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《童話》虹色のくつ下


1.大きくなれば、きっとしあわせになれるわ。わたしも、あんたもね。

「いいかい、これが、おまえの役に立つんだ。おまえには、きっと助けがいるからね。」
 ユララがヨリキの町をはなれるとき、おばあちゃまがリュックのいっとう底にしまってくれたのは、虹の七色が順番に編み込まれた大きな毛糸のくつ下でした。赤、だいだい、黄、緑に、青に、あい、そして紫のしまもようです。
 季節は真冬でしたから、おばあちゃまの家の玄関脇においてある寄せ植え用の鉢からは、白いノースポールの花だけがこぼれてきそうに咲きみだれていました。
 春と夏のユララは、遊びにでかけるときいつも小さな袋を手に持って、その中にこのくつ下をしまっています。そして夏が終われば、秋の初めからもうはいてしまいます。少しくらい暑くてもです。北風がピューピープーと吹く冬の毎日には、それこそユララは片時もこのくつ下からはなれません。
「おかしいわ、ユララ。ズボンの上にくつ下をはくなんて。」
 ママがくつ下のことをユララに言うのは、だいたい三日にいっぺんです。
「悪いのはズボンよ。ほそすぎるから、はいらないのよ。」
「そんなにひっぱったら、ブカブカになっちゃうでしょ。」
「来年もさ来年も、ずっとはけるように大きくしてるの。」
「さあ、洗いましょうね。ぬいで。」
 ママの最後のこの切り札に、ユララの口はピタリととまります。ユララは小さな黒ヒョウのするどい目になって、ママをにらみます。
 ――あなたじゃないわ。はいてなかったら、助けのいることがおこってこまるのは、わたしよ。
 でもユララは、それをうっかり声にはしません。今もヨリキの町にいるおばあちゃまのわかれの言葉は、ママにはないしょです。そうしなかったら、くつ下の助けてくれる力は、きっと弱くなってしまうでしょう。
 トーマの町に移り住んだ次の年、弟のユクマが生まれました。ユララの弟だから、ユクマ。二人がなかよくするように、パパが願いをこめた名前です。ユクマは、今のママの、初めての本当の赤ちゃんです。ユララのママは、おばあちゃまの町、ヨリキに残りました。
 ユララはユクマが大好きでした。まだユクマがママのミルクを飲んでいる頃から好きでした。ユクマもユララを追いかけました。ハイハイができるようになると、もうさっそくでした。
 やがて歩くのが上手になったユクマをつれて、ユララはトーマの町の公園や、町外れの小高い丘の上によく遊びに行きました。
「ユーラ、あれは何? 子どもがあんなにいっぱいだ。」
 エリカの花でうずまった丘の上から、ユクマは小さな指をさして、ユララに聞きます。ユララは、どんなことにもちゃんと答えます。
「あれは、学校。大きくなったら、あんたも行くよ。」
「ユーラは? ユーラも行くの?」
 ユララは、秋のお誕生日が、六歳でした。‥‥‥
「いいえ、わたしは行かないわ。‥‥そうよ、‥‥だって、わたしが行ったりしたら、誰があんたといっしょに遊ぶの? そんなことにはなりっこない。だいじょうぶ。」
 冷たい風が、小さな花びらのような雪を、ふたりの赤いほほに吹きつけてきました。
「これが雪よ。ほら、あたるとつめたい。ああ、もうとけちゃった。」
 ユクマは、楽しそうなかん声をあげます。
「そうね、ユクマ。あんたはもっともっといろんなこと、いっぱいおぼえるの。そしてどんどん大きくなるの。ユララがみんな、おしえてあげる。――大きくなれば、きっとしあわせになれるわ。わたしも、あんたもね。」
 ユララはそう言いながら、ユクマのえりまきを、すきまからの風がのどをおそわないように、しっかりとまきなおしてあげました。
 その日の晩、パパはご飯がすむと、買ってきたばかりの新しい絵本をユクマにプレゼントしました。
 ストーブが赤い炎の舌をちらつかせながら、ごうごうと音を立てて燃えています。窓辺の棚の上ではゼラニウムの朱の花が、おとなしく眠っています。
 絵本は白と黒だけのかげ絵のようなすてきなものでした。
「パパ、今日のお仕事は、どこの町?」
 ユララはパパのひざからおりると、聞きました。ユララのパパは、毎日きれいな宝石を小さな黒いカバンいっぱいにつめて、いろいろな町を売って歩くのです。
 ユララは、こたえてくれなかったパパに、もういちど聞きました。
「そのご本のある町は、ここから遠いの?」
「いいや、ユララ。車のハンドルをにぎったまま、空を泳いでるようないい気持ちの眠りに入っていけば、あっというまさ。」
「車がなかったら?」
「背なかにつばさがはえてくれば、あっというまさ。さあ、ユララにユクマ、こっちへおいで。」
 パパは、ソファの両側をぽんと叩きました。
 ユクマは、ひとりで静かに遊んでいた床の積み木を捨てて、両手を使ってソファにのぼりました。
「パパ。わたしは、ちょっとやることがあるの。悪いけど、そこには行けないわ。」
 パパは、かげ絵のマネシツグミの歌の本を、ユクマに読んで聞かせます。

