大河ドラマ「どうする家康」総評
2023年放送、第62作大河ドラマ「どうする家康」が最終回を迎えました。
無事最終回まで放送され、関わった全キャスト、スタッフの方々に感謝いたします。
今作の総評を本記事ではお届けしたく存じます。
この一年、感じていたことを赤裸々に。
🐇では、出陣じゃ🐇
まず、本作を簡潔に評すなら
熱量が底知れずチャレンジングに溢れた未来の大河への第一歩
と言います。
ここからは、何点かのポイントに分けて綴っていこうと思います。
回想の多様
本作の特徴として、主に前半において、所謂「後出しジャンケン」的に新規の回想を挿入することが多くありましたね。今川氏真、お田鶴、本多正信、家康誕生秘話、信長…。編年体でオーソドックスに描くのではなく、小説を脚本に起こしたような表現だなと以前ツイートしたのを覚えています。
”徳川家康という長くて濃い人生を描くには、この手法は有効で、また脚本の古沢良太さんもこの手法を得意・特徴とされる作家さんです。
第二話「兎と狼」で描かれた、家康誕生秘話、そして第9話「守るべきもの」で描かれた正信の過去。
この二エピソードについては、家康の心の動きや殿として変わっていく様子とオーバーラップして表現され、回想がまさしく主題に還ってくるという趣。
非常に練られた脚本で素晴らしかったです。
対して、第11回「信玄との密約」で描かれた、お田鶴と瀬名の過去、第12回「氏真」で描かれた、義元の氏真への愛、そして第27回「安土城の決闘」で描かれた信長の過去。
この三エピソードは、単なるその回でクローズアップしたい人物の過去を掘り下げただけとも受け取れます。その人物は解像度が上がるかもしれませんが、家康との主題や今後の展開にイマイチ繋がっていません。謂わば蛇足とも取れました。
過去に戻らずとも現在いる人物で葛藤やドラマを描くこともできたはず。役者さんの名演があっただけに悔やまれます。
後出し回想がダメと言っているわけでは決して無いのです。先程も述べましたように、実際素晴らしい回もあった訳ですし。古沢さんの得意技であるとは思いますが、多用しすぎて効果的になっていないなと感じてしまいました。
テクニックな脚本を書かれる作家さんなだけに、一つ掛け違えると?になってしまったと。
ゲスト回エピソード
これも本作の特徴の一つ。
第9回「お手付きしてどうする!」でのお葉、第14回「金ヶ崎でどうする!」での阿月、第21回「長篠を救え!」での鳥居強右衛門など。
本作は民法でよく使われるその回のみのゲストをクローズアップするという手法を大河では珍しく使ったなと感じました。これも本作のチャレンジングだなと思う一点。
脚本の古沢さんはこれを意図的にやったとインタビューで語られていました。
遊び心や想像力を膨らませるエピソードで、確かに楽しいなと思いますが、これだけ長い生涯の家康を主人公として描くにあたって果たして必要だったのかは疑問に感じました。
別に史実や戦闘シーンを描けと言っている訳ではありません。家康や家臣団、重要人物たちの人間ドラマや思惑の違いなどを描くのにその尺を使うこともできたはず。スピンオフ的な事を描くより、まず第一に主題を描いてこそのドラマ作品というのでは無いかと思います。
このゲスト回エピソードで素晴らしかったと感じた回は、鳥居強右衛門を描いた第21回「長篠を救え!」です。
強右衛門だけを描くわけでもなく、長篠の戦いを前にした家康やその家族たち、武将たちの心揺れる姿を丁寧に描いていた。また、大河ドラマであまり取り扱われないこのエピソードを映像化したのもこの大河の意義があると感じられました。
物語性の強さ~キャラ造形の視点~
従来の定番エピソードや定説にとらわれる事なく、「ドラマ」としてエンターテイメント性を重視したのが、本作の評価すべき点かなと思います。
まず、家康のキャラクター。従来の家康というと、重厚で狸というイメージがありますね。本作はその真逆ともいっていい、「弱虫泣き虫のプリンス」という設定。これには、賛否両論、様々な意見がTwitterなどでも見られましたね。
しかしよく考えてみてください。その従来のイメージというのは、過去の映画やドラマ、著作物に依るところが大きいわけです。「戦国大河」「徳川家康」というある意味描かれ尽くした題材に今、また一年間かけて挑んだ意義は何なのか。この作品にしか出せない〝色〟、〝個性〟を出さないとやる意味が無い。
