超・近代観光都市・京都(前編)

 ※本作品はフィクションです。
(一)創世学
 京都市西京区に西京都大学という、ほとんど知られていない、しかし、知る人ぞ知る大学がある。学部は創世学部のみ。知る人は「夜明けの大学」とか「良識の聖地」などと呼んでいる。創世社会学の原本教授の四月開講の授業である。
 「ようこそ。みなさんがこの大学に入学されたのにはいろいろな理由があると思いますが、その理由はしばらくおいといて、まずは、創世学の紹介ということで、思うままにお話させていただきます。
 『創世学』は当時、大日本大学経済学博士であった水谷健治郎先生が提唱された学問体系です。先生は富の偏在について研究されておられました。富める者が莫大な財産を築く一方で貧しき者たち、その日の食事にも事欠く者たちがあとをたたない状況を憂いて、富の再配分のルールを考え直そうということで呼びかけられたのです。賛同する研究者が現れ、出資者が現れ、そして、京都にこの大学がつくられることになったわけです。
 創世学の本を読まれた方もおられるとは思いますが、残念なことにそこには本当に言いたいことはほとんど書かれていません。書けないのですね。あまりにも利害関係者が多いのです。自分の利害がからんでくると人は態度が変わります。その話はおいおいさせていただくとして。
 さて、今、みなさんが暮らすこの世の中には問題点がたくさんあります。人間てこんなにアホなんかと思うぐらいに問題点ばかりです。戦争をしてます。内戦があります。独裁があり、伝染病があり、飢餓に苦しむひと、貧困にあえぐひと、また、地震、津波、気候不順、食糧難。あるいは、病気のひと、介護されねばならないひと、介護しなければならないひと、失業者、差別、セクシュアルマイノリティのひと。また犯罪も増えていますね。それから、日本では人口減少が非常に重い課題になってきます。そのひとつひとつについて、全体的に、あるいは、個別的に、解決策を提示する、それが創世学の目的です。どうすれば解決するかという視点からではなくて、どういうルールをつくれば解決していくかという視点ですね。
 みなさんの多くは高校を卒業されてここに来ています。高校で学ぶことには模範解答が用意されていて、それを理解し、覚えることに力を注いだことと思います。しかし、一般的に大学というところはそうなのですが、特にここには模範解答などというものはありません。
 みなさんは何を望みますか。どんな世の中がいいと思いますか。みなさんひとりひとりがそれぞれ意見、考えをお持ちのことと思います。もし、まだ考えていないというひとがおられましたら、まず最初に考えてください。一番大事なところですから。自分はどんな世の中に住みたいと思いますか。まずそれを思い描くことから始めてください。そう言うと多くの学生は毎日遊んで暮らすのがいちばんいいと言います。実現するのならそれでもいいと思いますが、それは実現することですか。
 今は『民主主義』の世の中だと言われていて、みなさんもそれがいいと思っておられることと思います。でも、『民主主義』が良くって、今が『民主主義』の世の中ならばなぜこんなに問題だらけなんでしょうか。
 ひとりひとりが思い描いていただきたいのです、自分が暮らしたい世の中を。あなたは何をしていますか。ほかの人たちは何をしていますか。
 私はみんなが納得できる『正しい』社会をつくろうと言っているのではありません。ひとりひとりの望みはみな違うのだから、みんなが100パーセント納得できる答えなどないのです。正解はひとの数だけあります。無数にあります。どれを『選ぶか』ということなのですね。正確に言うならば、どれを選んでもそれは「正解」なのです。
 これまでの歴史のなかで社会はいろいろな呼び方がされています。祭祀政治、王政、帝政、封建領主制、奴隷制社会、宗教社会、資本主義社会、共産主義社会、民主主義社会、共和主義社会、自由主義社会。主に支配の仕組みをもとに区分けしています。どんな世の中がいいと思うかは皆さんの自由です。
 みなさんひとりひとりが自分の思い描く世の中に至る道筋を考えるならば、多くのひとが支持する方向に世の中が動いていくだろうというのが『創世学』のコア、核心になります。
 ただ、これまでは一部のひとが『正しい』と主張することに大勢のひとが迎合するというかたちで歴史は動いてきました。言い方を変えるならば、支配する者が『正しい』というルール、考え方にみんなが従ってきたということです。さらに言い換えれば一部の人たちが自分たちに都合のよいルールを提唱し、ほかの者たちはそれを受け入れてきたということです。
