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「なみだ」の話【ショートショート】

本編


 長子長女として生まれた私は、どれだけ悔しいことがあっても、悲しくても、外で泣くことはほとんどない。治安の悪いところで育ったのもあって、「泣く」=「弱み」という方程式は私の中でごく自然なものとして存在している。
 しかし、最近私はよく、人前で泣いて皆を困らせている人によく出会う。
 そういう人たちは恵まれた環境で育った人か、末っ子など…長子でないことが多い。
 私は、学校内で泣くことのできるスポットを日々厳選している。
 弓道場の裏手、人が来ない階段、あとはベタに、体育館の裏とか。
 人がこなさそうな場所を見つけてはメモしておく。
 しかし人の前で泣ける彼ら彼女らはそんなことする必要がないのだろう。
 「涙」という字は、さんずいに「戻る」と書く。さんずいはもちろん水関連の漢字であることを示しているが、「戻」はどんな意味?私の感覚的には「子供に戻る」みたいな意味だ。
 実際には「隙間なく連なる」と言う意味だが、どうしても、泣いている人が、子供に戻っているように見えるのだ。
 その理論でいくのならば、掃除されてない建物の裏や、階段の段差に積み重なっていく私の「なみだ」は「涙」なのか?
 私はその水滴に、「泪」という字をあてたいと、常々思っている。

あとがき

これは個人の感想です。みんなの前で泣くのが悪いことなわけではないので悪しからず。
(私は読書などで感極まりやすい質なので、電車で泣いちゃったりもします)

双村琴音

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