非ロジカル人間がセルフレジから学ぶ問いの立て方
発端
今朝ネットニュースでこのツイートを見て、確かにと思った。
コンビニで有人レジが長蛇の列で
— ヒャダイン こと 前山田健一 (@HyadainMaeyamad) February 19, 2025
セルフレジがガラ空きなこと
よくあるので理由を考えてみた。
1.セルフレジの存在に気づいていない
2.現金対応してないから
3.タバコやホットスナック等有人が必要
4.セルフレジの操作が面倒
5.セルフレジ、生理的になんかやだ
これくらいしか思いつかない。…
筆者は所謂コミュ障の類なので、セルフレジが大好きである。
言われてみれば有人レジに長蛇の列ができているのと同時に、セルフレジが空いている状況には度々遭遇し、ストレスなく会計を済ませ退店することは日常的である。だが、この状況に対して理由を考えようという発想に至ったことはない。
「問いを立てる」という行為について
思考力に自信のない筆者は論理的思考がどうこうといった本を読む。この類の本にはしばしば「問いを立てて初めて思考が始まる」といったことが書かれている。思考力向上のために問いを立て、それに対する答えを考えることで思考の訓練ができるといった内容だ。これを読むと確かに!と思うし、日常生活で問いを立ててみよう!という気持ちにもなる。
しかし、筆者含め思考力に自信がなく悩んでいるような人間は問いをうまく立てられないまま時間が経ち、問いを立てようとした気持ちすらも忘れてしまう。そして再度自分の思考力のなさを感じる出来事が起き、同様のことを繰り返す経験はないだろうか?(もしかしたら筆者以外ないのかもしれない)
問いを立てる効果
先に挙げたツイート(ポストではない)は筆者が日々遭遇する状況に対して見事に問を立てていると思う。(できる人からすれば当然というかあまりにレベルの低い話だろうが)
一方で考えられている理由はどうだろうか。問が与えられればある程度思いつきそうなことが挙げられているように感じる。(ツイ主を馬鹿にしているわけではないことだけは断っておく。そんなふうに受け取る人はいないと思うが)
このことから、やはり問いを立てることは思考を始めるきっかけとして非常に高い効果を発揮することが伺える。
何を自己啓発本に書かれていることをごちゃごちゃ言ってるんだと思うかもしれない。本題は以下である。
どうして筆者は身近な事象に対しての問いを立てられないのか?
現在進行形で困っている。
正確に言えば全く問いを立てられないわけではない。
自己啓発本に感化され問いを立てようとしていた時は、「トイレはなぜすべてこの形なのだろう」などと考えたりもした。しかし、この問いに関しては答えを考えるのも難しく、それでいてその答えの検証も難しいと感じ結局放り出してしまった。
しかし今回のツイートの例では、比較的答えとして妥当かつ検証可能(聞けば一発)な仮説を考えるのも容易であり、非常に質の良い問いだと感じた。(あくまで思考力の低いよわよわ人間から見てであるが)
筆者自身が日常的に馴染みのある光景に対するものであり、立てられてもおかしくない問いであった。
この問いに辿り着けない理由を考えることで、問いを立てられるようになるのではないか?と思う。いくつか思いつく理由を検討してみる。
ⅰ)身の回りの事象に対するセンサーが働いていない
一つ目は、身の回りの事象に対する感度の低さである。所謂知的好奇心の問題だと思う。物事に対して自然と「なぜ?」を問えないのは端的に興味がないからで、これができないことが思考力が向上しない大きな要因なのかと思う。
これに対する対策(?)としては分野問わず本を読むなり、経験を積んでみるなりすることで、強制的にアンテナを張るのが良いのではないかと思う。
筆者は成り行きで軽自動車について調べる機会があったり、ふと思い立ちビットコインを購入した経験がある。こうした経験の後では、道ゆく軽自動車を目にすれば認識をするようになったし、仮想通貨のニュースがあれば少し興味が湧いたりもした。身の回りの事象に対する感度をあげるための一つの施策としては良いのではないかと思う。
ⅱ)ノイキャンイヤホンをしている
日常を思い返してみれば、外出時はイヤホンをしてぼけっと歩いていることが多く、自ら情報を遮断してしまっていることが多い。ノイキャンをしていることで聴覚がほぼ100%イヤホンからの音声に捧げられることで、意識が聴覚に持っていかれている感覚がある。(初めてAirpods proを使った際にふらついてしまった記憶があるが、これが原因かもしれない。全然詳しくないので違うかもしれないが)
意識が何度も繰り返し聞き、新しい情報が得られない音楽に向けられることで、情報が入って来にくくなり、自然言語の音声が流れてくることで、さらに思考がまとまらないといったこともありそう。
これに対する対策としては、ノイキャンイヤホンをしないということになるだろうか。(ロジカルシンキングでいうところのコインの裏返しではあるが)
結び
もう少し理由を挙げられるとは思うが、疲れたので一旦終わりにしようと思う。(この思考体力の無さ、どうにかならないかな…これについてもいつか考えてみよう)
正直上記の理由は、途中から「身の回りの事象への情報感度の低さ」の理由にすり替わっている気がしないでもないが、覚えていたら実践して結果をまとめてみたいと思う。