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書籍紹介 柳宗悦(著), 寿岳文章(編) 『妙好人論集』 岩波書店

こんにちは、今回も12ステップの理解に役立つ書籍を紹介します。
今回は妙好人といわれる人達について取り上げます。



書籍情報


柳宗悦(著),寿岳文章(編) 『妙好人論集』1991 岩波書店

「妙好」は元来「白蓮華」を意味する語で,泥の中に育ちながら浄い花を咲かせる蓮華のように,浄らかな信心をもつ信徒を「妙好人」と呼ぶ.民藝運動のバックボーンとして「他力道」の思想に到達した柳宗悦は,そのよき実例を妙好人の中に見出し,彼らの意義を熱っぽく説いた.「仏教に帰る」「源左の一生」等二二篇を収録. (解説 中見眞理) 
                    岩波書店ホームページより抜粋

著者紹介

著者 / 柳宗悦 (やなぎ むねよし)
1889年生まれ。
宗教哲学、近代美術に関心を寄せ白樺派にも参加。芸術を哲学的に探求、日用品に美と職人の手仕事の価値を見出す民藝運動も始めた。著名な著書に『手仕事の日本』、『民藝四十年』などがある。 ウキィペディアより抜粋

「民藝運動の父」として有名ですが、晩年は大乗仏教(浄土真宗、禅宗)の教えに傾倒し、その中で妙好人の研究に没頭したとあります。
民藝運動についてはこちらのサイトを参照してください。

妙好人とは

まず最初に妙好人という言葉を説明しておきたい。妙好人とは念仏宗の篤信者を指し、念仏宗で用いる『観無量寿経』に出てくる「芬陀利華」(「百蓮華」の意)という言葉に由来する。泥の中から生まれながら汚れずに浄い花を咲かす蓮華のように、浄い心を持った人を意味する。真宗在家の中に多くみられ、ほとんどは田舎の無学な社会的地位の低い人々である。

柳 (1991) : 286

妙好人のほとんどは識字率も低く、教義をテキストから論理的に読み取ることはできませんでした。そんな彼らが信心を得て、周りから妙好人といわれるようになったのはなぜでしょう。この本では代表的な妙好人である因幡の源左を取り上げてその意義を示しています。

源左の一生

しかし源左の一生の方向を全く変えたのは、父の急死であった。
これが彼を仏門に深く誘う因縁となった。
それは彼がまだ十八歳の時、旧八月二十五日のことであった。

父は午前彼と一緒に稲刈りに出たが、午后は気分が悪いと家に戻った。
ところがその夕方にはもう果なくなったしまった。
その死ぬる時、ただ一言「おらが死んだら、親様を頼め」と言い残した。(中略)

予期もしなかったこの父の急逝は源左の心をそこから揺り動かした。
目の前に見たその死とは何なのか。
父の言う親様とは誰のことなのか。
何処にいるのか。
衝撃は激しかったと見えて、彼はこの二大問を揚げて真剣になった。

予々父が仏法のことを語っていたのが今更に思い出された。
彼は悩みを抱いて願正寺の門をくぐった。

柳 (1991) : 212

死とは何か。親様とは何か。

突然にやってきた父の死を通して、直面せざる得ない不条理と向き合い
「親様」という自分を超えた何かを探す歩みがこうして始まりました。

その時から彼の聴聞の生涯が始まったのである。それは苦闘の生活でもあった。直ちに会得するにしては私の問題はあまりにも大きく、弥陀の意味はあまりにも深かった。

彼は悶えつつも昼も夜も考えた。
彼はただ願正寺に歩みを重ねたのみではない。法座がかかれば所々方々へ怠らず出かけた。答えを握るためには、本山への道も遠くはなかった。
彼の日々はいたく変わった。

求道の念は燃え聞法の志はたぎるが、死とは何か、親様とは誰なのか、何としても分かりかね、悶々の日々が続いた。(中略)
親様は何処におられるのか。春来り秋去り、苦闘の歳月はなおも続いた。
それは永い永い旅程であった。振り返ると早くも十余年の彷徨となった。

柳 (1991) : 213

源左は徹底して他力の教えについて話を聞き、納得できないことについては疑いを持ち、だからこそ信仰を得たいという渇望の間に揺れながら歩いて行きました。
そして源左が三十歳を迎える頃、人生を変える宗教的な体験をします。

