「リアンコリック」夢見りあむのメランコリックが晴れる頃
考察ブログ書いてみました。百聞は一見に如かずなので最初に自分でプレイしてみることをお勧めします。下記は、私がイベント決定からの勢いから書いた文章であり、考察なので自分なりの楽しみ方を否定するつもりはありませんのでその点はご了承ください。
Aトロはコミュ0話「夏と海と新ユニット」でお互いが似たようなことを言っているけど、向き合って話せず、杏とりあむの似た者同士がすれ違っていた時の歌詞です。それぞれ別々で自分の事しか言っていません。
押し付けのモラル もう飽き飽きしてんの (りあむ)
息が詰まるの どうにかなっちゃう寸前
鳴り響くアラーム 耳元うるさいの(杏)
明日なんてどうか来ないでいてよね
MVではりあむを最初に眠りから覚め、最初に歌たいだします。次に杏が起き次の歌詞を杏が歌歌っていてるのが分かるようになっています。
コミュ一話に該当するイラスト
囁くように天使が舞う(りあむ)
続かない幸せなんて無理
痺れ切らした悪魔ふわり(杏)
不幸の蜜ごと 愛して
歌詞とイラストによれば、杏が悪魔に。なら、りあむが天使になります。推量で上がりあむが歌っていて、下は杏が歌っていると分かります。不幸の蜜とは、二人のことを言っています。不幸の塊のようなりあむと甘く蜜のような杏のことを指していると思います。
ここまでが一話「ダメ人間でも、いいよ」。二人が別々にダメ人間らしい台詞を吐いています。
コミュ内では、りあむは、杏よりも要領が悪く、足を引っ張ることを危惧して、凪やPの意見も聞き、憂鬱な気分でレッスンルームに残りました。やはり、別々に行動しています。
凪は「ノートの中のテラリウム」の経験を得て、本音で語り合うのを恐れなくなり、そういう友達もいいなと認めれるようになりました。その上で今回のイベントでは、りあむの背中を押しています。この頃はまだりあむは家族や姉、みんなに愛されているとは思っていなかったようです。
一方杏は、自分を卑下するりあむに対して痺れを切らした(そのままの状態で固まるのが嫌だった)から恥を忍んで伝える決意をしたところです。
餃子パーティー中に、杏は思いの丈を伝えることに成功します。(個人的には一番好きなシーン)
涙腺崩壊、ゲシュタルト回復ですよ!こんなの!
杏は杏らしく、嫌なことは嫌だとはっきり言う子です。だからこそ杏を上に上げて、りあむ一人を下に下げることは楽しくないからと直接伝えました。その意図が「微睡みと本音の夜」第4話で伝わったのか、第4話のラストで
その後、杏とりあむが杏宅で、語り合ってゴロゴロし始めてから、サビが始まります。
閉じ込めてモラトリアム(二人)(ここで交わっている)
ときめきだけを探していたいだけ
世界の中心が私なら許してね
デイドリーム 叶えてよお願い
ここは、第4話「微睡みと本音の夜」が始まった頃の歌詞です。
あと五分だけ 待ってなんて言って(杏)
溺れそうよもう二度寝は上等?
面倒なこと全部投げ出して(りあむ)
連れ去っていいよ 誰も知らないとこへ
4話のラストでの杏からのこの台詞から、この時間が無限に続けば、楽しいのにという思いが伝わってきます。だが、次に惜しむような同時に切ない、同じ共犯者がいなくなってこの時間が過ぎ去れば、退屈になることを杏が案じている様子が歌詞から伝わってきます。
さよならねモラトリアム (杏)
ときめきなんて過ぎ去ってしまうモノ
それでも嘘になってしまう前に ねえ 叶えるの全てを!(りあむ)
前のフレーズは「叶えてよお願い」だったものが「叶えるよ全部」に変わっていて歌い手も杏からりあむへ変わっています。これは杏がりあむに毎日モラトリアムが終わっても、僕達で楽しく過ごせることを願っていて、それに対してりあむが「叶えるの全部」と応答したことになります。この瞬間からは、お互いがアイドルのりあむ、杏になった場面です。
場面はライブ当日に変わります。(「第5話夢見るように、ふたり」起承転結の結の手前!)
