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オペラシアターこんにゃく座 オペラ「神々の国の首都」

ハーンは冒頭で「自分は今夢の国にいる」と語る。これがこの作品を貫く主題かと思う。

ハーンは幼くして生地ギリシャを離れて以降、フランス、アメリカ、西インド諸島と、さまざまな土地を転々としている。だが、自身の人種的・文化的ルーツへの拘りのない人だったのではないかと、舞台を観つつ想像した。キリスト教への嫌悪感をはじめ、自身の生来の属性に繋がる文物に対して違和感を抱えており、自身が収まるべき場所を絶えず探していたのではないか。そしてたどり着いた日本でようやくその場所を見つけたのではないか。

ハーンが著した「怪談」には施餓鬼などがしばしば登場し、仏教への傾倒が明確にあらわれている。その目で見ると、「賽の河原」の場面で語られる、"死者たちの群れと見えたの実は全て自分自身"という言説は無我や空性といった仏教の概念に通ずると思われる。精神的なところで日本の文化に深く共鳴していたハーンを描くのに相応しい描写だったと思う。

さらに、場面ごとに怪異のエピソードがさし挟まれる。「鳥取の蒲団」「悟りの化け物」「生霊」「橋を渡る亡霊」「賽の河原の石積み」などなど。「賽の河原」への道行で、ハーンが唱える「開門!」という「おまじない」は「耳なし芳一」で芳一を導く侍のセリフを思い出させる。また、ハーンが夜鷹に語るセリフに出てくる「人攫いのゴブリン」は「ひまわり」と重なる。

このように本作では「怪談」がしばしば参照されているのだが、ハーンの綴る怪異は、ただおどろおどろしいだけではない。先述のような仏教的な因縁がしばしば書き添えられる。具体的な地名・人名が用いられることもあるが、ハーンの目は、怪異という事象そのものよりも、因縁、殊に死後も残る思いに注がれているように感じる。人の思いは、身体を失っても消えず、前世から来世まで時空を超えて存在し続ける。ハーンにはそんな信条があった。そこでは、地位も人種も大きな問題ではなかったのだろう。このハーン独自の思想によって裏打ちされて、力を持たないマイノリティに常に寄り添う姿勢が生まれる。そして、この自身の信条が具現されている(とハーンが感じた)のが、長い旅の末にたどり着いた日本においてだった。それゆえハーンは松江での日々を「夢」と呼んだのだろう。

最後の場面は稲佐の浜、空も海も鮮やかな青である。ハーンは浜辺から随分離れたところをゆったり泳いでいる。浜辺に座り、時折咳き込みながらその様子を眺める西田(史実の上では、西田は6年ほどして世を去っている)とアキラ。そこにセツもやってくる。

呑気に浮かんでいるだけのように見えて、遠泳にはかなりの体力と気力が必要なはずだ。ハーンには急な潮の変化にも揺るがないだけの力があった。長く根無草であった中で培われたものだろう。そんなハーンは日本でようやく、真に心を許せるパートナーと終の住処とを得た。セツが「あなた」と呼びかける姿はなんとも切なく、爽やかである。

萩作品らしい、透き通った響きが印象的。緩急が明確につけられていて、聴くものを魅了する。
冒頭、「米つきの重い杵が臼の中の米を精白する音」が影たちの足踏みで表現される。観客はハーンとともにこの重い、しかし柔らかな音を聴きつつ、明治24(1891)年の松江へと導かれる。

大人数のコーラスは少ないのだけれど、場面ごとにデュエット、カルテットなどさまざまなアンサンブルが組まれ、声楽パートでありながら高度に器楽的に構成されている。特に、ハーンの逗留先にセツの両親が乗り込んでくる場面の緊密なアンサンブルに唸った。「森は生きている」前半のむすめと兵士のやりとりを思い出させる。ベテラン勢ならではの場面であった。

器楽パートも、いつにも増して細かい掛け合いが組み込まれていたように感じた。ヴァイオリン、チェロ、フルート、ピアノとミニマムな編成なのだけれど、フルートはピッコロ、アルトフルートと持ち替えで、音域だけでなく音色のバリエーションも楽しむことができた。