  マネシツグミ
  マネシツグミ
   おまえにも まねのできないものがある‥‥‥

 ちょうどママがお皿を洗っていて、水のはねる音がとんできて、それはまるで絵本のマネシツグミのふしぎなさえずりのようでした。
 テーブルのかげでユララは、目を閉じたまま、そっとおばあちゃまのくつ下にさわります。指でくつ下をおさえたまま、ゆっくり目を開けてみると、ユララの人さし指が青い毛糸でできている部分にさわっていました。
 ――青い毛糸、青い毛糸。わたしをたすけて。そしたら、いつかおまえを編みなおし、わたしが自由なカワセミにしてあげる。
 ユララは、誰からもおそわらず、自分で呪文をつくりました。どうしてもそうしないではいられない気分が、ときどきおそってくるのです。

2.あたしのことは、スマと呼んでおくれ

 ある寒い日の午後のことでした。
 ユララとユクマは窓にはりついて、降りしきる雪を見ていました。いいえ、この日、昼まではたしかに晴れていました。そう、上天気といってもいいでしょう。ところがキラキラ輝くまぶしい冬の青空に、とつぜん風が吹きました。ものすごい突風でした。あっというまに空が雪雲におおわれて、めまぐるしく動く雲のひだひだが不気味でした。
 パパは先月、外国の町に宝石を仕入れに行きました。子どもたちは、もう何週間も大好きなパパの顔を見ていません。たぶん今日も戻らないでしょう。
 雪は、はじめのうちこそしめったぼたん雪でした。そのうちだんだんつもりやすいこまかな雪にかわりました。ママはお金がなくなったので、パパのお仕事の宝石を持って、知り合いの家に買ってもらいに出かけました。ママはまさか雪がふるとは思っていなかったはずです。ふたりの窓からママの車が見えなくなったのは、まだ空に光のあふれていた午前のことでしたから。たとえ買ってもらえなくとも、宝石をあずけて、かわりに少しお金が借りられたら、それでもいいわ、ママはそういって出かけました。
「なんだか、風がおかしいわ。」
 ふりつもる雪を見ながら、ユララはユクマに言いました。
「おかしいね、ユーラ。」
「そうよ。ほら、見て。あっちからもこっちからも、雪はたしかにこのうちめがけてあつまってきてる。」
「あつまってきてるよ、ほんとに。」
 ユクマはユララにぴったりと体をくっつけました。
 ふたりがいつも遊んでいる原っぱは、まっ白におおわれました。そして、ふたりの窓の下では、もうガラスのふちにとどきそうないきおいでした。それなのに原っぱのむこう、パン屋のエジトさんの垣根には、せいぜいユクマのひざほどしかつもっていません。そのむこうのうちにも、そのまたむこうの屋根にも、雪はお菓子にまぶしたお砂糖のようにしか見えません。
「ねえ、ユクマ。」とユララは、雪がそこからとびだしてくる空の一点をじっと見つめて言いました。「あんた、たいへんなこと、って、わかる?」
「ユーラの、知ってること?」
 ユララは、ユクマにむき直りました。両手でユクマのほほをそっとはさみました。
「もしかすると、知ってるわ。でも、知らないかもしれないわ。」
「ユーラが知ってるなら、ボクもすぐにそうなるよ。だって、ユーラはなんでもおしえてくれる。」
「そうね。」
 ユララは、ユクマの顔から手をはなしました。
 白い雪は、空をおりてくるときは灰色に見えます。まるでサラサラと音が聞こえてくるようです。もうじき、この家をすっぽりつつんでしまうでしょう。窓の下へりが少し見えなくなってきました。
「寒いね、ユーラ。」
「うん。とっても。」
 さっきまで部屋の中央で赤々と燃えていたストーブが、いつのまにかすっかり黒い鉄のかたまりになって、さわると指のとれなくなるドライアイスの冷たさが、窓辺のふたりにとどきました。
「ボク、おなかがすいた。」
「そうね、とっても。」
 ユララは、ためいきをつきました。
「車があればいいのに! そうすれば、ハンドルを持って眠って、パパのいるところに行けるわ。」
「ユーラ、ボクのせなかに、つばさはない?」
「たぶん、ないわ。」
「ちえっ、つばさでもいいんだ。パパが、そういった。」
「あんた、おぼえてたのね! なんて、おりこうさん。」
「もし、はえてたら、ボクがユーラをはこんでいけるね。」
 このとき雪のかべは、はやくも窓の半分の高さまで、すっぽりつつんできました。そこにガラスの光るつぶがいくつもいくつもちらばって見えるのは、ユララの涙がいっしょになってキラキラ輝いたからでした。
「ううん、だめ、ユクマ。あんたは、そんなことしちゃいけない。だって、あんたは大きくなって、ママとしあわせにくらすんだからね。もし、はえてきたら、背なかのつばさは、そのとき使うの。いい、わかった?」
「うん。ボク、そうする。」
「いい子ね。」
 ユララは、ユクマの頭においた手を自分の唇に近づけて、息を吐きかけました。それからユクマの両手をいっしょにはさんで、少しでもあたたまるようにとこすりました。
「もうじき窓がふさがるよ。きっともう、ドアもあかないね、ユーラ。」
「だいじょうぶ。よくきくのよ、ユクマ。どんなことをしても、わたし、あんたを助けるわ。」
 ユララは、どんどん冷えてゆくユクマの体を、いっしょうけんめいこすりました。
「ねえ、ユーラ。さっきいったの、これのこと? これが、たいへんなこと? だったら、ボク、わかるかもしれない。――ああ、ねむい、ねむりたいな。」
 そのユクマの声が、まるでユクマの心臓からじかに聞こえてくるように響いたとき、ユララはきっぱりと言いました。
「さあ、ためすときがきたわ。――これがもしかすると、たいへんなことなのよ。」
 ユララは、今日もズボンのすそをしまい込んではいていた虹色のくつ下を、両方ともぬぎました。
 ――七色の毛糸、七色の毛糸、わたしを助けて。助けてくれたら、おまえを編みなおして、アネモネやヒヤシンスやフリージアの咲くあたたかいお花畑にしてあげる。
「さあ、ユクマ。あんたもさわって。力をふりしぼるのよ。目をとじて、心のなかで好きな色にさわったら、もう一度。」
 ――七色の毛糸、七色の毛糸、ユクマを助けて。助けてくれたら‥‥