モラトリアム (杏)
ときめきだけを探していたいだけ(二人)(ここで交わっている)
世界の中心が私なら許してね デイドリーム
叶えるの全てを
ここはライブ中第5話の「リアンコリック」の歌詞になっています。
あと五分だけ待ってなんて言って 溺れそうよもう二度寝は上等?(りあむ)
面倒なこと全部投げ出して(杏)
連れ去っていいよ(杏) 誰も知らないとこへ(二人)(ここで交わって終わる)
ここのデイドリームは二人一緒に歌っています。と同時に初めてただきらめきを探して楽しむという方向性が重なり合った瞬間です。
最後のパートでは、りあむが杏に二度寝は上等?かと話かけています。
りあむは、いつか見捨てられるんじゃないか、常に不安に思って育ってきた。それは、住んでいる実家では親も姉も海外に行っていて、孤独を感じていたからだ。だがここで杏と出会ってユニットを組み、ここでは誰も見捨てないむしろ気に入られてて、愛されていると気づくきっかけになった。
りあむの不幸の蜜のような過去と杏の蜜のように甘く何でも許してしまう寛容さ、なんやかんやお人好しの杏。
凪はアイドルになって戦場を変えることによって、りあむは愛されていたことを知ることによって勝ち負けが存在しない友人としてユニットが結成しました。
夜景に流星が映っています。これは杏とりあむの願いが叶ったことを表しているのだと思います。「最後の連れ去っていいよ、誰もいないとこへ」誰もいないとこへはハモっています。つまりお互いにこれからもそんな楽しいところへつれていってと言っています。
誰も知らないところは、一体何処なんでしょうか、恐らく二次元かワクワクする現実逃避になる何かを一緒にこれから探しにいこうという意味なんだと思います。
良い意味でも悪い意味でも似た者同士で、そんな二人は互いを尊重し壁を作るより、ダメ人間同士、互いに本音を言い合えた方がいいということにお互いが知った。イベントでした。
余談
今回の曲は二人のダメさを肯定するようなゆるい曲だそうで、
私がデレステで最初に聴いた曲は「あんずのうた」「OTAHENアンセム」でした。
その頃は、うぉ!何だこの曲、コール面白れぇ!けどアイドルとか夢見てんじゃねー!と思って、ましたけど」
最初は電波曲が楽しくて、人生うんこには、共感しかないと感嘆しました。
そのままいろんな曲を聴いていくといつの間にか、同時に他ブランドのアニメも観て、ミリシタとデレステを始めていました。
こんな紆余曲折な経緯でデレステを始めてちょうど何年か経ってしまいました。
新ユニット「リアンコリック」が結成することを知って、感慨深い気持ちになりました。
20周年もありましたからね。泣きに泣きました(´;ω;`)
りあむと杏のユニットは、嬉しいことこの上なく嬉しかったです。
とはいえ、アイマスはまだまだこれから時代の影響や流行りを吸収しながら進むのかと改めて体感しました。
ライブを見に行くため、エキスポなどコミケに行くためには、へこたれたりする暇はありません。アーチャーほど勇敢な奴なわけないんですけど、俺もこれから頑張っていくから!
つまり、愛されてきたことを知った夢見りあむの物語でもありました。今まで自分が愛されていないと思ってたのは間違いだったことを知る物語。ということで、私にとってもこの自堕落で怠惰なユニットは、夢の共演でした。(誉め言葉ですよ~)
ここからは、雰囲気ぶち壊しの考察入ります~
「リアンコリック」のリアンという言葉は「フランス語で絆を意味します。Lien/リアン という言葉。 Feeringではとても馴染みのある言葉でもあり、大切にしている言葉です。」とあります。コリックは黄昏泣き(コリック)のことですね。もう一つの可能性。
「メランコリック」を文字って「リアンコリック」は面白いですよね。
メランコリック(憂鬱な)は第二話の「憂鬱をひとつまみ」に繋がっています。
りあむは、メランコリー親和型に近いかもしれない話。
注釈を付けると「テレンバッハの提唱したうつ病になりやすい病前性格」のことで、
「メランコリー親和型の人は、真面目、几帳面、良心的、責任感が強い、勤勉、正確、綿密、凝り性、完璧主義、規範や秩序を愛する、人に気を遣うなどの長所がありますが、その反面、柔軟性に欠け、挫折に弱く、物事を一人で抱え込んでしまい周囲に助けを求めることができない、適度に「サボる」ことができない、などの弱点を有しています。」
とのことで、これはやっぱり「りあむ」だよなぁ、、、
もう一つの、証言を出すと。
「メランコリー親和型の人に、精神的な負荷が持続的にかかった結果、うつ病を発症するのが、一つの典型的なパターンです。」
持続的、、、確かに毎日りあむとアンチはレスバトルを繰り広げている。
いや!これ完全にりあむじゃん!と改めて思いました。りあむの鬱治してくれよ、頼むよ杏!あと誰かこのユニットのSS書いてくれー!オタクの屍を越えてゆけ!(完)
もしもの話なのですが、私がこれからアイマスをやる意義や理由と見いだしていきたいものは、
あのコミュ2話で出演した作曲家は長期休暇を現実でも入れれたのだろうか、もし入れれたのだとしたら、現実と理想の融合、拡張現実の技法、叙実トリックとも言えるべきものがアイマスにはあるのかも知れない。そこをからも理解者側に立てるよう楽しんでいこうと思います。
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