アレルギーのはなし
BBSGで進んだ箇所や、議論から得られた洞察を月一回でまとめてく予定です。
身体の渇望を最初に認める必要性
BBSGでは、現在ビッグブック第3章「さらにアルコホリズムについて」の箇所を扱っています。そこで次のような議論がなされました。
「ステップ1を学ぶ上で過程でまず、身体の渇望を知り、その上で精神の強迫観念について知るようになっているのはなぜか」
「その順番にはなんらかの意図があるのか」
この問いについて考えていきます。
医師の意見でも身体の渇望を認める重要性がはじめに示されています。
安全には飲めないという医学的な事実
アレルギーという言葉は現在では免疫系の異常な反応(花粉、ハウスダスト、卵や海老等の食べ物によって引き起こされる一般的でない反応)として知られています。ここではアレルギーの定義が、アルコホリズムにどのように適用されているかをみていきます。
それ以外では説明のしようがない多くのこと、とは何を指しているのでしょう。
このようにビックブックでは、身体の渇望をアレルギーという例えを通して伝えてきます。言い換えると、体質的に安全にアルコールを(かつては安全に飲めていた時期があっても、少なくとも今は)身体に入れられなくなっている、という事実をまずぶつけてきます。
僕はこの「身体の病気」でもあるという概念に得心できなくて、スタディミーティングで質問をした事があります。
すると講師役のメンバーから「渇望は脳の中の報酬系と言われる部分で起きている、というのが現在のところの有力説です。それはともかく、脳も人体の中の重要な臓器のひとつですね。そう考えれば身体の病気という概念が理解できませんか?」と言われて答えに困ったのを覚えています。
今振り返ると、それは理解できないということもあったけど本当は心のどこかで理解したくない、そんな本音があった事を白状します。
だって安全に飲めないことがわかってしまえば、受け入れるしかない。
つまり酒を諦めなくてはならなくなるからです。
自分で診断を下す
さて第3章ではアルコホーリクがどうか自分で診断を下すようにせまってきます。そのための最初のテストが、飲んだ後に渇望がおきるかどうかでした。
自分がアルコホーリクかどうか疑っている人には、実際に飲んでみて実験するように言っています。もし安全に飲めないのだとしたら、あなたはアルコホーリクではないのですか、と問いかけています。
今までのやり方を手放す
最初の問いに戻ります。では、なぜ最初に身体面の事をぶつけてくるのでしょうか。ジョー・マキューは今までの考えを捨てる効果について、こう記しています。
ジョーは、今までの考え(どうやってうまく飲むか)を捨てることで心は
(どうすれば飲まずにいられるかへ)新しい段階に進むと述べています。
当座は、これが最初の問いの答えとなるでしょう。
絶望への道のり
自分が安全に飲めない事を納得しても、自力で酒をやめ続けることはできないのがアルコホリズムです。安全に飲めない、でもやめ続けることはできない。つまり、自力ではアルコホリズムは解決できない。
はじめの問いの結論は、最初に身体の問題を取り上げ、次に精神の問題を取り上げることでこの病気の絶望的な状況に直面してもらう。そのための案内の順序として、身体の問題をはじめに取り上げるということです。
アルコホリズムにおける絶望とは何かという問いに対する答えとしては、十分な説明になっていないので今後も引き続き考えていきます。
次回は精神の強迫観念について取り上げる予定です。
参考文献
AA(2003) 『アルコホーリクス・アノニマス』AA日本出版局訳 ,AA日本ゼネラルサービスオフィス
ジョー・McQ (2007)『ビッグブックのスポンサーシップ』 依存症からの回復研究会