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創作大賞「ドラゴン・シード」#21

#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門

21話

 ふと目を醒ましたジンの目の前に広がるのは、広大な瓦礫の山だった。
 ビルが倒壊し、高速道路が支柱ごと折れてぐにゃりと倒れ、まるでおもちゃのように折り重なって潰れた自動車があちこちに転がっている。
 街の至る所で黒い煙が立ち登り、火の手が上がり、電線の垂れ下がった電柱は、バチバチと放電しながらうねっている。どこかで何かが爆発したような音が響き、何か大きなものが今もまだガラガラと崩れていく音がする。何もかもめちゃくちゃに倒壊し、押しつぶされ、ねじれて引き裂かれ、景色は凄惨な灰色に沈んでいる。
 ジンはその甚大な災害現場の真ん中で、いつからそこにいるのか、唖然とその光景を眺めていた。
 ――ここはどこだ? 俺は何をしていたんだっけ?
 茫漠とした意識の中、記憶は曖昧で自分がこの前後何をしていたのかよく思い出せない。
 なすすべもなく歩き始めた。しかし、行く手を阻む倒壊家屋は視界を遮り、足元に転がる様々な瓦礫が行く手を阻む。
「アァァン…」
 どこかでか細い赤ん坊の声が聞こえた。
 慌てて周囲に目を凝らし、声に耳を傾け、吸い寄せられるようにその方向に急ぐ。そしていくらもいかないうちに、壊れた壁と板の間に挟まって泣く赤ん坊を見つけた。赤ん坊の声は今にも消え入りそうだ。
 ジンはその声に急かされ、必死に瓦礫を持ち上げ、狭い隙間の中からやっとのことで赤ん坊を引っ張り出した。すぐに自分の上着に包んであたりを見回すが、親らしい人の姿は見えない。見渡す限りの倒壊現場なのだ。
 ジンは仕方なく、赤ん坊を抱えて歩き出す。腕の中でよしよしと揺らしていると、人肌に触れて安心したのか、赤ん坊はいつの間にか眠ってしまった。
 行けども行けども途切れることのない瓦礫の荒野だ。歩きにくい道なき道をなんとか進む。ふと気づくと、周囲にぽつぽつと人影が見えた。
「どなたか、この子の親御さんはいませんか!」
 ジンが声を張り上げても誰も振り向かない。みな首をうなだれ、背中を丸めて疲れたようにヨロヨロと歩いている。
 多少道が開けてはいたが、災害の爪痕も生々しい被災地は、しばらく歩くと、何年も経過したあとのように、いつの間にか荒れ果てた廃墟になっていた。陰鬱な空はますます陰鬱に陰り、地平線の彼方まで続く廃墟の果ては、薄暗い闇に沈んでいる。どうしようもなく破壊されつくされた街の跡は、なにかの巨大な生物が、無残な傷跡を晒しながら恨みがましく蹲っているように見えた。そして、夥しい瓦礫の合間には埃っぽい道だけが白く続いている。
 生気のない人々は、うつむき加減にヨロヨロとその道を辿る。誰もかれも他のことにはまるで興味を示さない。そんな人波に紛れて歩いていると、ジンは自分もひどく疲れていることに気づいた。どこかの蛇口が壊れているかのように、自分の体力がどんどん流れ出てゆくのを感じる。腕の中の赤ん坊は鉛のようだ。一旦その場にしゃがみこもうとして、誰かがすぐ横でジンより先にしゃがみ込んでしまった。見ると、男か女かもわからないその人は、深くうなだれ背中を丸めてしゃがんだまま、地面から溢れだした黒い靄にあっという間に呑み込まれた。そして、全身が急激に真っ黒に侵食されたと思ったら、ぼそっと崩れて骨だけになった。
「……っ⁉」
 座り込んだまま骸骨になったその人は、その重みに耐えかねたように、頭蓋骨だけがゴロンと外れて転がった。
 ジンは疲れた足腰を奮い立たせ、赤ん坊を抱えて再び歩き始めた。
 ブーツの下で何かが砕けたバキリという音がして目をやると、それは乾いた人間の頭蓋骨だった。ジンが歩いている道は砂利などではなく、大小様々な生き物の夥しい白骨だった。ブーツが乾いた骨を踏んで砕くバキバキという音がする。禁忌に触れて本能的に悪寒が奔るが、周囲は薄闇に沈み、ジンの前には果て無い白骨の道だけが分岐しながら延々と続いている。
 ひどく脆い白骨の道は、ジンをたちまち足首まで埋もれさせてしまう。
 バキリ、バキ、バキ……
