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どちらかと言うと憂鬱。
今日は私の不妊治療について少し。
経験者であれば、きっと誰もが一度は抱いた事があると思う。
周りの妊娠、出産報告
街で見かけるマタニティマーク、子連れ家族
それらを目にして
“羨ましい”
という感情。
それは日に日に大きく
そしてドロドロとした黒い感情に変化する。
“どうして私だけ”
“こんなに望んでいるのに”
“こんなに頑張っているのに”
「今月こそは」と期待しては裏切られ
絶望して、落ち込んで
「次こそは」と立ち上がって
また期待しては裏切られ
それを月単位で何度も繰り返しているうち
なんだか自分が女性として“ダメ”な気がしてきて。
月単位と言うことは、1年で12回。
ガッカリする回数が増えれば増える程
年齢的に焦りも増してくる。
それらが追い打ちをかけるように重なり合って
“いいな”
“私ももうすぐ”
と初めは純粋だった羨望の気持ちを、ドス黒い“別の何か”へと変えてしまうのだ。
私も辛くて、何度も涙した。
けれど、今は比較的落ち着いている。
仕事を辞めて、心身共に余裕が持てているからだろう。
勿論、お金の心配や
求職活動への不安もある。
けれども、ハローワークを利用して失業保険を貰う間
少なくともその約半年間は、治療に専念出来る。
逆に言えば
それでダメなら、働きながらでも同じ事。
「あの時仕事を辞めていれば」という後悔はせずに済む。
それが私の黒い感情を、当初の綺麗な羨望の感情へと戻してくれた。
元々、私達夫婦が治療を始めたきっかけ。
それは「今やれる事を、やれるだけやってみたい」
ただそれだけだった。
何もせずに「あの時ああしていれば」「こうしていれば」と後悔するのだけは嫌だった。
もしも結果が伴わなかったとしても、“あの時 私達はやれるだけやった”という自信が欲しかったのだ。
勿論、先の体外受精までを考えると
金銭的に難しいかも知れない。
けれど、何もせずに後悔するよりは
せめて今の私達の身の丈に合った治療だけでも
チャレンジしてみたいと思った。
実際、治療に必要な検査をするだけでも
自分の体の事を知るいい機会となった。
悪い所を知って、それに対する治療をする。
それは漠然と感じていた大きな不安を、少しずつ小さくしてくれた。
だから今は、「ダメならダメで仕方ない」
そう思えるようになった。
それはこの、行きにくい世の中のお陰もあるのかも知れない。
今はただ、これから出産予定のママパパさん達や、子育てを頑張るママパパさん達を応援したいと純粋に思えるし、私がいつか通るかも知れない未来の勉強にもなる。
もしも私達に子供が出来なかった時は、“私が経験出来なかった事を代わりに経験して貰っている”と思える。
けれども、ずっと消えない気持ちがあるのも事実で。
それは「私がもっと若ければ」と言う悔しい気持ち。
何をどんなに頑張っても、時間だけは戻らない。
せめてあと5年、早くに夫と出会っていれば…
欲を言うなら、あと10年早くに出会いたかった。
そうなればそれはそれで、もしかしたら結婚には至っていなかったかも知れない。
なんなら付き合ってすらいなかったかも知れない。
夫の前で、その悔しさに涙した事もある。
けれど、それが今の私達。
治療と同じ。
現実を受け入れなければならない。
今周期も駄目な気がする。
いつもの生理前の症状が出ている。
きっとあと数日で生理が来てしまう。
子供を諦めきれない自分がいるのに
毎月傷付くのが嫌で
期待する事を諦めてしまっている。
ドス黒い感情は薄れているけれど
同時に“期待”という輝きも失いつつある。
妊活中の方がよく使う“そわそわ期”
初めの頃は文字通りそわそわしていた。
少しでも気になる体の変化があれば、すぐに検索してみたり。
生理が遅れると「今度こそ妊娠している気がする」とわくわくしていた。
早く検査薬の反応する時期にならないかと、何度も生理予定日を確認した。
しかし実際は、ただの生理不順で。
自分で「この辺だ」とタイミングをとった日には、寧ろ排卵すら出来ていなかったのだ。
毎月決まった周期で、しっかり生理がくる人が羨ましい。
そう思っていたし、何の苦労もなくすっと自然妊娠できる人が本当に羨ましかった。
私の母も、若い頃生理不順で。
なかなか子供が出来ず、病院で排卵誘発剤を処方して貰ったと言う。
当時は勿論、今程不妊治療が世に浸透していない時代に。
しかし、そんな母ですら
薬を処方して貰ってすぐ、たった一周期で私を身篭ったらしい。
それなのに私は…
“年齢”という大きな壁が
私に大きくのしかかってくる。
母は当時、今の私よりも10歳近く若かった。
昔はそれでも、遅いくらいだったのだ。
今の私にとって“そわそわ期”は
受験の結果発表を待つ間のそれのよう。
いや、きっとそれよりも不安の方が遥かに大きい。
同じように表現するなら“もやもや期”といったところか。
周りに対しては応援したいと思えるようになったのに。
自分に対しては
どちらかと言うと憂鬱。
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