本作は、最新研究を最大限取り入れつつも、「物語」としての面白さを最優先した。その軸にあったのが家康のキャラクターに集約されているのではないかと。
本作の家康は、13歳の頃から松本潤さんが演じられました。子供の頃から狡猾で「狸」である訳ないではありませんか。色々な経験や苦難を乗り越えて実際、劇中でも「狸」と呼ばれるようになったと描かれました。
家康という人間が、様々な選択の中で、戦国の世に身を投じることを受け入れ、「白兎」の心を捨てていくほかなかった、そんな男の人間ドラマなのです。
物語性の強さ~その課題点より~
前項にて、エンターテインメント性に富んだ物語の強さを評価したいと記しました。しかしながら、その弊害が作品にも出てしまったとも思います。
どういうことかと申しますと、具体的なエピソードをあげて評したいと思います。その二つとは、築山事件と本能寺。
①築山事件
本作を語る上では外すことが出来ない、ヒロイン・瀬名の死。いわゆる築山事件です。この事件の史実はあまり残っていないようで、自由に描ける部分。
脚本の古沢さんは、「瀬名は悪女だったと言われるが、それは本当だったのか?」という事をインタビューなどでもよく語られていました。かなり思い入れがあったと思います。この構想に沿って、壮大なオリジナルストーリーが描かれましたね。
瀬名は、「戦をいくら続けても戦は止まない。停戦協定を各地と結ぼう。武田とも停戦しよう。」簡潔に言うとそのような企てです。戦を目の前で経験していない瀬名が〝綺麗事〟を言うのは分かります。そして、家康がこれに賭けようとする気持ちも分からなくもない。
しかし、家臣一同、そして歴戦の武田の人々まで主要キャラほぼ全員がこれに賛同するのは些か強引すぎたのではないかと思うのです。
現実と理想の大きな溝、これを乗り越えた先の家康の成長を描くための大胆な筋書きを目指していながら、脇道の「リアリティ」が欠如してしまっていたのではないかと。
ドラマですから史実を再現すればいいのではありません。ドラマというのは、「壮大な嘘」と私は考えています。現実ではなく、夢を届けるもの。しかし、その為には細部にリアリティがないと成立しないです。
②本能寺
本能寺の変も、家康の大きな転換点の一つとして描かれた重要なエピソードです。信長と家康の絆にスポットライトが当てられました。
「信長を殺す。」
その一言で、瀬名の死以降の物語が大きく動き出した瞬間でした。
瀬名と信康を死なせてしまった事により、信長を恨んでいましたが、その本心を隠していた家康。それを爆発させようと、信長に気づかれつつも信長を討とうとしたが、実際にやったのは明智光秀だった。
なんとも見事に練られた脚本!まさにテクニカルな古沢脚本の真骨頂だと感じました。
そして、この展開に家康と信長の「相思相愛」がプラスして描かれました。
確かに、二人の歪んだ絆は、序盤から家康の幼少期に「強くなるための鍛錬」を信長が行ったいうエピソードは描かれていました。家康はどちらかと言うと、尊敬はしながらも畏れていたという描かれ方をしていましたね。
第28回「本能寺の変」の終盤に、信長の本能寺での殺陣と、家康の伊賀越えの殺陣がオーバーラップする演出が仕掛けられました。前述したように、家康の信長への畏怖の気持ちを消して、エモーショナルに表現したように見えてしまったのです。せっかく序盤から丁寧に二人の関係性を描いていただけに、最後それがぶれてしまったのではないかと。
演出もスローモーションと回想の多様で、クライマックスの場面のはずが緊迫感や引き込み方が薄れてしまい、もったいなかったです。(色々な意見があると思いますので、あくまで一意見として捉えてください。)
本作は、特に前半において〝ここが力を入れたい!〟と言うところで発想はいいのに、力みすぎて細部が雑になってしまっているなあというのが目立ってしまっていたと感じてしまいました。
(作品を客観的に見るとですが)そこが一部から否定的な意見がかなり表に出てしまった一因でもあるのではないかと。
ですが…ということを次の項で書きますね!