 キイーッ。
 扉のあく音が聞こえます。‥‥どこの戸? ヨリキの町のおうち? ‥‥ああ、こんどはしまる音。だ、だめよ! そんなに強くしめちゃ。
 ――バタン! おーうっ!
 足音が聞こえます。‥‥おとなのだわ。‥‥だれ? ユクマは? ユクマ、返事は? ‥‥‥けれどユララは自分の声が、きっとのどから外には出てってないわね、とわかっていました。
「おや、まあ。こんなにいっぱい着込んで。あらあら。」
 びっくりするような、元気のいい女の人の声は、たしかにいまの足音の人のだ、とユララはわかりました。
「さあ、そろそろ外で遊んできたらどう? 上天気だわ。」
 ユララが、眠くてたまらない目をかすかにあけてふりかえってみると、女の人は半袖の白いサファリ・シャツを着て、ヘルメットのような白い帽子をかぶっています。片手にほうきを持って、もう片方の手を腰にあて、どうやら笑っているようでした。光が戸口からどっとなだれ込んできているので、顔はよく見えません。
 重たくかさなるまぶたにまかせて、ユララはふたたび目をとじ、かわりにそっと指をあたりにはわせ、自分の頬のあたっているところを、夢うつつでたしかめました。
 ――わたしったら、床にじかに寝ていたんだわ。
 わかったことは、それでした。
 ――それにしても、なんていい匂いのする床! ここは、どこかしら?
「さあてと、何から、とっかかったら、いいのかな?」
 サファリ姿の女の人のいせいのよい声が耳を打ちます。ほうきの柄で、壁をこつこつ叩いています。
 ――家政婦さんかしら? たとえそうじゃなくたって、もしここのおそうじに来たんなら、パパがたのんでおいてくれたのかもしれないわ。‥‥そうだ、わたしだいじなこと、忘れてた。あの人に、ユクマのことをたのまなきゃならなかったわ。
 ユララが、心にそう思ったときでした。
 女の人の高らかな笑い声が響きました。
「え? ユクマちゃんのこと? ユクマちゃんなら、もうすっかり元気さ。見てごらん。」
 こんどはユララは、少しも眠さを感じないで、ぱっと目をあくことができました。女の人が指で示している窓を見ると、ユクマの頬が外からガラスにへばりついていました。
 ――ああ、ユクマ。無事だったんだ。――おまけに、いつのまにかあんなに背がのびて!
 窓のユクマが、口に手のメガホンをつくっています。
「ユーラ! おきたの?」
 弟の声を聞くと、ユララは、一瞬すっと気が遠くなる感じにおそわれました。思わずユララは、目をとじました。けれどまぶたがさがる寸前に、自分の左手がしっかりとにぎっているものを、ちゃんとたしかめることができました。虹の七色の、あの毛糸のくつ下でした。ユララは深く息を吸ったり吐いたりしました。
「だいじょうぶそうね。よし、やっぱりまず、お部屋のおそうじといこうか。それが、いいわ。――ユララ、おなかはすいてない? そう。じゃ、どうぞ、もうひと眠り。次にあんたが目を覚ましたら、たのまれたことは全部やってあるのを見ることになるわ。楽しみ、ユララ?」
「ひとつ、お聞きしたいんですけど‥‥」
「なに? いそいでるんだから、手短にいっておくれ。」
「だれがたのんだことなんですか?」
「はっはっは、やだね。なにいってんのよ、ユララ、あんたじゃないの。‥‥そうだったわ、はじめに星をあつめてこなくちゃ。なあに昼間だって、星はちゃんと出てるのさ。東から西へ、東から西へ、ぐるぐるなんだから。ほら、あんなにいっぱい。おっといい忘れたよ。あたしのことは、スマと呼んでおくれ。いい?」
 スマが陽気な足音を立てて戸口から出てゆくと、入れかわりにユクマの入ってくる音が聞こえました。
 けれどユララは、目をあけるのがおっくうだったので、だまって手をひらひらさせました。その手を、ユクマはちゃんとつかみにきました。
「ああ、ホントにユクマなんだ。目をつぶってても、こんなにちゃんとわかる。いつかころんでつくっちゃった傷が、はっきりひじに残ってるわ。」
 ユララは、とじたまぶたの闇のなかで、しばらくユクマにさわっていました。すると、やがてちょっとだけ涙がこぼれました。
 ユクマは、ユララの頬にとまった涙を指でつつきます。
「ねえ、ユーラ。おきないの?」
「ええ、でも、外はどんなお庭?」
「ユーラがおきてこなくちゃ、ボク、いえないとおもう。」
「お花は?」
「ある。」
「お池は?」
「ある。」
「小鳥さんは?」
「見た。いっぱい。」
「そう。――ひとりで遊べる、ユクマ?」
「ダー、イー、ジョー、ブー。」
 とつぜん、もしだれかがそこにいれば、だれの耳だってこわれてしまいそうな、ユクマの大声が響きわたりました。
「ボー、クー、ハー、スー、マー、ト、アー、ソー、ンー、デー、イー、ルー、ヨー。」
 ――おお、なによ、これ。アリさんが歩いても、ゾウさんの足音みたい‥‥。
 と思ったとたん、ユクマの手がはなれ、まるで吸い込まれるように、そしてすべるように弟の体が戸口の方へとひきよせられてゆくのがわかりました。
 ユララは、眠りにつきました。
 いまなら、好きなだけ眠れるような気がします。
 ――七色の毛糸、七色の毛糸、どうかわたしを助けて。

