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シュトックハウゼン 空を歩く (Voice Duo Vol.3)

出演:松平敬(バリトン、トイ・ピアノ)、工藤あかね(ソプラノ)

曲目:
ジョン・ケージ:トイ・ピアノのための組曲(1948)
ジョン・ケージ:花(1950)
ジェルジ・クルターグ:『遊び』(1975- )より
松平敬:遊び歌(2022, 初演)
カールハインツ・シュトックハウゼン:空を私は歩く(1972)

制作協力:ナヤ・コレクティブ
主催:松平敬&工藤あかね

ケージ作品…東洋的な風合いにも感じられる不思議な音階がどこまでも揺蕩っていく。
クルターク作品…この作家がここまでケージに通ずる音響を書いていたことに驚く。ハンガリーという、東洋とも西洋とも微妙に距離がある土地によるところもあろうか。
松平作品…2人の奏者の息のあった掛け合いがおもしろい。

松平氏の弾くトイ•ピアノは、ピアニストの弾き方とはたぶん違っていて、ピアノの定石の弾き方ではなく、聴きたい音を出すことのみに集中して自由に弾いていると思う。その分、曲の成り立ちが掴みやすいと感じた。

最初に前半のラインアップをみた時は不思議な取り合わせと感じたのだけれど、前半を通して聴くと、ケージの優しげな音を基調に、ゆっくりと耳を傾けるエクササイズといった趣きがあり、後半への巧みな導入になっていた。

シュトックハウゼン…12音のセリーを骨格とする50分の大作で、一曲ごとに用いられる音が増えていく。したがって、あとの曲になるほど、旋律線が長く、動きも複雑になる。歌が育っていくプロセスをみるかのようである。

女声による煽情的な要素を含むモノローグが突然始まる、2人の奏者がさまざまな鳥になりきっての掛け合いとバトルといった天真爛漫にみえる趣向も多い(かつて「暦年」(1977)に対して激しいバッシングが起こったのも、ほとんどは趣向に向けてのものだったと推測する)。しかし、今回の舞台は観ていて白けたりすることは全くなかった。それは2人の演奏家の真摯な姿勢によるところが大きい。

加えて、聴き手がじっくり向き合えばちゃんと構成がみえてくるという作品そのものの建て付けが重要である。徐々に姿をあらわしていくセリーを中心として、構成感が明確で、当たり前のことだけれど、聴き手への配慮が感じられる。それはこの作曲家の基本的な姿勢だったと思う。奏者2人というミニマムな編成ながらシアターピースとして仕立ててあることも、観やすさに配慮したものだろう。

さまざまな発声の実験場の様相を呈する「シュティムング」(1968)と比べると、本作もホーミーをはじめとして特殊な発声法は見られるものの、用いる技法は絞り込まれている。そうして演奏者が会得しやすい形にまとめつつ、観せる作品へとシフトしたものと言える。のちのオペラ連作「光」という、大規模な劇場作品の萌芽、という松平氏のプログラム•ノートの記述に納得した。

松平氏の変幻自在で、しかし常に温かみを湛えた声、工藤氏のしなやかな声、両者が心地よく入り混じる響きにゆったり浸るひとときであった。(2022年12月4日(日)トーキョーコンサーツ・ラボ)

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