。
『めっちゃ面白いことがあったから聞いて』
こんな言葉から始まる話、関係ない人間とは言え聞かずにはいられません。
まるで、自分のことを知らない大勢の人に向けて話すように、話し手である彼女はとても丁寧にその顛末を語ってくれました。それだけに、この話は印象深くはっきりと覚えています。
1 Aさんの住む町
話し手である彼女、ここではわかりやすいようにAさんと仮名を付けさせていただきます。
Aさんは町の中心から少し離れた住宅街に、父、母、兄、祖母の4人で暮らしています。その住宅街は、いわゆるベッドタウンで昼間はとても静かです。日中はどの家庭も、それぞれの職場や学校へ出かけています。町の中心から離れていることもあり、徒歩で町まで行く人はほとんどいません。多くの人が車やバイク、自転車を使って移動します。そのため、どの家庭にも庭には車庫や自転車置き場、それに類するものがあります。Aさんの家にも、玄関先に大きくとったスペースを車やバイク、自転車を置く場所にしていました。
さて、その年の春のことです。Aさんの町では、バイク、自転車の泥棒が出ていると噂が出るようになりました。聞くところによると、泥棒たちは日中の人が少ない時間帯で、ターゲットを絞り、その家の住人の行動パターンを把握したうえで、作業着姿で修理業者を装って堂々とトラックに積んで盗んでいくとのことでした。
周囲では、監視カメラを付けたり、自転車置き場を柵で囲ったりして盗難防止をする動きがみられました。
しかし、Aさん宅ではそのようなことはしませんでした。Aさんの家には常に祖母がいて、祖母が過ごす居間の窓からは、玄関先の自転車置き場がよく見えていました。Aさんも、学校が終わって遊びに行かない時は、祖母と一緒に居間で過ごすため、何かあればすぐに気が付くはずと思っていました。そういうわけで、Aさん宅では防犯対策をしないままでいました。
2 中古のバイク
夏になりました。Aさんの町では相変わらず泥棒の話題が出ていました。警察は情報提供を元に見回りを強化していましたが、成果が上がらず、犯人は捕まらないままでした。
そんな中、Aさんの兄が今まで貯めたバイト代をつぎ込んでバイクを買ってきました。兄いわく、かなり年代物の中古バイクらしく、マニア垂涎の1台だそうです。ただ、Aさんも含め、父も母も祖母も、そのバイクの何がいいのか全く分かりませんでした。
しかし、兄はそのバイクをかなり気に入り、出かける時はいつでもそれに乗り、家にいる時は常にバイクを磨くなど、念入りに手入れをしていました。
ある日のこと、兄は夏期講習のため大学へ行きました。大学へバイクで行くことは、規則上問題ありませんでしたが、駐車のためには面倒な手続きが必要で、さらに、指定の駐車場は大学とは別の敷地内に用意されているため、バイクでの通学は面倒なことでした。そのため、兄はバイクを置いて今まで通り、公共交通機関を使って大学へ行きました。兄がバイクから離れるのはこの日が初めてのことでした。
Aさんはその日は一日中家にいて、居間でだらだら過ごしていました。そうしていると、窓の外に人影が見えました。
作業着を着た体格の良い男性が、庭先に止めている兄のバイクをじっと見ていました。男性は道路と家の敷地の境に立ち、少し身を乗り出すような姿勢で、5分ほどバイクを見ていたのです。
Aさんは一緒にいた祖母にも声をかけ、男性がいなくなるまでその様子を窓から見ていました。男性は終始なにもせず、ただバイクを見て去って行きましたが、泥棒の噂が頭をよぎり、心配になりました。
その日の夜、Aさんは家族全員に男性の話をしました。兄はせっかく手に入れたバイクを盗られたくない、いい物だから転売されるかもしれないと、カメラをつけることを提案しました。兄としては、今後、夏期講習へ行く頻度が増えてバイクから離れる時間が増えること気がかりだったのです。父はその要望を聞き入れ、すぐにカメラを設置しました。
カメラ設置後、すぐには何もありませんでした。祖母も、男性が現れた1件から、より注意して庭先の様子を見るようになりましたが、誰かが来たとか言うことはなく、特に何もありませんでした。しかし、それから3日ほど経った日のことです。今度は、2人の作業着の男性が現れました。
その日は、Aさんは出かけていて実際に見てはいなかったのですが、その2人の様子はカメラで撮った映像で見ることができました。
カメラには、2人の男性が1、2歩家の敷地に入ったあたりの位置から、あの日と同じように身を乗り出すようにして兄のバイクを見ている様子が映っていました。
Aさんはその映像を見て、2人の内の1人が、前に来ていた男性とよく似ていることに気が付きました。そして、すぐにこのことを警察に伝えました。
警察からは、もしかすると、今はやりの泥棒の可能性が非常に高いと言うことと、何かあったらすぐに連絡するようにと強く言われました。
Aさん一家は、確かに、噂で聞いている泥棒は、何度か下見をしていて、作業着を着ているとのことだったので、泥棒に違いないと思いました。
3 男性たちの正体
兄のバイクを見ていた男性たちは、警察に相談した次の日に現れました。
Aさんは前と同じように居間でだらだらしていましたが、あまりに早い再来にかなり驚きました。
なんと、バイクを見ていた男性は3人に増えていて、今回は完全に兄のバイクを取り囲むようにして立っていました。
さすがに、男3人に割って入るのは危険なので、Aさんすぐに警察へ連絡しました。それが終わると、兄にもそのこと電話で伝えました。
10分もしないうちに警察官がやってきて、男性たちに事情を訊いてくれました。Aさんと祖母は怖かったので、そのまま居間の窓から様子を見ていました。そのため、実際に聞いてはいないのですが、後で警察官から聞いた話によると、このようだったそうです。
男性たちはAさん宅から1キロほど離れた場所で新築工事をしていた作業員でした。そこから一番近い自販機に行くため、よくAさん宅前の道を通っていたようです。
ある日、いつも通りコーヒーを買いに行く道中に、年代物のバイクが置かれているのを見て、思わず見入ってしまったとのことでした。あまりに珍しく、手入れも行き届いていたので、同じ現場のバイク好きの仲間に話をして『そんなにいいバイクがあるなら見たい』
と言う話になったので、仲間とともに何回か見に来ていたそうです。
今回、あまりにいい物なので、もっと近くで見たいと思ってしまい、家の敷地に入ってしまったそうです。そのことについては、この家の方に心配と迷惑をかけたので謝罪したいと言っていました。
また、事情を訊いている最中に帰宅された、バイクの所有者である兄には直接謝っていて、謝罪の後はバイクの話で大いに盛り上がっていたそうです。
その後、改めて作業員がAさん宅に謝罪に来て、大きな問題もなくこの1件は終わったとのことでした。
その後も、バイク、自転車泥棒の話を耳にすることはあったようですが、ターゲットはAさん宅のある場所から離れたところばかりでした。兄のバイクは今の所、盗難被害に遭っていないそうです。
おわりに
Aさんはここまでの話を滞りなく40分ほど語り、私が降りる駅の1つ前の駅で降りて行きました。退屈するだろうと思っていた私の移動時間は、彼女の話のお蔭で、そんなことを微塵も思わずにすみました。
昼下がりの、各駅停車の多い快速電車の中、静かな社内で滔々と語る彼女。
ここでは、その巧みな話し方を再現できませんでしたが、将来、その言葉の力で多くの人を惹きつけるのではないか。
この記憶が頭をよぎるたび、私はそう思わずにはいられません。
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