 なぜ受け入れてきたか、それは、暴力により押さえつけられてきたからです。支配者が暴力を組織すれば一般大衆は逆らえません。その暴力組織は戦闘集団であったり、軍事組織であったり、警察機構であったり、憲兵であったり、いろいろな形があります。ひとりひとりの力では逆らえません。
 しかし、世の中というものは変わっていくものです。動いていきます、長い目でみれば。そして、これからも動いていくと私は考えています。コミュニケーションの手段が格段に広がり、深まってきたからです。パソコンやスマートフォンの普及がこれまでできなかったような個人レベルでの情報の共有と組織化を可能にしました。このことがひとりひとりの自立をうながすのです。
 創世学ではみなさんが正しいと思っていることのひとつひとつをそれはほんとうに正しいのか、それはなぜそうなっているのかを問うてゆきます。それはこれからの授業のなかで問題にしていきますが、まずは私が差し迫っていると考える問題についてお話したいと思います。

 今、私たちが置かれている状況のなかで、考えていかねばならない喫緊の問題として戦争や地震や伝染病、あるいは少子化、温暖化などもありますが、私はひとつの例としてまず健康の問題をお話したい。
 みなさんは人間のあるべき寿命はどれくらいだと思いますか。90歳くらいまで生きられるようになってきましたよね。だからみなさんは90歳まで生きれば良かったと思う。そうでしょうか。働けなくなって寝た切り状態で生きていてもうれしくないですよね。年をとるとだれしもが身体的に何らかの不都合をかかえるようになる。これはあるべき状態でしょうか。
 たくさんの研究者が研究しています。ひとはなぜ老いるのか。衰えるのか。病気になるのか。長く生きることに意味はない、なぜならば、輪廻転生を繰り返してひとは成長していくのだから、という考え方もあります。しかし、ここでは、生まれてきたからには有意義な人生を楽しみたい、という前提で考えていきます。私としては「死ぬまで元気」というのがいいと思っていますがね。ですから、無駄に病気になりたくないのです。
 健康の三要素は栄養と運動と睡眠だなどと言われたりもしますが、そんなに簡単ではありません。よろしいですか。重要度に差があるとしてももっとたくさんの要因があります。
 健康でいたければまずは汚染されていない食品を食べる、これが大事です。からだにとって毒混じりの食べ物を食べ続けるといづれはガンその他の病気を発症することになります。からだが毒の蓄積に耐えられなくなったときに発病します。毒というのは簡単に言うと農薬や合成添加物などのことです。ヒトというのは何億年という生命の進化の過程をへてつくられてきた生き物です。環境のなかに存在する物質に対応するように進化してきました。しかし、ここ数十年来にあたらしく合成された物質にはからだが対応できないのです。食べてすぐに影響がでるような毒素もありますが、最近の化学合成物質には体内に何十年も蓄積されて後発病するものもあります。何十年も影響がないから無害である。そうでしょうか。
 つぎに汚染されていない水を飲むことも大事です。殺菌用に加えられた塩素はそれ自体有害な物質ですが、水にはあらゆるものが溶け込んでいきます。上水道の浄化の過程や、配管での送水途上でも接触物が溶け込んでいきます。
 それから呼吸する空気。大気中には、自動車や航空機からの排気ガスや、焼却場などで放たれた燃え残り物質が放たれます。さらに、クリーニング店や繊維工場から蒸散により放たれる物質、それから、黄砂のように風により吹き上げられる粉塵など、いろいろただよっています。それらからも有害物質を取り込んでしまいます。特に室内では家具や建材などにつかわれる接着剤がからだと精神に悪影響をおよぼします。粉塵のなかのアスベストなどはその発がん性がよく知られています。
 有害物質はさらに肌からも吸収されます。皮膚に塗る化粧品や日焼け止めクリームや、手や顔を洗うせっけんや洗剤。これらは食べ物のように消化という過程をとおらずにそのままのかたちで体内に取り込まれてしまいます。
 からだにとっては、光も大事です。一番影響が大きいのは蛍光灯の光です。蛍光灯の光は精神に作用してヒトを興奮させます。ある研究者は、家具や建材から放たれるホルムアルデヒドと蛍光灯がなければ、家庭内暴力と乳幼児の虐待の九割はおこらなかったろうと言っています。テレビやパソコン、スマホの液晶画面の光も興奮作用があり、精神的ストレスを与え続け、それはからだの不調の一因となります。
