労働に囚われた人生?

ゆるやかに、無理をせず、自分の尊厳と生活を守りながら生活をしたいのに、生活のほとんど全てを費やさなければ、「社会人」とはみなされないようだ。

労働は手段であるはずなのに、どうしてこんなにも生活を支配されないといけないのか。仕事は誰のための仕事なのか。

権利を主張することを怠っているというか、その可能性すらも無意識に消してしまっている。時間外労働をしたくはないと思っていても、残業をするのがいつしか当たり前になって、異議を唱えるという発想すらなくなっている。ただ、すり減らないようにと心を殺して、部屋に存在しているだけだ。

他の人とは違うことをすること、に仕事の意義はあるはずなのに、マナーにしろ、仕事の雰囲気にしろ、皆と同じように振舞うように求められるのはなぜなのか。誰かと違うということは価値であるはずなのに、いざ色を出したとたんに異端とみなされて弾かれる。同じであることに、意味はあるのか。

正社員として働くことはそんなに偉いのか。
法律を犯しているわけでもないのに、なぜこんなに生活に苦しさを感じるのだろう。誰に何かをしているわけでもないのに、どうして謝ってしまうのだろう。どこの誰とは知らない誰かに。
誰に認められたくて、こんなにもがいているのだろう。
部活に受験に、就職に、「この競争に勝ったら、「いいこと」が起こるはずだ」と信じてひたすら走り続けてきた。でも、疲れた。いつまで、他人に認められ。優位に立つために生活しなくてはならないのか。

お金の理不尽にも、つくづく無力を感じる。
社会の需要がある仕事の給料が低いのはなぜか。
医療業界でいうと、なぜ医師の給料があんなに高くて、看護師や薬剤師や理学療法士たちの給料や待遇はこんなに悪いのか。
専門性や責任という観点では、そこまで天と地ほどの差はないはずなのに。

大人になってから色んなことを我慢することを強いられている気がする。
我慢して耐えたとしても、何も待っていない。
これまで多くの人が仕事に関して、職場で理不尽があっても耐えることができていたのは、終身雇用が約束されていたからだ。嫌なことがあっても、いずれ役職はあがり、給料は上がる。我慢するに値するリターンがあったはずだ。でも、この不確かな世の中で、自分を確かな強度で守ってくれるものはほとんど残っていない。

耐える、という習慣だけが残されて、理不尽に耐えることだけが求められて、なぜ皆不満を言わないのか、私たちはロボットなのか。
抵抗したい、何かに。この世の中に。
微力かもしれないけれども、抗いたい。
このまま流されて生きていたら、この国と一緒に沈んでしまうのではないか。
誰に言っても、日本が衰退するなんて、と笑われるが、近いうちに日本が外国語を学習する必要に駆られるような危機はやってくると私は思っている。
もしそのようなときが来るのだとしたら、私はそのとき国という船を飛び移る能力と、意思を持っていたい。

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