ゲイが気楽に考える『仮面の告白』by三島由紀夫

三島由紀夫の『仮面の告白』という小説を読んだこと、ありますか?
彼は『金閣寺』とか、映画化された『春の雪』とか、有名ですが、この自伝的小説といえる『仮面の告白』は、ゲイさん必読の書、だと思います。
大学時代、愚かにも日本文学専攻で、何を隠そう『仮面の告白』で卒論を書く、という暴挙に出てしまい、しかしながら、もう、それは僕自身の性的指向と向き合わざるを得ないのに、テクストとして切り離さないといけないという、拷問でした。
でも、書きたかったんだ、自分の人生のために。

そして、20年くらい過ぎ去ったわけですよ、もう。
卒論を書いて、なんやかんや20年、ゲイとして生きてきて、改めて考え直してみたいな、と。

ストーリーは、本当に単純で。
ちっちゃいころからなんかあれ自分ゲイじゃね?と疑いをもち、思春期にかっこいい男子に出会い、くっそ萌え〰!!イカす〰!!となるものの、オトナになっていく中で、世間に合わせて女子に恋してみよう!!と頑張ったけど、エッチな気持ちはゼロ、ガッカリ、というお話。

ええ、卒論書いておきながら、ここまでチープに陳腐にまとめると、ほんと、三島由紀夫、ごめん、と思っちゃいますけども。

個人的になんですけどね、文学たらしめてるような、そんなこと、もうどうでもいいんですよ、ね。
くどい三島の文章表現も、今となっては、くどいなぁ…と思うだけ、というか。
文学ってそんな高尚なものじゃなくて、いいんと思うんですよ。
スタバで季節ごとに変わるくどーいドリンクを、ズルズルと飲みながら、ペラペラめくって読む、それくらいでいいんです。
コメダで季節ごとのシロノワールを、まあ、今回はこんなもんかと思いながら、片手で読む、くらいで。
僕は、文学部出とはいえ、小難しくも容易でいる、そのことに尊さを覚えますし、もう学生の頃が遠いので、おっさんとしての娯楽程度の存在に小説たちがなってきました。

ちょっと話は反れちゃいましたが。
この『仮面の告白』が書かれたのが、1940年代。
昭和20年代、ですね。

戦争でゴタゴタしてた時代の日本です。

同性愛、男が男を好きになる、それが今よりも全然、NGだったわけです。
今みたいに、核家族化とかではない、自由な個人の生き方尊重とかでもない、家のしがらみなんかものすごくて、こうあるべきはこうあるべき、と荒々しく存在していた時代。

やべぇ、んです。

僕たちの生きる令和でもなければ、そのひとつ前の平成のようなアッパッパーな時代ですらホモは嘲笑の対象だったのですが、それをさらに遡った昭和、です。
多様にあるとか、ないわけです。

僕は、この小説の時代から、どちらかというともうすぐ100年経とうとしていることに驚きなわけです。

時代は、変わってきた、それは確かです。
でも、この、10代、20代のホモたちの、ゲイたちの苦悩、本質的に何も変わってないんですよ。
これ、驚きじゃないですか?
『仮面の告白』とかいう恐ろしいタイトルをつけなきゃいけないくらいの内容を、昭和に発表し、でも、昨今のLGBTとかで盛り上がってるような雰囲気の中で生きてるマイノリティの人たちも『仮面の告白』にドギマギしながら、生きてる。
もう、今風に言うと、これは『カミングアウト』なんです。
三島由紀夫は、小説という、ファンタジーとして取り扱われる範囲で、ギリギリのカミングアウトをしたわけです。

カミングアウトができてしまうと、その後はうまく生きれる可能性は高まり、三島由紀夫は、体を鍛えまくったりしているわけです。
もう、この辺は、エニタイムだの、ゴールドジムだの、フィットイージーだのに通って、ジムトレしてXにツイートをアップするゲイさんたちとなんら変わりませんよね。
もはや、時代を先がけて肉体美追求された、第一人者かもしれません。