 光については余談になりますが、私としてはろうそくの光がいいですね。気持ちが落ち着くのです。ろうそくの光を見ているとあくせくするのがいやになってね、さっさと寝てしまおうって気になります。だから、逆に夜おそくまで働かねばならない場合や、受験勉強にはげむ受験生にとっては蛍光灯の光は役に立つといえます。気持ちをたかぶらせるから寝る気にならない。健康にいいかどうかは別にしてね。
 ろうそくといえば、今、非常に明るいろうそくが開発されています。燃える炎ですから火災には気をつけねばなりませんが、元気で長生きしたければひとつの選択肢になりえると思います。ま、とりあえずは白熱電球にもどすのがいいと思います。
 また、電磁波も注意せねばなりません。磁場は最初から地球にあるものなので私は問題ないと思っているのですが、電場は、特に高圧送電線の下では白血病が増えるといわれているように、からだに影響をおよぼします。みなさんの家の中は電場だらけです。家屋中電線がはりめぐらされ、電線の網の中でくらしているようなものです。特に交流電源の場合はスイッチを切っても、電線がつながっているかぎり変動電場が発生し続けます。スイッチというのは普通、往復二本の線のうち一本を遮断するものですよね。それで電気の消費はなくなるのですが、片方の一本がつながっているかぎり、交流の場合はその一本が電場を発生しつづけるのです。ですから家の中で電場の影響を最小にするためには、線を二本とも遮断せねばなりません。また、最近は携帯電話やスマートフォンの電場の影響も無視すべきではありません。微弱といえども長年継続することによりからだはその影響を蓄積しつづけます。
 音にも安らぐ音と、興奮させ、また、不安にする音があります。毎日聞いている音と病気との関係はわたしは無関係ではありえないと考えているのですが、まだ、はっきりとした研究結果は出ていないようです。
 また、振動も極低周波振動に継続してさらされ続けると消化器系疾患が増えるという研究があります。自動車、列車、航空機に乗務する人たちはリフレッシュに留意せねばなりません。
 それから、これはあまり知られてはいないことですが、コンクリートの中で暮らす人とそうでない人では、生存年数に差があるという研究があります。これは動物実験ではかなり裏付けられているのですが、人間の場合でもコンクリートの建物、マンションなどに住む人たちの病気の割合が高いという研究が報告されています。
 マンションでは、さらに、高層階にすむ人ほど早く死ぬという研究も報告されています。
 まだ、研究途上ですが、都会に住むか田舎に住むかで生存年数や病気の罹患率に差がありそうだと言われてきております。
 ん、何か。」
 「あの、コンクリートの中とか、マンションの高層階とかが健康に影響するとか、これまで一度も聞いたことがないのですが。」
 「始めに申し上げましたが、もう一度言います。あまりにも利害がからむのです。正しいから言えばいいというものではありません。知っていてもおおっぴらにできない、そんなことは多々あります。特に大学教授やマスコミ関係者は言いたくても立場上言えない、そんなことをいっぱいかかえていると思いますよ。とりあえず問題が大きくなければ、まあいいかですませられますし。」
 「それは無責任ではないですか。」
 「それも創世学のひとつのテーマです。言いたいことを自由に言い合えるためには何をルールとすればよいか。法律だけがルールではありません。常識や慣習もルールです。みなさんがあたりまえと思っていることも、実質的に法律と同等に作用します。
 ですから、みなさんがあたりまえだと思い、問題ないと思っていても、深く追求していけば健康を損ね、命を縮めることにどっぷりはまりこんでいるのかもしれない。
 創世学は先に申し上げたように、模範解答というものはありません。目的があって、それにむかっての手段があるのです。それが創世学です。みなさんがなにを望むかは100パーセントみなさんの自由です。ですからこそ、みなさんひとりひとりが自分はどんな社会を望むのか、それをこの大学で、そして卒業したあとも深く深く追求していただきたいと思います。」

 創世社会学の原本教授の四月開講の授業はこのように始まっていった。そして、後に、「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」を標榜して、「ひとりみんな党」を立ち上げた皆上雄一、京都府知事になった福本四郎、京都市長になった清水紘衛らはこの創世学部の卒業生であった。彼らが後の世の京都を創ることになる。

