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3分で読める短編小説集・第2話「無言の生活」

第2話「無言の生活」

「行ってきます。」
僕の声が玄関に虚しく響く。
妻や子供たちはある時から、僕に挨拶を返してくれなくなった。
それどころか、日常会話すら無い。家にいても無視され、一言も喋らない日が続いていた。

その日々が始まった「ある時」というのは、つまり、僕が悪いのだけれど、なんていうか、そう不倫だ。
当時はまさに修羅場だった。妻は荒れ狂い、高校生と中学生の娘たちは僕を軽蔑した。
当たり前だ。裏切ったのだから。でも、無視され続ける毎日に、僕は疲弊していた。

・・・

良く聞く言葉だけれど、運命というのは、正しいことなのか、間違っていることなのかわからない。
その事象の渦中にいると、なおさらわからない。

とにかく、別れてからちょうど1年が経ったとき、僕と絵里は再会してしまったのだ。

「元気?」
絵里は言葉が他に見つからないといった顔で聞いてきた。

「見たらわかるだろ?最悪だよ。」
僕は言う。

「ご家族は元気?」
目を伏せながら絵里は言葉を続けた。

僕は少し頷いてから、
「もうみんな僕のことなんて居ないように接してくるんだ。まあ、しょうがないんだけどさ。」
と、言った。

それからその日、まるで別れた日から計画的にプログラムされていたように、僕らは肌を重ねた。

・・・

「ただいま。」
やはり返事はない。諦めて、夫婦別室となった寝室に向かい、風呂にも入らずベッドに潜り込んだ。

玄関のチャイムが鳴ったのは次の朝7時のことだった。

「ピンポーン」
間延びした、それでいて胸を刺すような音が、シンと静まり返った家に響き渡った。
眠い目を擦りながらパジャマのままでドアを開けると、そこには警察を名乗る小柄な男が立っていた。名前は芝原だという。

「すみません。少しお話し聞かせてもらえますか?」
色彩の無い声で芝原は言った。

「何か近所であったんですか?」
思い当たる節は無かった。

「実は、ご近所の方から、あなたのお宅から異臭がするという通報がありましてね。少し中を見せていただけませんか?」

意味がわからなかったが、断る理由も無いので中に入ってもらう。公務執行妨害やらなんやらになるのは嫌だった。

芝原は廊下で少し佇んでから、迷いなくキッチンのある部屋のドアを開けた。微動だにせず、目を合わせることもなく芝原は僕に言葉をかけた。

「あなたはこの状況で平気だったのですか?」

ん?何を言っているのかわからない。

「これは・・・おそらく亡くなってから少なくとも1年以上は経っているでしょう。」

芝原はダイニングテーブルに座っている3人の家族の方を向いてつぶやいてから、僕の方を振り向いた。

「これだけの血の海だ。あなたが気づかなかったわけがない。それともこの3人のご遺体と、あなたは暮らしてきたのですか?」

その瞬間、頭を殴られたような衝撃があった。そして僕の記憶は、いつもとは違う回路を通って、正常な道に戻った。ああ、そうだ。思い出した。

僕が彼女達を殺したのだ。絵里との恋を守るために。

食事をしていた家族を、包丁で何度も何度も刺した。そう、何度も何度も。記憶はスローモーションだ。返り血の温度、味。

そしてそれからは、彼女達の死体と一緒に生活してきた。何も無かったかのように、平凡だが幸せな生活を続けるために。

だけど僕がそれを壊した。僕はその事実から逃げていたのだ。事実は僕の心理の奥底に深く深く沈んでいた。自分でも全く認知出来ないまでに。

「夏村さん。任意同行をお願いしたい。殺人及び死体遺棄の疑いです。」

「分かりました。」

僕は頷き、それから家族に、

「行ってきます。」

と言った。

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