そして、園子、という登場人物に、恋心を抱く、という後半のストーリーは、こちらも、本当に本当に現代でもゲイあるある、ですよね。
僕も一度だけ、女の子と付き合ったことがありました。
高校1年の頃、半年くらいかな。
手をつなぐことはしましたが、キスも、セックスもしませんでした。
手をつないでも、それが性的な興奮には一切つながらない。
彼女の家に遊びに行っても、そして、ご両親がいなくてふたりきりだろうとも、性的な展開になることはゼロでした。
でも、好きでした。
好意を寄せてくれるところも好きだったし、性格もとてもよかったですし。
もう、本当に、彼女にはゴメン、ですよ。

んで、主人公は、その園子さんと性的な魅力も関係もゼロで付き合ったり別れたりするんですよね。
カモフラージュしようとか、そーいうのじゃないんですよ、ほんとに、規範的にマインドコントロールされるものってあって、女の人とお付き合いしてみよう、と、チャレンジしたことのあるゲイさんは思いのほかたくさんいるし、そーいうもんだという刷り込みが遺伝子的にも社会的にもあるわけで、トライしちゃうんですよね。
今考えると、愚かだったと思いますよ、だって、そのときの彼女さんだってセックスしてみたかっただろうに、しかけないし、そもそも勃たないし。

近江という学生に、その脇毛とか筋肉に、ポッとなっちゃう主人公。
血が滴るような西洋の絵にムラムラする、主人公。

もう、ゲイ代表っす。

いつだったか、TRP(東京レインボープライド)で、緊縛かな、縄で縛るアートみたいなのやったら、クレーム来た、とか盛り上がってましたが、男が痛めつけられる、とか、そーいうの、興奮の起爆剤になります、よね。
田亀源五郎先生の描く、雄臭極まりない絵とか、全然タイプではない男たちばかり出てきますが、妙に色っぽい。
そう、結局、血を流していようが、縛られていようが、男の裸体なら、ムラムラしちゃう、という。

ふと、考えると、もし、『仮面の告白』が令和の現代に発刊されていたら、こうも名著として扱われたかどうか?
たぶん、ふーん、またそーいうやつか、くらいに、流されていたかもしれない。
ゲイの苦悩を描くものなんて、ゴマンとある時代。

そーいった意味では、時代は変わってきているのかも。

三島由紀夫は、男らしさを極め、ボディビルダーみたいになって、最後は自害するという最後を迎えました。
とても有名ですが、もうかなり昔のことなので、若い子は知らないかもしれません。
もう、三島由紀夫すら知らない子もたくさんいるかもしれませんが…

なぜ、自害にまで至ったのか?は、本心みたいなのは分からないのですが、彼なりに極まっちゃったわけです。
うーん、極まらないと、心の隙間(しかもでっかい宇宙みたいな)を埋められなかったのかな…
その裏に『ゲイであること』がどれくらい関与していたか…は、天国の三島しかわからないことです。

でも、本当にその頃より今は生きやすい時代になってきたと思うんですね。
それでも、若い子たちは悩んでる。
悩まされてる。
どう生きれば妥当か、迷っちゃう。
だけど。
三島由紀夫みたいに、死なないでね、と思う。

前進しているような時代だけど、天変地異みたいに変革が起きるわけじゃないしね。

もっと長生きして、それこそ三島と交流のあった美輪明宏おばあちゃんが、まだ金髪で頑張ってテレビに出て頑張ってるし、もう少し長生きして、その後の未来での三島の生き方や考え方、聞いてみたかったな…

さて、もう三島由紀夫から離れて長い時間が経ってしまいましたし、高校~大学くらいは三島とか太宰とか読む痛いゲイだったので、今更改めて三島の作品を読みたいかというと、そこまでの気持ちにはなれないですが(最近の作家さんもたくさんいい人がいるし、もう小説より動画見てたほうが楽しくなってしまっている節あり)。

『禁色』とかもいいですよね。
もし、三島由紀夫を読んだことない人は、ぜひ一冊は読んでみてほしいです‼

『仮面の告白』も是非読んでみてくださいね‼

(なんか、高尚な日本文学をすごくチープにしてしまったみたいで、また読み返すと落ち込みそう…ま、いいか、研究者じゃないし。うん、そういうことにしよう)


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