見出し画像

3分で読める短編小説集・第3話「もう大丈夫だよ」

第3話「もう大丈夫だよ」

「お父さん、男の子がおしっこしに来た!知らない子だよ!」
4歳になったばかりの雄介が叫んだ。
トイレまで急いでいくと、そこには友宏がいた。
「お父さん、久しぶり。トイレ借りるね。」
僕は驚きで膝から崩れ落ち、ガタガタと震え、泣いた。

・・・

友宏は、5年前に死んだ。というか殺された。誘拐犯に。
だけど実際に殺したのは僕であるようなものだ。
僕の不注意で誘拐されてしまったのだ。

よく小説やドラマに出てくるような、身代金を要求するような犯人は、実際は少なくなっている。
誘拐し、体をもてあそんで、殺す。
それだけが目的である愉快犯が多いのだと警察の方が言っていた。
実際に友宏の遺体は、見るに堪えないほど損傷していた。

誘拐された後、僕ができることは何もなかった。
余計に悔やんでも悔やみきれないし、おぞましい場面を何度も想像しては、嘔吐した。
それが5年経った今でも続いているのだ。
夫婦ともに心的外傷後ストレス障害を発症し、精神科に通っている。
犯人は犯行後に自殺したため、怒りをぶつける対象までも失ってしまった。

寝ていても、いまだに友宏がとなりで寝返りを打っているような気がして、何度も夜中に起きて左どなりを見る。
それで、ああ、やっぱりいないのかと思って、また喪失体験をする。
時がたてば癒える類の悲しみではない。
僕が生きている限り、その悲しみは繰り返され、塗り替えられ、増幅する。

だって、僕が殺したのだから。守ってやれなかったのだから。

・・・

1997年7月、ある日曜日。
友宏と僕は近くの公園でサッカーをしていた。
友宏は6歳で、次の4月から小学校に行く。
サッカーを見るのが好きで、小学校ではサッカー部に入りたいと言っていた。
一年生で部活に入るのは少し早いのではと思ったが、僕は彼が自分で物事を決めることができるようになっていることに喜びを覚えていた。

トイレに行きたい、と言い出したのはお昼前だった。
家が近いのでお昼ごはんは家で食べる予定だった。

トイレはボール遊びができるスペースとは離れた、水道局の建物の裏にあった。
公園のトイレにしては、清潔感のあるものだった。
油断はそこから生まれたのかもしれなかった。

やっと立小便ができるようになった友宏と一緒にトイレに行き、待っていると、なんと自分ももよおした。
しかも大の方だ。友宏に終わったら手を洗って待っているように伝え、カギを閉めてトイレに入った。

排便が終わり、出てくると、友宏がいなくなっていた。
特に声もしなかった。
それが、彼との永遠の別れとなってしまった。

なぜ僕はあの時、友宏から目を離してしまったのだろう。
考えるだけで心がつぶれそうになるから、あまり考えないようにしている。

・・・

さて、友宏がこの世に帰ってきてから、すぐに雄介とは仲良くなったようだ。
心がざわざわするが、サッカーをいっしょにしていることが多い。

・・・

一か月ほど経ったある日。

友宏が公園に行きたいと言った。
5年前と同じ公園だ。
そこで雄介とサッカーをしたいと。

僕は最初断った。完全に自分の心を守るためだ。
しかし子供たちの熱に負けて、行くことになった。

そしてお昼前、覚悟はしていたが、友宏がトイレに行きたいと言った。
揺さぶられる心を隠せずにいたが、彼は僕の手を引いた。

今度は間違えない。友宏のそばにいるんだ。

友宏は立小便を終え、手を洗い、僕に抱き着いた。

僕は、すべてを察した。

「お父さん、もう大丈夫だよ。苦しかったね。」

「うん。ありがとう。ごめんね。愛してるよ。」

ずっと伝えたかったことを伝えた。
生きていれば、毎日言えるようなことを・・・

そして、驚くほど一瞬にして、友宏は消えていった。

友宏を抱きしめたのは僕だけではない。
僕にしっかりと手を握られた雄介もまた、彼を抱きしめた。
友宏が消えてしまうと、今度は雄介を抱きしめた。

もう、絶対に離さないよ・・・

僕は、泣いていた。

いいなと思ったら応援しよう!