挑戦に拍手したい〜新しい大河〜
ここまで、主に本作の脚本演出面における評価を書いていきました。結構厳し目のことを書いたなと自分でも思います(笑)。
ですが、新たな発想で歴史を捉え直す、チャレンジを最後まで続ける。そんなこの大河、私は大好きです。
新しいことをするのには、批判はつきものです。ですが、同じことを繰り返していてはコンテンツとして廃れてしまいます。
「昔の大河の方が良かった」「軽い」…。と言う方もいるかもしれません。私も古い往年の大河と呼ばれる作品も大好きです。しかし、このチャレンジングな大河も同じぐらい大好き。どちらも好きではダメなのでしょうか?
あと一つ言いたい!昔の大河だって笑える場面もコメディもありましたよと。
以前、記事で書いたと思いますが、例えば「黄金の日日」という戦国大河。重厚と評される作品ですが、軽妙なやり取りやドリフのコントのような場面がありました。
そして、何かと比較する人が多い、前年の「鎌倉殿の13人」。扱う時代も作風も違うのになぜ比較するんですか?と言いたい。
「みんな違ってみんないい」んです。
(最終回フライングどうするを見て追記)
最後まで路線変更する事なく、「どうする家康」らしさを貫いてくれました。これだけでも、1年間追いかけてきて良かったなと思いました!
殿潤のはなし
そして、松本潤さんが大河ドラマの主役を演じてくださったのも、大河ドラマファンとしてものすごく嬉しかったです。
正直なところ、こんなに演技が上手な方だとは思っていませんでした。ところが蓋を開けてみると、振り切ってヘタレ時代から、大御所へと変わっていく家康を見事に演じられました。
私が特に好きなのは、眼の演技。涙の演技。
第9回「守るべきもの」にて、三河一向一揆が終結し、本多正信と対面した際の涙。
まだ白兎ですが、為政者として少しずつ変化しようとしている覚悟が涙と表情の芝居で伝わってきて、惹き込まれました。
そして、第46回「大坂の陣」にて、大坂城へ大砲を撃ち込んで息子・秀忠に攻められた際の涙。
冗談ではなく、そこに「松本潤」はいませんでした。紛れもなく「徳川家康」が画面にいて、身震いしました。
決して成長したわけではなく、変わらざるを得なかった家康の内面が伝わってきました。
そして演技だけでなく、様々なイベントやゆかりの地・岡崎浜松などへの地域貢献も積極的に取り組んでくださいました。大河ドラマの歴史においても、大きな功績を残されたことでしょう。
有る事無い事言われても、この大河にかける思い、姿や演技を見ていると、そんな事をどうして信じられましょうか?
松本潤さん、また大河に戻ってきてくださいね!
私も松本潤さんをこれからも応援していきたいと思います!
最後に
この大河を例えると、
人気レストランで新しいメニューを開発したが、所々変な味付けがある。けれど、それは熱狂的に愛してくれる人もいる料理になった。
そう評したいと思います。
不完全だけれど、愛したくなる、そんな作品。
気が早いですが、また古沢良太さんには今作の経験を経て、もう一度大河ドラマに挑んでほしいなと強く思います。
さて、ここまで総評読んでいただき、ありがとうございました!
私は毎週、ツイッターで「どうする家康」リアルタイム実況、そして放送後のスペースで、様々発進させていただきました。
沢山の潤担さんと交流もすることができました。こんな素敵な一年を送ることができて幸せでした!
そして、こんなにチャレンジングで大好きな大河ドラマに出会えて嬉しかったです。
大河ドラマの歴史はまだまだ続きます。
来年以降も、是非皆さんと大河ドラマを楽しんで、応援していきたいと思います!
ありがとう、どうする家康!
休日のG党・筆