(二)ひとりみんな党
 京都市中京区の一角で『ひとりみんな党』の第一回政策説明会が開かれた。代表となった皆上雄一が話しはじめた。
 「ようこそ、お忙しいところをお集まりいただき、ありがとうございます。僭越ながら古い仲間たちが集まって『ひとりみんな党』を立ち上げさせていただきました。ここにお集まりのみなさんも、私どもとおなじように、いろいろと今の政治にはご不満やご意見をお持ちのことと思います。誰も変えてくれないのなら自分たちで今の政治を変えていくしかないと今回政党として出発させていただくのですが、では、どんなふうに変えていくのか、『ひとりみんな党』としての考えを述べさせていただきます。

 まず、『ひとりみんな党』が目指すゴールから申し上げます。『みんながしあわせに生きられる世の中をめざす』ということに尽きます。そのための方法として『ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために』行動する、ということです。みんなが助け合い、支えあって生きてゆく、それができないはずがないのです。それができるならばお金はいりません。『ひとりみんな党』はお金がない世の中を最終のゴールとして目指します。
 まず、お金についてお話させていただきます。お金さえあればなんだって買えます。なんでもできます。逆にお金がなければ生きてゆけません。だから私たちはお金を得るためにあくせく働きます。お金がたっぷりあれば勝ち組となり、余裕のある暮らしができます。しかし、お金が十分になければ負け組となり辛い暮らしを強いられます。それがあたりまえだと思っているかもしれませんが、とんでもない思い込みです。人の世に、勝ち組で潤う少数の人と、負け組でつらい思いをする多くの人と、そんなふうに差ができてしまうのがあたりまえなわけはないのです。
 アメリカンドリームということばがあります。自分が成功してしあわせを手に入れることを言います。このことばに惑わされて、自分の成功と幸せを追い求めます。それでいいと思いますか。みんなが幸せでなくっても、自分だけが幸せでそれで満足ですか。
 自由ということばがあります。みなさんは自分が自由だとおもいますか。毎日お金を得るために朝から晩まで身を粉にして働かざるを得ない状態、それが自由な状態ですか。
 今はみなさんお金のために働いています。お金がなければ生きるのに必要な物資が手に入らないからです。生きるのになにが必要ですか。衣食住といわれるように、おおざっぱに言えば、着るもの、食べるもの、住むところがあれば生きてゆけます。もし、誰もが生まれてから死ぬまで衣食住に不自由しないことが保障されたなら、誰があくせく働くでしょうか。
 言葉を変えて言えば、『健康で文化的な最低限度の生活』を保障されているなら、誰があくせく働くでしょうか。家畜のように狭い部屋に住まわされて食べ物だけは与えてもらえる、そんな話をしているのではありません。もっとも、家畜といえども、狭い厩舎に閉じ込めることには私たちは反対しておりますが。みなさん誰もが自分なりの『健康で文化的な最低限度の生活』を思い描くことができると思います。何億円もする豪邸に住みたいとか、何千万円もする車を乗り回したいとか、毎日飽きるほどビーフステーキを食べたいとか、一年中世界中の温泉巡りをしながら食べ歩きをしたいとか、そんなことは言われても困りますが、自分と家族が暮らす家や、自分と家族の趣味や日常の文化的な活動などはみなさんひとりひとりが思い描くことができると思います。みんなが助け合えば、ひとりひとりの日常的なこんなことがしたい、あんなことがしたい、は実現できないはずがない、そう考えます。

 もう少し具体的にお話します。私たちがゴールだとするお金がない社会というのはどんな社会でしょうか。
 生きるのに必要なものはみんなで作り、それを分け合うということです。食べ物はみんなで作り、みんなで分ける。着るものもみんなで作り、分け合う。住むところもみんなで協力して建てる。それだけなら今のように朝から晩まであくせく働き続ける必要などないでしょう。それ以外に、電気、ガス、水道をはじめ、通信手段や、消耗品、家具、道具、こまごまとしたものをいろいろと使いたいわけですが、それらも自分たちで手分けして製作し、維持する必要があります。電気について言えば、巨大な発電所はいりません。地域ごとに限りなく小規模な発電設備を設置します。できるならば各家庭ごとに発電設備をおくのがのぞましいといえます。今現在の話をしているのではありません。何十年先か何百年先かの話です。そのための技術が発達することになります。儲けるための技術ではなく、生活するための技術です。みんなで工夫して新しい暮らしをつくればよいのです。
