初投稿
僕はフリーライターをしている。
もともと戦国や幕末などを取り扱う日本史のライターとして独立したものの、なかなかそれだけでは食べていけなかった。というより、ほとんど仕事にありつけなかった。ありがたいことに、今はご縁があって週刊誌やネットなどのメディアで時事問題やエンタメなど幅広く書く機会をいただいている。そんななかで、日本史関係もちょっとだけ書かせてもらっている。
残念ながら、それらは僕だから書けるというものではない。日本史を専門とする研究者ではないし、別の題材にしたところで、取材しているからといって、好きなように書けているわけでもない。媒体の特色や編集者の考える方向性などの都合で、さまざまな着地点がある。蓋を開けてみたら、僕が思ってもいないような内容に落ち着く場合も珍しいことではない。決して嘘を書いているわけではないが、「このテーマで大切なのはこの部分ではないか」と重視している点が違っていることがままある。これはどちらが正しい、間違っているといった単純な二元論でなく、あくまでそれぞれの視点により、複数の解答があるということで、それは自覚しているつもりだ。
ライターという職業に憧れる人々が、今の時代にどれほどいるのかは分からない。10年くらい前に同業者に聞いた話では「ライター志望の若手がほとんどいないので仕事にあぶれることは今のところないけれども、後輩がいないのは寂しい」ということだった。小説家ならまだしも、昨今のメディア不信も相まって、ライターだとかジャーナリスト、エッセイストなどのなり手は減少の一途を辿っているのかもしれない。SNSが普及し、誰もが発信者となれる時代も背景にあるだろう。
少なくとも僕にとって〝書き手〟は10代の頃から憧れてきた職業だ。自分の文章が巧みであるとは少しも思えないが、ありがたいことに、書いて、多少のお金がもらえるという環境に今はいる。しかし一方で「本当はこう書きたい」「人々の関心がなくてもこれを書きたい」というワガママな欲求が常に胸に渦巻いている。
そんなわけで、僕にとって「書きたいことを書きたいように、書きたいだけ書く」という場所を作るために、noteという媒体を選ぶことにした。
一口に「書きたいこと」といってもさまざまある。ただし、本業のフリーライターで見聞きしたことをそのまま書くわけにはいかない。それは媒体の力で取材できたものであるし、相手方の事情もあるし、「誌面には載らなかったけど、こんな話も聞いている」というのは、多少の需要はあるかもしれないが、やって得をするのは僕くらいのものだからだ。
時折、芸能人に話を聞くこともあるので、裏話的なものを求められるのは想定できる。それは重々、承知の上だが、それもやらない。芸能人にインタビューしても、ネットを騒がせるような話はそもそも聞いていないし、仮に聞いていたとしても、わざわざ公の場に書くような分野の書き手ではない。
そこで、本名を離れて、別の名前でやることにした。
これまでいくつかの週刊誌や月刊誌、書籍、ネットメディアなどに原稿が掲載されたことのある書き手ではあるが、残念ながら誰も名前を知らない、売れていない無名のライターである。それら駄文はいったん脇に置いておいて、イチから、新しい名で自分の「書きたいことを書きたいように、書きたいだけ書く」という欲求を満たすつもりで、noteを始めることにした。
何を書くか。考えていることはいろいろあるけれども、まずはちょっとずつ書きながら、noteという媒体に慣れていくことを目指していきたい。ゆくゆくは、本業とは別に僕が見聞きしたもの、調べたものを有料記事という形で書いていくつもりだ。
誰かの胸に響いたり、考えるきっかけになれるようなものをお届けできたら、と思っている。