3.おまえが編んでやればいいじゃないか

 ものすごい星空です。
 ヨリキの町でもトーマの町でも、星と言えば、空に指をさして、あ、あれは、と少しだけ数えるくらいしか見たことのなかったユララは、はじめ頭の上に光っているガラスのかけらをぶちまけたようなつぶつぶが、とても星には見えませんでした。
 ユララは、大きな岩かげに背を寄っかからせ、ユクマをしっかりと腕のなかに抱いて座っていました。下は、やわらかく、あたたかな砂地です。
「とうとう、こんなとこまで来ちゃったんだわ。これはもう、行くしかないわ。」
 ユララがそう呟くと、眠りかけていたユクマが目を覚ましました。星々をうつしてまぶしいほどにかがやくユクマのひとみに、ユララはささやきました。
「――いい、ユクマ。わたしがこのさき、どこまででもつれてってあげる。だから、あんたは何も心配しなくていい。」
「ボク、おなか、すいた。」
「わかったわ。待ってて。」
 ユララは、右足にはいていた虹色の毛糸のくつ下をぬぎました。
「このだいだい色のところに、指をおいてごらん。そうよ、じゃ、いっしょにね。」
 ――だいだい色の毛糸、だいだい色の毛糸、どうかわたしを助けて。どうかユクマのおなかをいっぱいにして。助けてくれたら、わたしはおまえを、海にむかって実をつける大きなミカンに編みなおしてあげる。
「さあ、目をあけてごらん。」
 すると、ユクマのうれしそうな笑い声が、はじけました。
「パンだよ。ボク、パンをにぎってるよ。」
 ユララはにっこり、よかったわね、のほほえみをしました。けれどくつ下をはきながら、思いました。
 ――いったいいつまで、こうしていられるのかしら? くつ下の魔法だって、きっとかぎりはあるはずだもの‥‥
 パンをにぎったまま眠るユクマの寝息が聞こえてきます。ユララは、ひざの上のユクマを、しっかりとだきしめると、夜空をすきまもないほどにうずめつくし、いまにもこぼれ落ちてきそうな、すさまじい銀灰色の星々を見上げました。――あのミルクのような夜のなかに入っていけたら、きっとわたし、なんとかなると思うわ。