 それから、お金がないから、外国から輸入できません。自国内で生産されるものだけで生きてゆかねばなりません。食糧は入ってきません。石油、石炭、天然ガスは入ってきません。ですから、今のような車社会は維持できません。
 そうまでしてお金をなくしたいのか、そう言われそうですが、そうです、そうまでしてお金をなくしたいのです。なぜか。未来にむけて人類が繁栄するためには、今の多生産、多消費社会を改める必要があるからです。今、人類は繁栄しているようにみえますが、その陰で、人類は地球資源を収奪し、他の生き物たちを略奪し、自然環境を破壊しつづけています。なぜか。お金を得ることをすべてに優先させているからです。お金を得るためなら、地下資源は取り放題です。地上と地下の水は汲み放題です。お金を得るためなら、陸や海の生き物を収穫し放題です。森は破壊し放題です。足らなくなれば、養殖したり、厩舎に閉じ込めて工場生産したり、品種改良という名のもとに、自力で生きられない品種を作り続けたりしています。すべてお金を得るという大義名分のためにしているのです。そのことが人間自身の首をも絞めているのに気がつかねばなりません。
 みなさんはお金を得るために毎日長時間働いています。専門職であれ、補助的な職種であれ、営業や、販売や、流通や、新製品の開発や、いろんな職業についています。すべてお金を得るためです。そして、その結果として、みなさんはお金がなければ生きてゆけなくなりました。誰かがつくったものをお金で買わねばわねば生きてゆけなくなりました。自分でつくれないからです。昔の村社会では必要なものは自分たちでつくっていました。今、科学技術が発達して、より豊かに、より便利に、より快適になったように見えるかもしれませんが、そのために、朝から晩まで、毎日お金を求めて働き続けねばなりません。そして、ひとたび電気が止まれば、多分、石器時代に戻るしかないでしょう。生産が止まり、流通が止まれば、何も手にはいらなくなるからです。自分ではなにも作れないからです。

 お金が足かせになっています。お金があるかぎり、お金を求め続ける暮らしを余儀なくされます。自分の命と健康よりもお金が大事、自然環境を守ることよりもお金が大事、そんな生活を余儀なくされます。ならば、みんなで協力してお金をなくしてしまいましょう、いったんお金をなくして自分たちのしあわせな暮らしを原点に戻ってつくりなおしましょう、『ひとりみんな党』はそう主張するわけです。
 お金がないということは、住む場所、住む家がお金を払わなくても手に入ることが前提になります。土地は誰のものでもない、みんなで利用するものです。家はみんなで建ててみんなで住むものです。土地はみんなのもの、家もみんなのものです。
 すると、土地や家を支給する仕組みが必要になってきます。できるだけゆるやかに移行してゆきたいと考えていますが、最終的に『ひとりみんな党』はすべての夫婦に二反の土地、すなわち二千平方メートルの土地を支給したいと考えております。二反の田畑があれば家族が生きていけるだけの米と野菜などが収穫できるだろうと思われるからです。この数字についてはもっと正確につかむ必要があると思われますが、家族が食べる分にいくらかの余分な収穫があればよいのです。余った分は地域の集配所に持っていけばよい、欲しい人はそこから黙って持っていけばよい、夕方にみんなで集まって分配されなかった分を始末すればよい、それでみんなが生きてゆけます。簡単ですよね。
 衣食住の食についてはそのように定めて、みんなで作るにしても、衣については大きくは綿と絹と羊毛がありますが、もっとたくさんの原材料があります。各戸ごとに取り組むのか、集落単位で取り組むのか、地域を決めて取り組むのか、『ひとりみんな党』は目に見える範囲での暮らしを進めていきたいと思っています。みんなの顔が見える暮らし、それが助け合う原点だと思うからです。。
 合成繊維で衣類を製造することは考慮しておりません。理由はみっつ。ひとつは、原料が手に入らなくなるから。ふたつめには、自然環境にたいして、そして、他の生物種にとって有害であるから。みっつめは、人間自身にとって有害だから。この点については、他の機会にお話するつもりでおります。
