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今はただ 信じるだけ。
指を切った。
仕事中、包丁で。
ゴム手袋を外してみると、血がどんどんと溢れてくる。
私は血が苦手だ。
小学生の頃
友達と外で遊んでいる最中に、転んで膝を怪我したことがある。
子供ならよくある事だ。
だが、その傷をじっと見つめていると…
だんだん視界が黄色くなってきて
気分が悪くなってきた。
帰り道、足元がずっとふわふわしていたのを覚えている。
中学生の時、家の包丁で指先を少し切ってしまった。
じわ、と血が溢れてきたので
とりあえず流水で流してみた。
水で綺麗に洗い流された指先。
しかし、すぐ様じわりと 滲み出る真っ赤な血。
じっと見つめていると、これまた視界が黄色くなって
立っていられなくなるくらい、目の前がぐるぐると回り始めた。
忙しい中 こんな事で先輩の手を止めてしまうのは気が引けてしまったが、飲食店という現場で怪我は一番気を付けなければならない。
黄色ブドウ球菌なるものが危険だからだ。
とりあえず近くにいた先輩スタッフに報告し、絆創膏を用意して貰う。
2枚重ねで巻いてくれた。
ゴム手袋も2枚重ねの指示。
ただでさえ 慣れない仕事に時間がかかって
やらなければならない事が山積みになっている。
焦っていた。
解凍が間に合わず、半分凍った状態の鶏肉を捌いていく。
凍った鶏肉は 想像以上に扱いにくく、余計に時間もかかっていた。
痛む指先に構ってなどいられない。
なんとかその日の仕事を終え(残りは社員さんが何とかしてくれることになった)、恐る恐る2枚重ねのゴム手袋を外してみる。
二重に巻いた絆創膏は、見事に真っ赤に染まっていた。
大丈夫。
あとは帰りにスーパーで買い物して、帰宅するだけ。
職場もスーパーも 家の近くで助かった。
今日は夫も休みで出かけている。
予め夕飯は外で済ませてくると言われていたので、帰って制服を洗濯して
そのあとは1人でゆっくり出来る。
幸い 次の日はパートも休みだ。
帰宅後すぐ、真っ赤に染った絆創膏を外し
キズパワーパッドに貼り替えてみた。
未だ少し血が滲んではいるが、防水機能的にも見た目にも 絆創膏よりはマシだった。
少しでも触れると、思わず声を上げそうになるくらいには痛む患部。
ただ 昔の様に貧血(正式には迷走神経反射と言うらしい)で倒れる、という事はなかった。
心身共に疲れきっていた私は、16時過ぎ (かなり)遅めの昼食をかき込んだ後
洗濯などひと通りやることを済まして、(恐らく18時頃)気付けばいつの間にかソファーで眠りについていた。
目を覚ますと、20時を過ぎていた。
慣れない仕込みの仕事。
調理の仕事も仕込みの仕事も
まだ4回ずつ程度。
1日4~6時間。
付いてくれる先輩(教育係)はいない。
初日と2日目にざっと説明され
そこからは「とりあえずやってみようか」方針。
毎回違う人に教わる為、教える側もどれを教えれば良いのか分からないようだ。
進んで教育してくれると言うよりは、分からなければ近くにいる人にその都度質問すると言う感じ。
全ては教えて貰えそうにない。
教育係を付けるとなると、シフトの調整が難しかったり
余分な人件費がかかることは分かっている。
けれども
自分にも周りにも、あまりに余裕が無さすぎて
いきなり1人で放り出される不安。
仕事への楽しみやワクワク、達成感などは微塵も感じず
常に「これで合っているのだろうか」と1人不安と戦いながら
“分からない事”が分からない完全手探り状態の中
唯一「自分のせいで色々な人に迷惑をかけている」という事だけは理解している。
皆の足を引っ張っている、罪悪感。
「入ったばかりで当たり前だ」と割り切れれば
まだ幾分マシだったのかも知れない。
ただ、急に1人で放り出される現場に
「出来なくても(分からなくても)やらなければ」と
結果いつも半ば強制的に追い詰められる。
出勤前はいつも前日から
極度の緊張と不安で憂鬱になる。
それは恐怖にも近い感覚。
このまま必死に“今”を耐え続ければ、いつかはこの感覚が薄れていくのだろうか。
神様はいつか、こんな私に ご褒美をくれる日がくるのだろうか。
今はただ
信じるだけ。
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