***

「うわっ、宮殿よ。」ユララはかん声をあげました。「ユクマ、見てごらんなさい。ほら、この柱も壁も、みーんな石でできてるのよ。すごいおうち!」
 ユララは立ち止まりました。弟のユクマがフラフラしながらあとを追ってくるのを待って、手を取りました。すると急に、ユクマはうちをはなれてから、ずっとこうだった気がしてきました。
 ――わたし、いま、ユクマを心配してるんだわ。ユクマが、どうかしちゃったのかしらって。それなら、そういわなくっちゃ‥‥
 「ちょっと、おでこをかして。そう、‥‥うん。あんた、たぶん、熱がある‥‥、と思うわ。――休もうか。部屋をさがすね。」
 ユララが、背なかをむけてしゃがむと、ユクマは倒れ込むように、おぶさってきました。ユララは、よいしょと立ち上がり、うねうねと続く長い石の廊下をよろけながら歩いてゆきました。ゆっくり、ゆっくり、ひと足ごとに、ユクマは重くなってきました。
 ときどき、おそろしく長い槍とピカピカの銀のたてとを手にした、よろい姿の兵士たちが、いそがしく通りすぎます。なかには、はげしく議論しながらやってくる兵士もいましたが、誰ひとりユララとユクマに気をとめたりはしませんでした。
 ユララは思い切って誰かをつかまえて、声をかけてみようと思いました。
 そのとき廊下のむこうのはしに、運よく部屋の入口のようなものが見えてきました。ちゃんと槍を交叉させてふたりの衛兵がたっていますから、きっとそうなのでしょう。ユララは近づいていきました。そして、衛兵たちの顔を見上げました。
「ねえ、おしえて。わたしたちの部屋は、どこ?」
 ユララは、二度たずねました。しかし衛兵たちは何もこたえてくれません。ふたりともかぶとを深く下げた顔をまっすぐにたもち、目だけがむかいの壁をつき抜けた遠い彼方まで見通す鋭さで、じっと立っていました。しかしユララが振り向いてみても、そこはざらっとした石の壁があるばかりで、他には何も見えませんでした。
「いったい、このお部屋には、だれが住んでいるのかしら?」
 ユララは、どうせちゃんと聞いたって、ぜったい答えてはくれないんだからと思って、つぶやくようにそう言ってみただけでした。ところが、おどろいたことに、右の衛兵が、とつぜん口をひらいたのです。
「ここは、この世でもっとも知恵あるお方のお部屋だ。」
 ユララは、目をパチクリさせながら、よいしょと背のユクマをゆすって、おぶいなおしました。
「知恵ある人? そうなの? ああ、よかった。だったらわたしたちの部屋がどこか、きっとおしえてもらえるわ。会えるかしら?」
 すると衛兵たちは交叉させていた槍を、目にも止まらぬ速さで、さっとどかしました。
 ユララは片手をのばし、背のびをし、取っ手をつかんで重たいドアをなんとか自分でひきあけて、なかに入ってゆきました。
 その部屋の天井は、きっと雲のような高いところにあるに違いありません。たしかに上方に闇が広がり、部屋という感じはするのに、いくら目をこらしてみても、どこが天井かは見えないのです。
 うす明るい光が、いくすじか上のほうから降りてきています。それもおそらく見えない明かり取りの窓からさし込んできているのでしょう。
 ドアをしめて、ユララが部屋を仕切っているついたての方に歩いてゆくと、やがて奥に、こちらに背を向けて、丸い帽子をかぶったひとりのおじいさんが、机に向かっているのが見えてきました。その人は首からすそまでをゆったりとおおう、大きな白い布に身を包んでいました。
 なにか分厚い本のようなものが、おじいさんの腕のすき間から、ユララに見えます。何かを書きつけているんだわ、とユララはおじいさんの手の動きを見て思いました。
 机を抱きかかえるように前かがみで、せっせと右の手を動かし続けるおじいさんは、髪がもうすっかりうすくなって、頭のうしろの、それも下半分にきれいな半円形をみせて残っていました。
 ユララはしばらく、その髪に見とれていました。というのも、ユララはこれまでいっぺんも、おじいさんという人とは話をしたことがなかったからでした。ほんとうのおじいさんは、ユララが生まれてくる前に、ふたりとも死んでしまっていました。
 ――そうだわ、この人が知恵ある人なんだから、わたしは何かを聞いておそわらなくちゃいけないんだわ。
 ユララが心の中で、そう呟いたときでした。
「もう少し、待っておくれ、ユララ。いま書きつけているここだけは、さっさと仕上げてしまいたいからね。」
 たぶん、これが、おじいさんの声ね。――他にだれもいなくて、それでもたしかにこの部屋の声がしたんだから、いくら誰もしゃべったように見えなくても、うたがうなんてバカだわ。
だいいち、ほんとうにかしこい人よ。ちゃんとわたしの名前がわかるんだもの。
 ユララは、だまって待っていました。どれほどの時間そうしていたかは、よくわかりません。ときどき眠ってしまったユクマを、よいしょとおぶいなおすだけで、あとはじっと立ちつくして待っていました。
 もしかするとユララも、立ったまま少し眠っていたのかもしれません。はっと気がついたとき、机の上にはいつのまにか明るいランプの光がチラチラとともっていました。バタンと本をとじる音がしたかと思うと、なんだか煙のようにも見えるへんなほこりが、もわっとあたりに舞いました。
 おじいさんがゆっくりと、ユクマを背負ったユララの方にむき直りました。
「さあ、こっちへおいで、ユララ。ごくろうだったね。」
「いいえ、くろうだなんて。」
「そうか、それならいいが。さあ、きこうじゃないか。なんでもこたえられるわしに、おまえがゆるされている質問は、たったひとつだ。それは、何かな?」
「あのう‥‥、」
 ユララは、ユクマと自分が休める部屋のことを聞こうとしました。けれど、もう少しで口からとびだしそうになったその言葉を、ぐいっとのみこんでおしとどめました。世界でもっとも知恵ある人に、たったいちど聞いてみたいことなんだったら、もっと他にある気がしたのです。
 ユララは、ユクマを背なかから降ろして、床に寝かせました。石の床が、少しも冷たくありません。そして自分はユクマの頭のそばにすわり、そっとくつ下をさわりました。
 ――七色の毛糸のくつ下、わたしを助けて。どうかこの場を切り抜けさせて。
「わかったわ、おじいさん。わたしの聞きたかったのは、これ。どうすれば、魔法のくつ下なしでやっていけるほど強くなるのか、っていうこと。だって、ユクマには、おばあちゃまのくつ下がないんですもの。」
「おまえが編んでやればいいじゃないか。――さあ、もうおしまいだ。これ以上わしの邪魔をせんでくれ。」