 ジンが骨を砕いて歩く。砕かれた骨はジンを徐々に飲み込んでゆく。何度も足を取られ、つまずき、気づくと足は脛まで飲み込まれ、やがて腿まで沈んでしまった。尖った骨の欠片がジンのズボンを引き裂き、脚はたちまち傷だらけになって血を滲ませる。ジンの血が滴った乾いた白骨は、赤い血を吸い込んで再び元の乾いた白い骨に戻る。
 訳もなく虚しさに掴まれそうになった時、かすかな歌声を聞いた。この歌は、昔一度だけ聞いたことがある。濃く深く切なく重く、締め付けられるような暖かいその歌声は残酷なほど美しい。
 これは、サシャの魔法うただ。
 そうか、サシャはここにいたのか。
 延々と続く白骨の道の先を、見覚えのあるブロンドの小柄な背中が歩いてゆくのが見えた。
「サシャ……。サシャ!」
 必死に白骨の山をザクザクとかき分け、あと一歩でサシャに届こうとするその寸前、だしぬけに踏みしめていた地面の底が抜け、ジンはズボッと白骨の海に沈んだ。


◇ ◇ ◇ ◇


 ケイトが初めてヤミを見た時、恐怖で身動きできなかった。ジンがそばにいなければ、悲鳴を上げていたかもしれない。でも今のケイトは、他の感情をすべて吹き飛ばすほど激怒していた。
 ──ふざけやがって、ジンのやつ! 絶対にぶっ殺す‼
 息ができず、焼けつく闇は全身にびりびりと痛みを走らせる。目の前がちかちかして、頭がガンガンし始め、このねっとりと絡みつく闇をかき分ける力がもう出ないと思ったところで、だしぬけに広い空間に出た。元来た洞窟でもチューブでもない。薄闇の広大な廃墟だった。それは地平線のかなたまで続き、厚い曇天に覆われた陰鬱な空は、明けてゆこうとしているのか、暮れなずもうとしているのかよくわからない。
 白い地面からゆらゆらと湧き出す黒い靄と一緒に、たくさんの生き物の声が聞こえる。あまりにもいろいろな声が重なっているものだから、何を言っているのかよくわからない。そもそも、人間の言葉ですらないものもたくさん混じっている。
 ぶつぶつザワザワボソボソペチャクチャ、老若男女ひっきりなしに誰かがしゃべっている。高い声低い声、獣の雄たけび断末魔の悲鳴。
 声の混じった黒い靄が立ち昇りながら耳元を掠めると、すぐそばで誰かの囁き声が聞こえてぎょっとする。
「ほらこっちよ」
「ひどい目に遭ったんだ」
「お母さんどこ?」
「行かないで」
「話を聞いて」
「助けて」
「帰りたい」
 気が狂いそうだ。
 頭を振って声を払うと、ケイトは愛刀ではなく腿に仕込んだナイフを取り出した。
 そして何度か大きく深呼吸し、慎重に指先で位置を確かめ、最後に息を止めて覚悟を決めると、手に持ったナイフを一気に右の脇腹に刺した。
「キャアアア───ッ!!」
 誰かの悲鳴がすぐ耳元でした。
「うっ……」
「やだこの子自分で自分を刺したわ刺されたのよ怖い血の匂い私も刺された俺が刺したおまえが刺した誰かに刺された怖い痛い血の匂い血が血が血が流れるだから私は死んだ俺は死んだおまえも死ぬんだ───」
 靄が飛び交い、耳元でわんわんと大勢が叫んでいる。
「うるさい!」
 ヒィィィ───
 腹から温かい血があふれ出すのがわかる。刺したところは痛いというより熱い。その衝撃で身体がつい折れ曲がってしまう。袖を裂いて傷口に当て、雑に止血する。血はすぐにシャツに染み出してくる。
 今すぐ死にはしないが、このままにしておけば遠からず死ぬ。重症だ。
 ──頼む、サシャ……。
 ケイトの腹の真ん中が、ぼんやりと内側から金色に光り始めた。薄闇の中にケイトの顔が浮かび上がる。そしてケイトの耳の奥には、美しい魔法うたが細く聞こえてくる。その魔法うたが、ひっきりなしにぺちゃくちゃと囁く声を一掃してくれた。
 ケイトは痛みをこらえながら注意深く目を凝らした。
 過去に二度、サシャの事故を除いてこの魔法の恩恵を受けたことがある。氷狼アイスウルフにうかつにも首を嚙まれた時と、とある作戦で三人の傭兵崩れに銃で撃たれた時。
 一度目は狼の群が犠牲になり、二度目は三人の男が精気を吸いつくされて死んだ。
 サシャの魔法は、ケイトのために生きているものを逃さない。
 しばらくして、ぼんやりと光るか細い金の糸が、どこからともなく漂ってきた。それは、ケイトの腹の傷に向かって吸い込まれてゆく。
 ──ジン、まだ生きてる……。
 それはジンの精気だ。生きる者のないヤミの中で、もしまだ生きているものがあるとすれば、それはジンかフレーネだ。
