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『家事か地獄か』を読んで - Action Reading

向かい合って気づいた、家事という営みの意味

50歳を過ぎて向かい合った家事を通じて、生き方の本質に気付いた、そんな一冊に出会いました。著者は会社を辞め、認知症の母と接することによって、家事の持つ意味に気付いたといいます。

「便利」は本当に便利なのか

私たちは「便利」を追い求めすぎているのではないでしょうか。著者は東日本大震災をきっかけに、電気に頼らない生活を少しずつ始めてみたそうです。すると、かえって生活が快適になっていったといいます。家事を溜め込まなくなり、自分の身体感覚で家事をこなすことで、気づく楽しさを取り戻したのです。

「便利」な家電製品を買い込むことが、私たちの生活を快適から遠ざけているのかもしれません。

人に任せなければ、不満には思わない

著者は「役割分担」についても興味深い視点を示しています。家事を人に任せてしまうと、どうしても批評者の立場になりがちです。でも、自分でやってみると、たとえ結果が良くなくても腹は立たない。むしろ「あ、こうするとこんな味になるのか」と、学びに変わるのです。

家事を自分で行うことで五感がよみがえる

家事を自分でやることで、驚くほど感覚が研ぎ澄まされていきます。炊飯器のタイマーに頼らずとも、ご飯の炊き加減がわかるようになる。食べ物の傷み具合も、感覚的に判断できるようになる。著者は「歳を重ねても、こういった感覚は取り戻せる」と語ります。

こんまりさんの真意を考える

本書では、片付けの第一人者・こんまりさんの言葉にも深く言及しています。「ときめき」で物を選ぶという彼女の方法は確かに画期的です。しかし著者は、その先にある本質的なメッセージに注目します。

物を選ぶこと自体に時間を使うのは、本当に人生にとって価値があることなのか。もっと大切にしたい時間があるのではないか。こんまりさんが本当に伝えたかったのは、そういうことだったのかもしれません。

母から学んだこと

著者は認知症の母の姿を通じて、家事の本質を見つめ直します。かつて家事が得意だった母が、少しずつ能力を失っていく。その過程で気づいたのは、家事が実は非常に高度な知的作業だったということ。

そして重要なのは、年齢とともに訪れる変化を受け入れる覚悟です。複雑な料理ができなくなる、思うように片付けられなくなる―そんな変化と向き合いながら、自分の生活スタイルを柔軟に変えていく。それが穏やかな暮らしへの道なのかもしれません。

おわりに

本書から学んだ最も大切なことは、「自分でできること」の価値です。確かに、すべてを自分でやる必要はありません。時には他者の助けを借りることも大切です。でも、そのときに生まれる感謝の気持ちこそが、心地よい暮らしの源なのだと思います。

ただし、

「なりたい自分」を追い求めるよりも、今の自分にできることを大切にする=今後の成長をあきらめる、という意味ではありません。
むしろ、大きくジャンプするには、一旦しゃがむことも必要ですよ。という意味もこの本には込められていると思います。

本書の著者も、また大きくブレイクするのでは?
私にはそう思えてなりません。むしろ、それを期待しております。

今回の記事の下書き

読み終わった後に「チャレンジシート」を作成して経験を血肉化する手法について、こちらの記事で説明しております。あわせてお読みください。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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