4.4. だいじょうぶよ。いまならわたし、ちゃんとパパにおいつけるわ。

4.だいじょうぶよ。いまならわたし、ちゃんとパパにおいつけるわ。

 気がつくと、ユララとユクマのふたりは、あたたかい海辺の岩の上にすわっていました。
「ユクマ、これからわたしたちは、虹色の毛糸をさがしに行くの。いつも何かはしていなくちゃならないのよ。おしっこしたり、パンを食べたり、わたしたちが話をしたりするのと同じこと‥‥。だから、さがすわ。きっと、見つかるわ。だって、虹色の毛糸があれば、あんたがいつまでも守ってもらえる‥‥」
 ユララはそう言いながら、ユクマをしっかりと抱くと、少し泣きました。するとユクマは、ユララの頬をつたう涙を指にうけとめて、小さな真珠の粒をこしらえました。
「まあ、ユクマ、すごいわ。あんたはパパの子よ。この真珠をパパにあげたら、きっとよろこんで売って歩くわ。パパだって、もう世界中をとびまわらなくっていいし‥‥」
 ユララは、ユクマのつまらなそうな顔に出会って、はっとしました。
「ごめんね。わたし、くだらないことばっかしゃべってる。さあ、でかけましょう。虹色の毛糸を見つけなきゃ。いいわね。食べたり、しゃべったりとおなじなんだから、いいにきまってる。」
 ユクマは、うれしそうににっこり笑いました。――そうです。ユララも気がついていました。ユクマは、もう長いこと、ひとことも口をきいていませんでした。ユララの胸には新鮮な生まれたての不安が、まるで泉のようにあとからあとからわいてきます。このままほうっておいたら、きっと自分の口だってしゃべるためにひらくことを忘れてゆくだろう、とユララは思いました。
「さあ、背にのって。首につかまって。」
 ユララは、少し軽くなった気のするユクマをおぶうと、ふたりのうしろにひかえていた大きな森のなかへずんずん入ってゆきました。
 ――七色の毛糸、七色の毛糸、どうかわたしに、おまえの仲間を見つけさせて。おまえが大地のどこかにひそんでいるなら、音をきかせて。おまえが花のように咲いているなら、あまい香りをわたしにはこんで。
 ユララは、木の葉の露や小川の滴で、ときどきユクマの唇をしめらせました。月が何度かのぼり、太陽が何度か沈みました。夜空にちりばめられた星々のかたちが、ユララの行く手をみちびきます。
 冬の土地を過ぎると、一面にいろとりどりの花でうずまった春の土地にでました。それがあっというまに、じりじりと太陽が照りつけるかわいた土地になり、すぐにまたすべての木の葉の落ちた秋の土地になりました。ユララはユクマを背負って、少しも休まずにずんずん歩いていきました。
 とちゅう、こんなことを思いました。
 ――ほら、思ったとおりよ。わたしは、とうとう学校にはいかなかったわ。
 けれど、そう呟いたとたん、どきんと胸を突かれました。
 ――いそがなきゃ。だって、ユクマは、学校に行くんだった。七色の毛糸、‥‥七色の毛糸。いそぐのよ。‥‥あっ、それだ! どうして今まで思いつかなかったんだろう。ほんとにバカだったわ。
 このときユララは、ちょうど何度目かの春の土地にさしかかっていました。うすいピンクのレンゲ草の土手に、腰をおろしました。
「もうじきよ、ユクマ。おまえが、ひと眠りしたら、それで何もかもうまくいくわ。」
 ユクマは、いまではぬいぐるみほどに小さくなっていました。着ていた服はぶかぶかなので、はしを折り込むようにしてくるんでいます。小さい指をしゃぶりながら、見えているのかいないのか、ユララにはよくわからないふたつの目を、ときどきじっとお日さまの方にむけています。
 ユララは、おばあちゃまのくつ下をぬぎました。両方ともです。そしてとめてある毛糸のはしを見つけだすと、ほどきはじめました。くるくる、くるくる、あっというまに毛糸玉がふたつできあがりました。手のひらにのせると、日の光を受けて、キラキラと虹の色に光ります。
 ――あとは、編み棒ね。どこかに、ないかしら? だって、毛糸がそろったんですもの、なければ、おかしいわ。
 ユララは首をのばして、レンゲの花の咲き匂う土手の上を見わたしました。たとえ花の間に落ちていても、すぐに見つかることでしょう。そんな気が、ユララはしたのです。
