「飲むヨーグルトを飲むとストレスが和らぐ」という設定で生きてる。

最近飲むヨーグルトをめちゃくちゃ飲んでいる。

おいしいよね。大好き。


昔から飲むヨーグルトが好きで、ちょくちょく買って飲んでいた。だけど最近はその比じゃないくらいの消費量になっている。多分少なくとも毎日一本は飲んでる。そのくらいコンビニにお金を落としてる。

こんなペースで飲み始めたのは数週間前だ。僕は調子が悪い時、「何かを自分で決める」ということがすごく難しくなって、コンビニやスーパーの商品棚の前で立ち尽くしてしまうことがよくある。ぼーっと眺めて、何も決められなくなる。気がついたらコンビニの商品棚も何もないところで突っ立ってたこともあった。ぼーっとしちゃう感じ。

何を買うか決めかねて、だけど何か食べ物をお腹に入れないと死ぬと思ってコンビニを彷徨っていた時、飲むヨーグルトが僕の視界に入った。理由はわからないけど、僕は「飲むヨーグルトを買う」という選択肢の出現にすごく安堵した。なんだかすごく居心地のいい選択肢だった。僕はそれをすぐに手に取った。

それ以降、飲むヨーグルトを見かけるたびに買っている。毎回同じ行動をするということは、僕に安心感を与えてくれる。何も決められなくてぼーっとする時間の焦燥感が軽くなって、意識を現実に向けるのが苦痛じゃなくなる。僕は飲むためというより買うために飲むヨーグルトを選んでいる。「買うヨーグルト」に名前を変えてほしい。


買うヨーグルトは、もちろん飲むのも好きだ。

冷たくて、包まれるようなてろっとした感触。最近味に関しては自信がないけど、甘くて美味しい。

僕は、「飲むヨーグルトを飲むとストレスが和らぐ」と思うようにしている。そんな科学的根拠があるかは知らないし、多分ないけど、そう思って飲んでいる。そういう設定の世界で生きている。

「これがあれば大丈夫」という存在は、多分大きい。

自分のことを大丈夫だと思えない人にとって、「これから大丈夫になるんだ」と思えることはすごく大事だと思う。理由はなんでもいい。嘘でいい。

「私がいるから大丈夫」なんて言葉に裏付けはない。

でも、それだけで生きていける。

僕にとってはそれが飲むヨーグルトだという話。

飲むヨーグルトがあれば生きていけると思ってる。そういう意味では、飲むヨーグルトじゃなくて「生きるヨーグルト」に名前を変えてほしい。腸まで届くビフィズス菌くらい僕も生きてる。


「これがあるから大丈夫」って存在は人によって違うと思う。ぬいぐるみの人もいると思うし、睡眠薬の人もいると思う。僕も以前病院に行っていた頃は睡眠導入剤を飲んで、「これを飲んだから僕は眠れるんだ」と自分に言い聞かせて夜を乗り越えていた。でも、僕は睡眠導入剤が効かなかったから段々信じられなくなっていった。

今のところ、飲むヨーグルトを飲んで元気になっていっている感じはない。まあだけど、僕自身がそこまで信じてないからいいのかもしれない。睡眠導入剤は僕が過剰に期待しすぎていた気がする。


辛い時期に好きなものに縋るのは怖いことでもある。

去年、眠れない夜に大好きなラジオを聴いて散歩していたせいで、ラジオを聴くと真っ暗な夜道の映像とともに辛い時間がフラッシュバックするようになってしまった。鳥肌が立って、すぐに聴くのをやめた。

この前「自分も躁鬱」と言ってくれた友達にこの話をしたら、すごく共感してくれた。そいつは散歩しながら瑛人の「香水」をずっと聴いていたらしく、「もう聞けない」と言っていた。同じものしか聞けなくなるのもすごくわかる。

同じものばっかりといえば、飲むヨーグルトに縋っている昨今の僕が浮かぶわけだけど、飲むヨーグルトに関しては末長く飲めるように祈る。好きなものが減っていくのは寂しい。


明日、病院に行くつもりだ。

心療内科とか精神科は完全予約制のところが多いから予約を取るのも難しかった。先のことを考えさせないでほしい。

僕はちゃんと薬をもらって、なんとかするべきだ。

大学の学生相談所みたいなところに行ったらそう言われた。

カウンセリング的なのは初めてだったけど、頑張って話した。いつも人と会う時みたいに気合いを入れるのはやめて、自分の楽なように話そうと思った。そしたら、カウンセラーの目を全く見ずに話す自分に気づいて驚いた。あとめっちゃボソボソ喋ってた。カウンセラーの後ろの棚に向かって1人で話して、1人で涙目になってた。

僕ってこういう側面もあるんだなあと納得した。どっちが本当ってわけじゃないと思う。僕という人間に違う角度で光を当てたら違う形の影ができただけの話だ。気合い入れてても入れてなくても、どっちもほんと。


どうなるかわかんないけど、とりあえず明日は起きて病院に行かなきゃね。

それじゃ、おやすみ。



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