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「ゴシック・アンド・ロリータ」東京公演

出演: 成田達輝(ヴァイオリニスト)
作曲: 梅本佑利、山根明季子
イラスト: NABEchan
主催: mumyo llc

プログラム
J.S.バッハ/無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番ホ長調BWV1006より ロンド形式のガヴォット
梅本/コピー・アンド・ペースト、大量生産/消費された不規則/不完全な形状のプラスチック真珠そして私。
梅本/ Embellish Me!(2022)
山根/リボン集積(2022)
山根/パニエ、美学(2022)
梅本/Melt Me!(2022)
J.S.バッハ/無伴奏ヴァイオリンソナタ第2番イ短調BWV1003より アレグロ
山根/リボンの血肉と蒸気(2022)
梅本/廃墟・秋葉原のアリス1, 2(2022)
山根/黒いリボンをつけたブーレ(2022)
アフタートーク(成田氏、梅本氏、山根氏、NABEchan氏)

山根氏、梅本氏、成田氏の三氏によるアートコレクティブ mumyo の旗揚げ公演(同日夜、"mumyo"の名付け親である坂本龍一氏の逝去が報じられました)。

山根作品…今回演奏された4作品のうち3作品のタイトルに「リボン」が含まれています。リボンは特に若い女性の服にあしらわれることが多い装飾で、少女性の記号でもあると読めます。また、「黒いリボン」には葬礼のイメージも込められているのではと想像しました。特に、16分音符による作「リボン集積」は、目まぐるしく調性が交替し、抜け出せない迷宮を彷徨うようで 興味深く聴けました(奏者の成田氏もリボンをつけて弾いていました)。

梅本作品「Embellish Me!」「Melt Me!」…過剰装飾と音程の変化によってバッハ作品の断片が姿を変えていきます。ごくシンプルなしかけで、音響が悪夢のような変化を遂げていくさまは、非常に興味深いものでした。
ただ、"me"とは誰をさすのだろうと考えてしまいました。両作とも、バッハ作品を変形させていくプロセスなので、2つの曲のタイトルの主語は、字義通りには素材であるバッハの断片ということになるはずです。したがって、"それによって「装飾」「融解」という事象が生ずるもの"ではないことになります。他方、本歌である「不思議の国のアリス」に出てくる"me"は、"身体が大きくなる/小さくなる"ことを引き起こす薬や食べ物をさしています。したがって、ここでの把握の仕方とは食い違うこととなります。このねじれをどう扱うのかが気になりました。

梅本作品「コピー〜」「廃墟〜」…2作品ともいささか長く感じました。前者では、コピーや大量生産のプロセスの中での劣化・変容といったことが問題になるはずですが、そういったものは、知覚できる形では認めづらいと感じました。そのため、音楽がその場に立ち止まっている感が強かったと思います。後者も同様の印象を抱きました。「廃墟となった秋葉原のメイドカフェの世界線」(プログラム・ノート)とのことなので、何もかもが終わってしまって始まらないのは当然なのですが、廃墟は建物自体の劣化や、往々にして植物の侵食などによって絶えず変化していくものです。プログラム・ノートにもある通り、秋葉原は廃墟化と再生というプロセスを幾度も繰り返してきた場所なので、ここで描かれた秋葉原もまたどこかへ向かっていく(そこに人間の姿はないかもしれないにしても)のではないかと感じます。

山根氏、梅本氏の作品は、いずれも直接・間接にバッハの音楽を素材にしているとのことです。ですが、バッハの断片を元にカットアップのような手法を用いていても、機械的サンプリングのような寒々とした感触がありません。常に作業の手跡が感じられるためだと思います。

それにしても、これだけ変形され、切り刻まれても依然としてバッハの音であり続けていることに驚きました。バッハの音楽の、偉大さというより凄みのようなものを感じます。

成田氏の演奏は繊細かつ大胆、いつもながら難度の高そうなパッセージも易々とこなしていて、技量の高さに感服しました。アフタートークで「これが一番やりたかったこと」と語っていらしたのが印象的で、その言葉通り、非常に想いのこもった演奏でした。

今回のテーマについて、考えたことを記します。テーマとして掲げられたゴスロリにおいて、肌の露出は本来禁忌とされます。しかるに、NABEchan氏によるビジュアルでは生足が表現されており、「原理主義的ゴスロリ」からは逸脱するのだということが、梅本氏instagramでのプレトーク、終演後のアフタートークで語られていました。山根作品のタイトルにあらわれる「パニエ」も体型を露わにしない効果があります。これらの装いを纏う女子にとってゴスロリ・ファッションは、自己表現であり、武装でもあると言えます。
ロリータ(・コンプレックス)は元々男性視線による概念です。ゴスロリ女子はそれを逆手に取り、ゴシック・スタイルとの合わせ技によって、自らの着たい装いを手にし、かつ自らを守るための強力な手立てを得たと理解できるかと思います。
しかし、NABEchan氏の作品は決して男性視線に阿るものではないと思います。肌を露出させるスタイルはロリ視線によるようにも見えますが、実際に身につける女子にとっては、本来のゴスロリと同じく、場合によってはそれ以上にかわいくて「着たい」と思えるスタイルともなるはずです。彼女の作品が10代〜20代の女性から強く支持されていることもその傍証と言えるでしょう。
せっかくNABEchan氏の作品を掲げたのですから、こうした切実な攻防について、音楽の側からもっと突っ込んだ言及や表明があればなお良かったのではないかと考えました。(2023年4月2日 北千住 BUoY)

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