 だが、危ない賭けだ。ケイトにとってもジンやフレーネにとってもこれは諸刃の剣だ。このか細い糸が消えたら、それはケイトが二人の命を吸いつくしたということだ。ケイトがそうする前に、二人に必ず辿り着き、さらにここから連れ出さなければならない。成功する可能性は極めて低い。だが何もしなければ奇跡は起きない。
 傷の痛みをこらえながら、ケイトは細い細い奇跡の糸を必死に辿った。
 歩きにくい白い砂利道からは、黒い靄があちこちから細く湧き出ている。声は聞こえなくなったが、この靄は油断がならない。蹴散らしながら先を急いでいると、砂利の中から白い欠片がパラパラと浮き上がった。それは、黒い靄に操られ、あれよあれよという間に形を作る。最後に丸い石を乗せたと思ったら、見覚えのある亜種の骸骨になった。
 ──黒猩々ブラックポンゴ
 それは、次の瞬間ケイトに襲い掛かった。
 構えていたケイトに隙は無かった。ブラックポンゴはアッサリとケイトの刀に蹴散らされ、ガラガラと崩れるとまた骨の欠片に戻ってゆく。
 それからも、道を行くごとに襲い掛かる亜種の骸骨たち。それは今まで、ケイトが殺してきた異世界の生き物の残滓だ。だから、どれにも大して力はない。刀を何度か振るうだけでどれもこれもガラガラと崩れてゆく。だが、重傷を負っているケイトの体力を確実に削っていった。
「はぁはぁ」
 とうとう道に膝をついて立ち止まってしまう。刀で身体を支えながら立ち上がろうとすると、黒い靄に操られ、次の骸骨がケイトの前で立ち塞がろうとしていた。刀を構えた。
 小さな骨の欠片が次々に寄り集まり、ケイトの目の前で形作られるそれは、人の骸骨だった。
 黒い靄が、その骸骨にかりそめの肉をつけていった。
「……サシャ」
 長いまつ毛に縁どられた瞼が開き、懐かしいサシャの青い眼がケイトを見つめた。
「お姉ちゃん……」
「サシャ!」
 駆け寄ろうとして、サシャの掌が止まれというように、まっすぐケイトに向けられた。
「なぜ来たの?」
「な、なぜって、ジンが……」
「ジンは私のものよ。わかってるでしょう?」
「……っ」
「独りぼっちでずっとここにいる私のために、ジンは来てくれたんだわ」
「サシャ……」
「ジンは、男性恐怖症で学校へも行けなくなった私が、唯一心を許した男性ひとなの。知ってるでしょ?」
 ケイトの脳裏に、過去の映像が蘇った。
 まだ年端もいかないサシャが、学校帰りにボロボロになって帰って来た時のこと。ケイトは友達と約束していて、サシャを置いて先に帰ってしまった日のことだ。
 スクールバッグの中身はめちゃくちゃで、服が引き裂かれ、スカートから伸びた細い足には、血が滴っていた。
 その日以来、サシャは学校に行けなくなった。
 自分のせいだと思った。
 それから間もなく、ケイトはゴッシュの傭兵部隊の門を叩いた。妹を守るためには、自分が強くなるしかないと思った。
「私にはジンしかいないの! お願い、お姉ちゃん、帰って」
 サシャの両目から涙が零れる。
「……わかった」
 刀を鞘に収め、元来た道を戻ろうとしてサシャに背中を向けた。
 ケイトの後ろでは、真っ黒な目のサシャの口が、不気味にニヤリと弧を描き、全身から漂う靄が大きく膨らみケイトに襲い掛かろうとしていた。
 ケイトの腹の傷に流れ込んでくる金の糸が、痛みとともに一瞬強く光った。
「……っ」
 クルリと後ろを振り返ったケイトは、瞬時に抜刀した刀を振り抜いた。
「おまえはサシャじゃない」
「キャアアアアア──!!」
 偽物のサシャは、靄とともに粉々に砕けて霧散した。
 血濡れのシャツを抑えながら、ケイトが肩で息をしている。その頬は涙に濡れていた。
「サシャはずっと私の傍にいる……」
 涙を拭って顔を上げると、偽のサシャがいた後ろに、何かの大きな白い塊がそびえていた。近づいてみると、それは骨の欠片が集まってできた檻だった。そして、その中に囚われていたのはジンだった。
「ジン⁉ ジン!」
 ケイトは刀の柄で骨をバキバキと砕きながら、必死にジンを引っ張り出した。血の気のない顔色で虚ろな目は何も映していない。
 全身をゾッと悪寒が奔った。
「ジン! 目を覚ませ、ジン!」
 いくら呼び掛けても頬を叩いても反応がない。