源左の霊的体験
 

夏のことである。いつものように朝早く牛を追うて裏山に草刈りに出かけた。暫く借り終えて牛の背の右と左に一把ずつ附け、さて、自らでは負生きれぬその重い把を更に載せた時、突如として彼の心に閃くものがあった。

彼の言葉を借りると、「ふいっと分からせて貰った」のである。何を分からせて貰ったのであろうか。他力の教えを分からせて貰ったのである。

他力の教えとは何なのか。
人間には負いきれぬ業の科を、弥陀が背をって下さるとのことである。
草を刈ったのは源左である。その草は業である。
その業は源左の力では負いきれぬ。

それを今背負ってくれるのは牛である。牛は弥陀の姿である。草を食んで牛は牛となる。その草を牛が、今や背負う。
人間の業を食んで弥陀は弥陀となる。
人間の業を背負わずば弥陀は弥陀とならぬ。

すなわち正覚を取らぬと誓われたではないか。それが弥陀の大願である。
源左にははたと思い当たるものがあった。

柳 (1991) : 214

牛を通して他力の教えを確信した彼は、その後この教えを知ってもらおうと周りの人達に働きかける生涯を送りました。

源左が好んでしたことが三つあった。

一つは人の荷物を背負いたがった。
一つは肩を揉むのを好いた。
一つは一つは灸をすえることであった。

「ちっくり荷物を持してつかんせえ」。彼は見知らぬ人によくそういった。特に重い荷物を持っていたり、坂道にさしかかった李、年老いた人が持っていたりすると、荷物を自分に担がせてくれと頼んだ。

それにはおそらく三つの意味があったのではあるまいか。
一つは人を少しでも助けたい彼の心根がはたらいているのである。
一つは重い荷物を背負うことで、弥陀が源左の荷物を背負って下されているそのお慈悲を、少しでも強く思いみたかったのではあるいか。
彼が信心を頂いたのも牛が草を背負ってくれたその刹那であった。
三つ目にはこれで旅人と一緒に歩けるから法話をする折を植えることができる。

柳 (1991) : 226

自分の体験を通して弥陀の有難いことを、荷物を持ったり肩を揉んだりお灸を据えたりしながら人に話していたそうです。
これは12番目のステップである「証」と同じです。

源左を突き動かしていたもの、それは突き上げる喜びのようなものだったのでしょう。もし心に何らかの喜びがなければこのような行動を生涯続けることなどできなかったはずです。
その喜びとは何であったのでしょうか。

他覚

省みると誰が凡夫だと感じさせてくれるのだろうか。
凡夫である限り、自分の力で凡夫だと知れるわけがない。
そんな力がないからこそ凡夫だといえる。

凡夫という自覚は、実は自分の力を洗いざらしてしまった時に起こる。だから凡夫だと自らで「分かる」のではなく「分からせて貰う」に過ぎまい。

ここで凡夫との自覚は単なる自主的な自覚ではなく、いわば他力的なもの他覚とでも言うべきものに繋がれる。
凡夫だと分からせて貰うとたんに、他力に支えられている自分が見られる。自分では支えられないのに、そのまま支えられている自分を見出す。

自分ほど小さなものはいないと感じるのは、実は大きな力のお陰である。
自分が小さいと分かれば分かるほど、その力は大きく動く。
無限小が無限大に繋がれる。

これが歓喜なくしてなんであろうか。慚愧なる故の歓喜なのである。
地獄に堕ちると知らされた時が、浄土に迎えられる刹那である。

柳 (1991) : 217

その他の妙好人

この本には源左以外にもいろいろな妙好人が紹介されています。
妙好人といっても、気性は様々でありいろいろなタイプの人が紹介されています。

その人達ひとりひとりのキャラクターの違いと妙好人に共通している点は何かと考えながら読んでいくことで、信仰を得た人に共通する特徴をうかがい知ることが出来るでしょう。

この本には浄土真宗や妙好人に関す論考が二二篇収録されています。
文体が少し古いので、難しく感じる人は「妙好人の入信」「宗教と生活」
「源左の一生」から読むがおすすめです。

浄土真宗について興味を持たれた方は、『諸相』スタディのホームページに歎異抄の解説書も紹介していますので参照してください。
次回もお楽しみに。

関連リンク


参考文献

柳宗悦 (1991)『妙好人論集』 岩波書店