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ポーランド旅行⑦ ワルシャワ(市内観光、ユダヤ人博物館)

長距離列車

この日はワルシャワに向けて長距離列車で移動します。
クラクフからワルシャワまでは2時間半ほどかかります。

クラクフ中央駅のホームに朝7時半頃には到着し電車が来るのを待ちました。
席の番号が決まっているので、電車を待つ位置も決まっているはずなのですが足元には何も書いていません。
周りにいる何人かに聞いてみましたが分からないとのこと。不安すぎます。
電車が到着したタイミングでなんとか自分たちの乗るべき車両を見つけて正しい場所から乗り込むことができました。
30分以上も前にホームに着いていたのに乗り込む直前にダッシュすることになるとは、、、
なんとか乗れたので良かったです。

ワルシャワ中央駅に到着したら一度ホテルにチェックインし、ロビーでガイドさんと合流しました。

ユダヤ人博物館

まずはユダヤ人博物館に行きます。
この日は無料開放の日でした。
ガイドさんに解説をしてもらいながらゆっくりと回ります。
新しくできた博物館なので、中はとても綺麗で飽きないような工夫が沢山なされていました。

ガイドさんには本当に沢山のことを分かりやすく教えていただきました。
今まで自分で調べてきた情報を繋いでくれるような内容も多く、頭の中がどんどん整理されていくような感覚になり、「知る快感」というものを体感しました。全く何も知らない状態だったら途中で入眠してしまっていたと思います、、

今回この博物館に行くことを決めたのは、ホロコーストについて興味を持ったことがきっかけですが、一方で"パレスチナ問題"もその背景にありました。
私自身、なぜ信仰しているものの違いによって争いが起こるのか、いまだに理解ができていません。
当時虐殺されてしまったユダヤ人の方に対しても、「他の宗教を信仰している」と嘘をつけばよかったんじゃないか、と思ってしまいます。
(当時は顔で判断されている場合もありましたが)

命の危機があっても信仰を続けた人たち、自分とは異なる考えを持つ人たち、について少しでも理解を深められればと思い、今回ここに行くことを決めました。

そうした視点でガイドを聞く中で、2つ印象に残っている話があります。

1つ目は、ユダヤ人が、自分が住む地域について知ろうとしたことです。
元々ユダヤ人は自分たちの文字や言葉を使い、教えを厳格に守り生活していました。(今でもそのような人はいて、超正統派、と呼ぶらしいです)
しかし生きていくためには馴染んでいくことが必要だ、という考えが生まれ、文字や服装などをその地域に合わせるユダヤ人が出てきました。
過去にこうした歩み寄りの運動があったことに驚きました。もちろん反発はあったようですが、このような考え方はとても大事だと思います。
信仰だけではなく、考えの違う人を理解しようとする姿勢は誰にでもあるべきです。

ユダヤ人の暮らしに関する展示物
ユダヤ人の学校(朝から晩までユダヤ教について学んでいました)

2つ目は、ゲットーに収容される時にユダヤの人たちが感じたことについてです。
ユダヤ人は歴史的にも長い間差別され、ずっと居場所がないと感じていました。しかしゲットーができ、そこに入ることになると、ユダヤ人だけの街で、ユダヤ人の食べ物を食べて、誰からも嫌悪されることなく生活できます。「やっと自分たちの国ができた」と嬉しく思った人も多くいたようです。
安堵できるタイミングではないはずなのに、こんなことを思ってしまうほど、ずっと孤独な思いをしてきたのだと初めて知りました。
しかしどんどん生活は苦しくなり、病気が蔓延し、ゲットーから逃げ出す人たちもいました。
北ゲットーと南ゲットーを繋ぐ橋はため息の橋と言われ、唯一外の世界を眺められる場所だったそうです。(色んな映画によく映っています)

北ゲットーと南ゲットーを繋ぐ橋(当時)
橋から見た景色(現在)

この話を聞いた後、自分たちでため息の橋まで行って景色を見てみました。もしこのまま、またゲットーに帰らなければいけなかったとしたら、と想像してみます。すると景色の見え方が少し変わりますね。

市内観光

ユダヤ人博物館を出ると少し雨が降ってきましたが、歩いて歴史地区を回ります。
日本人なら傘を差すレベルでは降っていましたが、誰も気にしていないようで驚きました。(もちろん私は折り畳み傘を開きました。)

当時の銃弾跡が色んなところに残っていて衝撃でした。
こんなところもガイドさんと一緒でなければ素通りしていたと思います。
このことを忘れないように、そんな意味も込めてそのまま残しているんでしょうか。

当時病院として使われていた建物
ここの斜め前にワルシャワ大学があります。
ワルシャワ大学も当時戦場となりました。


戦車の一部

戦車に使われていたキャタピラが置いてありました。

この日のガイドさんは本当に知識が豊富で驚きました。この方が普通ではないのか、ポーランドの人なら誰でも知っているのか分かりませんが、私は日本の歴史についてこんなに多く語れないです。
日本の歴史についても学び直したいと思いました。

ワルシャワ蜂起についても沢山教えていただきましたが、翌日ワルシャワ蜂起博物館に行ったのでその記事と一緒に書きたいと思います。

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