家族の話し
今日はわたしの家族について話したいと思います。
※暴力行為などの話しがあります。
わたしは父、母、弟、妹の5人家族です。
小さい頃は水泳やそろばん、テニスなどしたかった習い事はさせてもらえ、高校受験に向けて塾にも通わせてもらえました。
夏には海に旅行へ出かけたり、春や秋はディズニーランドへ行ったりとお出かけするのが大好きな一家です。
裕福な家庭ではなかったけれど、私たち弟妹が家のお金について心配することはないように育ててもらいました。
側から見たらとても仲が良く、楽しそうな家族だったと思います。
ですが、家の中では違いました。
父は自分の感情のコントロールが苦手な人で、なにかにつけて母に対して手を上げていました。
仕事でイライラすることがあった、母が自分の思い通りに動かない、旅先で道が分からずイライラするなど、昨日までは、ついさっきまでは笑っていたのに、沸点が低く全部母のせいにして怒鳴り散らかす人でした。
また、子どもたちを楽しませようという気持ちも強い人だったので、母が自分と同じくらいの気持ちじゃないことも怒る要因となり暴れていました。
それによって最悪の誕生日を過ごすことになったのはわたしだけではなかったはずです。
一度暴れると手がつけられず、暴言を吐き、母を殴る蹴るなどしていました。
家族の箸を全部折られたのは自分の存在も否定された気がして、今も忘れられません。
そんな時母は寝る前に泣きながらわたしたちに謝るのでした。
わたしがこんなだから父を怒らせている、申し訳ない、という風に。
一度本気で離婚してほしいとお願いしたことがありました。父の機嫌が悪い日が長く続き、わたしたち弟妹は息をするのもやっとの時でした。
それでも母は、わたしの稼ぎだけではあなたたちを育てられないと拒否しました。
わたしは夏に旅行へ行けなくても、ディズニーランドに行けなくても、家に安心して帰れるようにしてほしかったのです。
物心ついた時から父の怒鳴り声を聞いていたような気がします。
幸いわたしたちは手を上げられたことはありませんでしたが、大好きな母が毎日暴力を振るわれ泣いているという事実に耐えられませんでした。
そんな生活が高校卒業まで続きました。
わたしと弟は中学に上がってから家に帰る時間を遅くして、なんとか家にいないようにしていました。
小さかった妹はだんだん塞ぎ込むようになりました。
そして高校を卒業したわたしは逃げるように実家を出ました。
下2人を実家に残したまま。
わたしが実家を出たことで父はさらに不安定になり、以前よりもさらに暴れることが増えました。
そしてやっと、本当にやっと母の口から離婚という言葉が出ました。
このままでは一緒にいられないと。
そこで父も自分のしてきたことが、自分の父と同じことだったことに気づき、行動を改めました。
②へ進みます→