 こうしている間にも、黒い靄が二人を取り巻こうとしていた。
 ケイトはジンの腕を取り、肩に担ぎ上げた。意識のないジンの体重がまもとにケイトにのしかかる。ケイトの傷口から血が溢れ出し、ジンから流れ込んでくる命の糸が太くなる。
「うぅ、ジン……!」
 ジンは死体のように冷え切っていた。ケイトはジンを担ぎながら歩きだした。
 「くそ、ジン、歩け!」
 必死に呼びかけると、ジンは虚ろな目のままかろうじて脚を動かした。
 心底ほっとした。
 しかし、薄闇に閉ざされた荒廃した荒野の中、どこを歩いていけばいいのか正解がわからない。白い道はいくつもの枝に別れている。
 考えなしに飛び込んでは来たものの、実体のないヤミの中に閉じ込められて、いったいどこを目指せばいいのか。そもそも出口があるのか。
 必死にジンを担ぎながら、とりあえず、ザクザクと音を立てる白骨の道を歩き出したケイトの目に、小さなものが白くちらりとよぎった。それは、小指の爪ほどの大きさだ。チラチラとたなびくその小さく儚いものは、こっちだというようにケイトをいざなった。
 ケイトは迷わずそれを追った。
 いつの間にか、辺りは真っ暗闇になっていた。それでも、小さくたなびくものを追いながら歩いていると、やがて小さな小さな光が見えて、ふわふわとオーブがかすめてゆく。いつの間にかどこかのチューブに繋がったのだ。馴染んだその感触を頼りに、しゃにむに進んでゆく。ジンがガクッと膝を折った。そのはずみにケイトも引っ張られて倒れてしまった。
「うわっ……!」
 何とか立ち上がり、再びジンの腕を肩に担ぎ、右手で腰のベルトを掴んで引きずるようにケイトが歩く。腹の傷から再び血が滲む。これ以上時間をかければ、今度はケイトがジンの精気を吸い尽くしてしまうだろう。その前に何としてもここを抜け出さなければ……。
 膝ががくがくと震え目の前が霞む。肺が熱を持ち、喉から出る息はヒィヒィと干上がっている。
 様々な思い出が脳裏をかすめた。
 ジンがうちに来るようになって、サシャと三人で囲む食卓が何よりも楽しかった。
 作戦中は滅多に感情を現さない冷ややかなジンと違って、サシャに向ける優しく穏やかな笑顔を見ているのが好きだった。
 その笑顔に応えるサシャの笑顔は美しかった。
 ジンが季節の果物と一緒に買ってきてくれた花を、戯れにケイトの髪に挿して、案外真面目な顔で「似合うぞ」と言われたときは、柄にもなく顔が真っ赤になってしまった。
 そんなケイトの頬を、ジンに指先でそっと撫でられたとき、胸をぎゅっと掴む甘い痛みに息が止まりそうになった。
 サシャに向ける笑顔が、自分にも向けられる幸せを、ケイトは密かに噛み締めていたのだ。
 一歩一歩前に進みながら、次々に溢れ出す涙が止められない。
 ──死ぬな、ジン。
 遠くに明かりが見える。
 オーブがそこで引き返してくる。
 その明かりが徐々に目の前に広がってゆく。
「はぁ、はぁ……。ジン、もう少しだから」
 腹の傷から滲む血の量が少なくなってきた。おそらく塞がってきているのだ。それに比例するようにジンの動きはますます重い。これ以上ジンのそばにいるのはマズい。
 早く、早くあの出口へ───。
 やっとのことでチューブの出口に辿り着き、ドッと二人で地面に転がったとき、ケイトの足首に黒い何かがパシッと巻きつき、再びチューブの中に引き摺り込まれた。ヤミの触手だ。
「うわっ」
 ザザザッ――
 中に引きずり込まれながら引っ張られまいと必死に地面をかきむしる。「くそ!」
 ジンはチューブの向こうの地面に投げ出されたまま気を失っている。
 その顔がどんどん小さくなり、闇が深く光が遠くなり、ああ、もう二度とジンには会えないんだなと思ったとき、深く鋭い悲しみがケイトを貫いた。
「ジン……!」
 と、ケイトを取り巻く金の光のリボンが、鞭のようにしなってヤミの触手に絡みつき引きちぎった。
「行け!!」
「ッ!!」
 ケイトはその瞬間を逃さず、弾かれるように地面を蹴ってチューブから転がるように飛び出した。
「ウオォオンッ」
 背筋が凍るような低い唸り声とともに、デスが名残惜しそうにチューブの奥に消え、その入り口も消えた。
「はぁはぁはぁ、サシャ……。サシャ!!」

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