 そのときでした。遠くから荷車の音が聞こえてきました。
 ギュッタン、ギュッタン。ギュッタン、ギュッタン、タン‥‥。
 どうやらユララたちがやってきた道を、はるばるたどってきた様子です。信じられない速さです。荷車がどんどん近づいてきます。
 ――誰かに会うのは、石の宮殿で知恵ある人に会ってから、はじめてだわ。っていうことは、あの人がおじいさんだったんだから、こんどもきっとおじいさん、そのはずよね。
 たしかにそれは、黒い帽子に黒いチョッキを着て、足にはひざまでかくす大きな長靴をはいたおじいさんでした。重そうな荷車の上で、山のような荷物が、おじいさんの歩調にあわせて、ゆらりゆらりとゆれています。
 ユララは、おじいさんと荷車がちょうど目の前を通り過ぎるのを待って、ぱっと立ち上がりました。
「おじいさん! おじいさんも、わたしがだれだか、わかるの?」
 セキレイの尾のように上体をふりながら荷車を引いていたおじいさんは、ユララの声に立ち止まりました。
「わかるかだと? わからないで、どうする?」
「そう。それならいいの。ただ、どうしてもひとつ、おじいさんに聞きたいことがあるの。その大きな荷物のお山のなかに、ひょっとして編み棒があるかどうか、おしえてもらえるかしら。」
「あるよ。」
 おじいさんは、荷車を体からはずすと、うーんしょ、と腰をのばしました。
「しかしな、嬢ちゃん、高くつくよ。」
「高いって、いくらくらい?」
「そうさな、‥‥むにゃむにゃ、‥‥ま、おまえさんには、むりじゃろ。」
「わたし、真珠なら持ってるわ。」
 ユララは、ポケットにためておいた真珠を手のひらにのせてさしだしました。ユクマがユララの涙からつくった真珠です。
「だめだね。おまえさんの、いっとうたいせつなものじゃなきゃ。ふん、むりじゃろが。」
「いっとうたいせつなもの?」
「そうとも。」
「いいわ。あげるわ。この毛糸玉よ。」
 ユララは、ふたつの玉にまいたおばあちゃまのくつ下の毛糸玉をさしだしました。
「わたし、どうしても編み棒がいるのよ。でも、ひとつきりしか、あげられないわ。」
「よし、じゃ、わしも、編み棒を一本だけ、おまえに渡そう。」
 黒い帽子に黒いチョッキのおじいさんが、山とつまれた荷車の荷物のなかをガサゴソひっくり返して取り出したのは、キラキラと日の光を受けて七色の虹にかがやく編み棒でした。
 ――そうよ、きっとおばあちゃまも、こんな編み棒で編んだのよ。
 ユララがさしだした手のひらに、おじいさんは編み棒をそっとのせてくれました。かわりにユララは、毛糸玉をおじいさんに手わたしました。するとおじいさんはピュイーッと口笛を吹き鳴らし、受け取った毛糸玉を、ぽーんと空高くほうりました。
 落ちてきたのを受けとめて、ぽーん。
 また、ぽーん。
 おじいさんは、荷車にもどっていきました。あんまり高く上がったときには、毛糸玉はまるで空に溶けて消えてしまうかと思えるほどでした。やがておじいさんは、やっ、とするどく声を出して、荷車の向きをもと来た道に引きもどし、ユララに背をむけて出発しました。
 ギュッタン、ギュッタン。ギュッタン、ギュッタン、タン‥‥。
 いつしかその音もすっかり遠のいて、あとには見えない姿で空高くさえずるヒバリの声ばかりです。
 ユクマは、レンゲの花にうもれて、眠っています。
 ユララは編み棒を目の前に立てて、長いことじっとにらんでいました。
 ――そうよ、‥‥それしかやることがなかったら、それをやるしかないわ。わたしにわかるのは、いつもそれだけ。
「えーいっ!」
 ユララはさけび、両手ではしを持ってかまえた編み棒を、思いっきりひざにぶつけました。
 するとらくらくとふたつに折れた編み棒の破片は、ユララにこうされることがわかっていたかのように、みるみるさっきと同じ長さの編み棒に育っていきました。ふたつともです。ユララのほしかった道具が、ようやくそろいました。
 「さあ、いそがなくちゃ。こんどユクマが目を覚ます前に、虹のおくるみをつくりあげておくんだわ。」
 ユララは、二本の手をすばやく動かして編んでいきました。ユララのなかの、誰かもうひとりのユララがちゃんと編み方を知っていて、ユララはただ手をとめさえしなければいいのです。

