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続「ACTからオープンダイアローグへ」に参加して 二極化する精神科医療と自分はどうしたいのか

前回は高木俊介先生の研修会「ACTからオープンダイアローグへ」に参加し、
ACT-Kの活動がAnticipation Dialogue:未来語りのダイアローグにたどり着き、活動が次なるステージに向かうことができた、というところまででした。

今回は、そのACTの現状や精神医療の現状から、
これからの精神医療や自分自身がどうなっていくのかを考えたことを書いてみます。


|世界の、日本のACTのこれから|
研修会の中で、
アメリカでACTの生まれてきた背景とその歴史的経過、
フィンランドでOpen Dialogueが生まれて発展してきた経過、
そして世界と日本の精神医療の歴史的経過が語られ、
世界の精神医療の脱施設化は好景気による財政的裏付けがあって可能になった、
と語られます。

ACTにしても、Open Dialogueにしても、
医療のなかの枠組みではなく、
より大きな国としての医療- 福祉の取り組みであり、
政策として取り組むものであり、事業としてスケールすることは難しいものだと思います。
そしてこれからの日本では「にも包括」がその役割を担っていくように考えられているようです。今のところの計画では。

しかしながら、現在とこれからの日本には、欧米諸国で脱施設化を進める力となった好景気に支えられた財政の力は望めません。
この事の影響も含め、今後の日本の医療や福祉がどのようになっていくのだろうか、といろいろと考えさせられますが、
未来の予見はちょっと私の手には余るので、どうなるんだろうなぁ、で止めておきます。


|カジュアルに、膨れ上がる日本の精神医療の行く末|
もうひとつ気になることは、
この2000年以降の四半世紀で、日本の精神科の通院患者が300万人から600万人に激増していること、その影響です。
最近のよりカジュアルな精神医療化の流れとその濫用、精神医療ユーザーの増加がその理由でしょう。

”うつ”、”パニック”、”トラウマ”といった言葉がカジュアルに使われ、
自分にとって少しでも不快なことがあれば”ハラスメント”を言い立て、
”残業=ブラック企業”などと決めつける、
不快なものはすべて排除できると捉える幻想を信じるような状況が起きています。
そしてその幼稚な万能感(自己愛)の傷つきに対して使用されるのが「うつになった」という安易な精神医療化という手段です。

「リモート診察で即日休職診断書発行可能!」とうたうメンタルクリニックの広告はその典型です。
「そんなものに安易に手を出して、その利用者のその後の人生はどうなるのだろう?」という心配は、覚せい剤などに手を出して人生を狂わす者への心配とほぼ同じです。
自己責任ではあり、手を出す利用者は愚かですが、その提供者は悪辣としか言いようがない。

もちろん、そんな広告の業者はNoisy Minorityであり極端な最悪の外れ値ではありましょうが、それが精神科医療であるとして時代の流れを作ります。
その「うつになった」利用者が「うつですね、お薬をのみましょー」と15分の初診で処方されて服薬したとして、もちろん薬の効果などありません。

しばらく会社を休んだだけで回復したり、「こりゃなんかおかしいぞ」と冷静になれる方は良いけれど、
そうなれずあらゆる不快な「人生の課題」を治療可能な「病気の問題」として誤解?してしまう「精神医療ユーザー」があふれています。
それが300万人から600万人に増えた精神科患者数となっています。

そのクリニック(運営企業)は目先で収益が上がり、眼前のユーザーが喜べばそれで良いのかもしれない。
しかしそのように精神医療?が使用され、消費されるその陰で、いま確実に進行しつつあるのは、精神科医療の価値の棄損です。
代替医療とまでは行かないまでも、二流医療、医療の紛い物になっていきつつある。
今でも精神科特例によって精神科入院医療は二流医療とされているわけで、それが外来でもより明確な形になっていくのかもしれません。
「精神医療はマッサージの様なもの」として消費される未来です。

|ファストフードとフルコース料理の様な二極化|
しかし、精神病者や本当に重症の患者さんを治療する精神医療がなくなるわけではありません。
そう考えると、
カジュアルな消費されるサービスとしての精神医療?と、手のかかる取り組みとしての精神医療とに二極化していくのでしょう。
お手軽なファストフードと本格コース料理のどちらもが成り立つように。

Open DialogueもAnticipatien Dialogueもお手軽ではありません。
多職種チームにより、手間も暇もかけた本格コースです。
望めば手が届く存在にはなるでしょうが、
利用する側もそれなりにドレスコードや時間、そしてコストをかけて取り組む必要があるものになるのでしょう。

救急車を有料化し、利用者に覚悟やコストを求める動きがニュースともなっています。
これからは利用者が医療の必要性について見極める力が求められるということでしょう。
サービスとして消費するだけのつもりの利用者に「取り組む覚悟」を求めていくこと、その医療を受ける知識、受療教育、プレ患者教育がなされるようになってくるのかどうか。
それがACTや「にも包括」の未来に大きくかかわってくるように感じました。

|で、自分は|
そしてその二極化する精神科医療の中で、私自身はどのようにサバイバルしていくのか。
徒に悪貨に駆逐されるのは、しょせんニセモノだからだ、といわれてしまっても仕方ありませんからね。
Real McCoyとなれるよう精進し続けるしかありません。


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