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ウルトラマンが「そこそこ」好きな人のシン・ウルトラマン感想

どうも初めまして、記事を開いて頂きありがとうございます。昨日、初めてシン・ウルトラマンを劇場で鑑賞し一日あれこれ考えた結果、とにかく誰かと感想を共有したくなり、初めてノートを書いています。


ネタバレ有で思うままに書いていくので、これから映画を見る方はご注意ください。では始めます。

 まず、この作品に対する私の印象は「ウルトラマンへの愛があった。新しいウルトラマンを見せてくれた。」という肯定と「オタク向けすぎない?エンタメとしてはどうなのこれ?」という否定がほぼ半分ずつ。

なんとも複雑な気持ちになった映画だった。強いて言えば後者の否定的な感想がやや強い。その理由は後述するので是非、最後まで読んで頂きたい。

 肯定的に捉えれば驚くほどに初代ウルトラマンやウルトラシリーズへの愛に溢れた映画であったように思う。

そこかしこにウルトラシリーズファンへの目配せやサービスがあり、作り手の遊び心が感じられた。

また、外星人から人類はどう写るのかがはっきり描かれそれが後の展開に繋がっている点は非常に面白いと感じた。


 (神永と融合した)ウルトラマンにとって人類は愛すべき命である。

しかし、他方でザラブにとっては滅ぼすに値する邪魔者、メフィラスにとっては利用価値のある資源でしかない。さらに、ウルトラマンと同じ光の国の住人であるゾーフィでさえ人類を数多の知的生命体の一つであり、滅ぼすこともやむを得ない存在と捉えている。(後に考えを変えてはいるが。)

こうした様々な外星人の視点が描かれることで、それでも人類を愛し存続させようとするウルトラマンの異質さが強調されていた。そこまでして守られる人類とはどんな存在か、人類はどうあるべきなのかという問いかけが自然と観客に向けられているようで、考えさせられるものがあった。

そして「最後は人類自身が人類を救わねばならない」というウルトラマンシリーズの根底にあるテーマに向かっていくという流れは悪くなかった。


 ウルトラマンが大好きな人がたちが作った映画なんだなと感じたし、この人たちの熱量に比べれば私の好きの熱量は「そこそこ」と呼ぶくらいが丁度いいのかもしれないと考えたりもした。なんにせよ、そのくらいウルトラマン愛が凝縮された映画であったことは間違いない。

 しかし、このぎっしり詰まった愛が一本の映画としての面白さを損なっている感も否めない。

要するにシン・ウルトラマンではじめてウルトラマンに触れた場合、この映画は最低限楽しめるものになっているのかという問題がある。約二時間という時間の制約と、「これくらいは知っているよね」という説明の省略がそのまま分かりにくさになってしまっている面は確実にあるだろう。


 例えば、神永がウルトラマンとなる経緯に関して言えば純粋な人間としての神永は一度死んでいることやその後ウルトラマンと融合したが為に言動が浮世離れしていること、神永が初めから外星人だったわけではないことなどきちんと受け手に伝わっているのだろうかと心配になった。ただでさえ次々に事件が起こり、その度に新たな外星人たちが違った目的で行動を起こすため忙しなく展開していく物語の中で予備知識がないままでは着いていけなくなってしまうということはないだろうか。


さらに、そうした忙しなさと他の外星人とウルトラマンとのスタンスの違いを描く必要からウルトラマンと禍特対の面々との交流を描く時間が短くなりすぎているとも感じた。結果としてウルトラマンが、命を懸けてまで人類の為に戦うという行動の理由がいまいち見えづらくなっており、終盤の展開の説得力が欠けてしまうのも非常に惜しい。

この辺りがもう少し肉付けされていれば最後の「そんなに人間が好きになったのか」という台詞がより輝いたのではないかと思う。

こういった理由から「強い作品愛故にマニア向けに振りすぎてしまった新解釈ウルトラマン」として私の中ではこの作品が整理されつつある。

否定的な見方が僅かに強くなってしまうのは、私がマニアだけでなく、もっと多くの人に向けて改めて発信されるウルトラマン作品を見てみたかったからなのだと思う。他の方の感想も読みつつ、もう少し色々と考えてみたい。

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