 おくるみ おくるみ
 虹の おくるみ
 秋でも 冬でも お花が咲いて
 おまえは もういちど
 生まれて くるの

 ユララは、編みながら歌いました。少し足が寒いけれど、それはしかたありません。編んでいると、涙がこぼれてきました。けれど、もう真珠にはなりませんでした。おばあちゃまや、トーマの町にいるおかあさんの顔がうかびます。ヨリキの町にいる、ユクマのおかあさんの顔もうかびます。そして、パパ。‥‥もう今頃は、おうちに帰っているんだろうな。――待ってて。ユクマをすぐに帰すから。すぐだから。
 ユララは、せっせと編み棒を動かしつづけます。ユララは、ちゃんと知っていました。くつ下をほどいてしまった自分には、もう帰る場所がないのだということを。

 いつのまにか夜が来て、やがて朝をみちびく金星がのぼる頃、ユララは、一枚のマフラーを編み上げました。虹色の編み棒で編んだ虹色の毛糸のマフラーは、ユクマにまきつけてゆくと、くるくると体中をいくえにも包む長さに編めていました。
 さあ、――はじめましょう。
 編み棒は、またユララが折る前の一本に戻っていました。それをポケットに入れて、東の空に頭をのぞかせた朝日を見ながら、ユララは弟のユクマ――今ではすやすや眠りつづける赤ちゃんです――をくるんだマフラーに手をのばしました。
 そうです。前にユララのくつ下だった頃よくそうしたみたいに、目をとじて、そっと指がふれたら、たしかめるのです。ユララは、あい色にさわっていました。
 ――あい色、あい色、助けておくれ。ユクマをどうか、ふつうの男の子に生きさせて。七色の毛糸はユクマのマフラー、今度からはユクマの願いを聞いてあげて。
 そのとたんでした。寒くてたまらなかったユララの足先が、ユララの見ている前で、指のつめの方からふうっと消えてゆきました。みるみる、ひざ、もも、と次々に消えてゆくのです。そのかわり、ユララはどんどんあたたかさにつつまれだしました。ああ、もう、おなかも見えません。ユララはいそいで横になりました。そして、うででまくらをつくって、目をつぶりました。なんだかふわふわして、とてもいい気持ちです。
 空を飛んでいるのかもしれません。あたりを空気の流れる気配がします。
 ユララは、ふんわりしたタンポポのわた毛のような自分の動きを感じながら、目をとじつづけていました。姿勢がいろんなぐあいにころがされます。でも、ぜんぶふわっとなので、なんの心配もいりません。
 ユララは、そっとつぶやきました。
 ――わたし、こんどは、ユクマの妹に生まれたいな。ああ、きっとそうなるんだ。
 そのときユララがまぶたのなかに見たのは、車のハンドルに手をおいて眠ったまま空を飛んでいるパパの姿でした。パパの背なかには、ちゃんとつばさがはえています。それもはっきりと見えました。
 ――だいじょうぶよ。いまならわたし、ちゃんとパパにおいつけるわ。
 ユララはわかっていました。そのためには、ただこのままじっと、もう二度と目をあけなければ、いいのだと。

5.エピローグ

「見ました?」
「ええ、見ましたとも。」
「わたしも見たよ。おまえも見たろう?」
「そうですよ。ちゃんとまぶたが、ぴくぴくっとね。」
 八つのひとみと四つの息。
 ママと、ママ。おばあちゃまと、パパ。
 白いベッドをのぞきこんで、いまかいまかとみんなして、ユララが目を覚まし、声を出すのを待っていたのは、しばらく時をわすれていたヨリキの町の病院の、モクレンのつぼみがほころびかけるあたたかい南風の吹く朝のことでした。
 もうひとつのやすらかな寝息が、ふたつ並んだとなりのベッドの白いまくらから、時を刻む波音のように清潔な部屋にひろがっています。

                             おわり

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