高野@ハーンの安定した、しかし不思議な愛嬌がいつまでも目と耳に残っている。豊島@セツは、抑制しつつも入魂の芝居、家のために身を捧げつつも、徐々に自分という存在を取り戻していく女性を丁寧に演じていた。

佐藤@西田は、実直な教頭を好演。こういう人物がいたからこそ、ハーンの日本での創作が叶ったのだということが伝わる。鈴木@乞食女は迫真の演技。心ならずも堕ちてしまった人間の哀しみがよくあらされていた。

新聞記者柏木は、ハーンが松江の人々の表層しか捉えていないと批判する。ハーンが不愉快な人間と捉える柏木だが、のちにはハーンを日本の民衆に対する深い理解へと導くこととなる。富山@柏木は、そうした遠慮のない人物像を巧みに描く。

彦坂@トミ、青木@チエは、それぞれの立場からセツを案ずる想いがよくあらわされていた。岡原@エリザベスの圧倒的存在感。北野@アキラの実直さ。沢井@為二は抜け目ない人物を巧みに造形、相手役の西田@フサは変拍子を巧みにこなして怪演。大石@琵琶法師はハーンを自らの想念の世界へと誘う。小泉清の世を拗ねた姿の不思議なリアリティ。

相原@横木母と齊藤@オノブ母娘のハーモニーの美しさ。金村@誠二と川中@カネによる哀切極まる美しいデュエット、泉@横木と中村@藤崎の息のぴったりあった中学生コンビ。武田@金十郎の朗々たる大音声。入江@よし子は伸長著しく、上品で明るい色香があった。…と、演者一人ひとりに見せ場があって楽しい。

全公演を弾き切った山田氏はじめ楽師のみなさんの、歌と芝居に実に細やかに寄り添う演奏に大拍手。フルートのお二人、特に東氏の柔らかな音が印象に残った。

[台本・演出] 坂手洋二
[作曲] 萩京子

[出演] ラフカディオ・ハーン(小泉八雲):高野うるお
小泉セツ:豊島理恵
西田教頭:佐藤敏之
エリザベス・ビスラント:岡原真弓
アキラ(車夫) ほか:北野雄一郎
稲垣金十郎(セツの養父):武田茂
稲垣トミ(セツの養母):彦坂仁美
小泉チエ(セツの実の母):青木美佐子
柏木(山陰新聞記者):富山直人
知事 ほか:大石哲史
よし子(知事の娘):入江茉奈
為二(セツの元夫):沢井栄次
フサ(為二の今の妻):西田玲子
マティー(影の女) ほか:鈴木あかね
誠二(心中する恋人):金村慎太郎
カネ(心中する恋人):川中裕子
横木(学生):泉篤史
横木の母:相原智枝
オノブ(横木の姉):齊藤路都
藤崎(学生):中村響

[楽士]フルート:岩佐和弘(3/8・9・11・13昼夜・14・16夜・17)、東佳音(3/10・12・15・16昼)
ヴァイオリン:山田百子(全ステージ)
チェロ:中田有(3/10・11・12・14・15・17)、朴賢娥(3/8・9・13昼夜・16昼夜)
ピアノ:榊原紀保子(3/8・9・11・13昼・14・16夜)、五味貴秋(3/10・12・13夜・15・16昼・17)

[美術] 堀尾幸男 [衣裳] 宮本宣子 [照明] 竹林功(龍前正夫舞台照明研究所) [振付] 山田うん [演出助手] 城田美樹 [舞台監督] 久寿田義晴 [音楽監督] 萩京子 [宣伝美術] 小田善久(デザイン) 信濃八太郎(イラスト)

[助成] 文化庁文化芸術振興費補助金(舞台芸術等総合支援事業(創造団体支援))|独立行政法人日本芸術文化振興会
公益財団法人三菱UFJ信託芸術文化財団
[提携] 公益財団法人武蔵野文化生涯学習事業団
[後援] 小泉八雲記念館(島根県松江市) アイルランド大使館
[主催・制作] オペラシアターこんにゃく座
(2024年3月8日〜3月17日 吉祥寺シアター)

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