 衣食住の住については、みんなで協力して家を建てようというにつきます。
 このように申し上げますと、まるで昔の暮らしにもどるのか、と思われるかもしれません。江戸時代以前の暮らしにもどるのかと。そのとおりです。昔はなんでも自分たちの手で作っていました。あらためてお伺いします。お金さえあれば何でも手に入る時代になって、それでみなさん幸せになりましたか。みんなが幸せになりましたか。奴隷制社会では、奴隷に働かせて市民はしあわせを享受したとしても、それはみんなが幸せとはいえません。自分だけが、自分たちだけがしあわせな社会を追い求めるのはもう終わりにしませんか。
 『重たい荷物はみんなで担ぐ。おいしいごちそうはみんなで分ける』という考え方、これは仲間社会の考え方です。だれが得するわけでもない、だれが損するわけでもない、みんな平等に貢献し、あるのは役割分担と適材適所だけです。
 衣食住については、ひとりひとりの手に負えるとしても、電気、ガス、水道はどうする、電話や通信インフラはどうする、マスコミはどうなる、自動車、船舶、列車、飛行機、宇宙開発はどうなる、これらのことがらについては、その時々の生活のありように応じて対応することになるとしか申し上げられません。今、申し上げているお金のない仲間社会をつくるのがゴールとしても、実現するにはまだまだ長い年月がかかるのです。
 なぜ長い年月がかかるのか、お金をなくしてしまえば、もう一度申し上げますが、他国から輸入することができないからです。政府主導で国産品を他国に売って、その売り上げで他国から食糧や資源を買って国内に分配するという方法もあるかもしれませんが、そもそも、他国からの輸入にたよらなければ自国民の暮らしが成り立たないというほうがおかしいのです。
 ですから、『ひとりみんな党』は中間目標として、自国の経済は自国で完結することを目指します。他国からの輸出入がなくとも国民は暮らしていける、それを目指します。と、申しましても、輸出入禁止法案をつくって成立させればよいというものではありません。そんなことをしたら、電気、ガスは止まり、国中が飢えることになります。まずは、輸入を減らし、国内の生産を高めることから始めねばなりません。そのためには、国内で生産されたもので暮らすことに国民が舵を切る必要があります。
 『ひとりみんな党』は国民の皆様と企業の皆様に、国内で生産されたものを買ってください、輸入品は買わないでくださいとお願いします。ありていに言えば、お米を食べましょう、輸入小麦を使った食品は買わないでくださいということです。家を建てるときは国内材を使ってくださいということです。石油と天然ガスの輸入を減らすために、エネルギー消費の少ない暮らしにシフトしていきましょう、ということです。
 お金がない世の中を目指すためにみんなが苦労を強いられる、辛抱を強いられるというのならそれは本末転倒ではないかと言われるかもしれませんが、みんなが豊かさと便利さと快適さを追求したからこそ今の生きにくい世の中になってしまいました。生きにくいだけでなく、こころとからだの病におびえながら暮らす時代になってしまいました。幸せに生きるために必要なものはそんなに多くはありません。衣食住に不自由しないことが保証された状態で自分が本当にやりたいことができる、自分が本当に楽しめることに日々取り組めることのほうが幸せではないですか。『人間の欲望には限りがない』などという言葉で洗脳されて日々ない物ねだりに狂奔させられることのどこが幸せだというのですか。

 お金がなくなるのですから、そうなる前に土地や建物を買わなくてもよい仕組みが必要です。土地はみんなのもの、居住用の建物はみんなで建てるものという仕組みが必要です。ですから、もうひとつの中間目標としては、土地の国有化と居住用と耕作用の土地の貸与制度が必要です。そして、居住用の建物はみんなで協力して建てるようにせねばなりません。家の建て方なぞ知らんぞと言われるでしょうが、昔はみんな知っていました。ですから、これからの義務教育では、建築も農耕も林業も漁業も学んでいただきます。綿花栽培、養蚕、羊の飼育も授業のカリキュラムのなかに加えられます。電気やガスや鍛冶の知識も必要になります。要するに自力で生きてゆくために必要な知識は子供のころから学んでもらいましょうということです。

 お金をなくす前の準備期間にはお金に頼らなくてもいいように、お金の使い方になれていただきたい。どういうことかと申しますと、お金はみんなのもの、だから貯め込まないでくださいということです。『ひとりみんな党』はベーシック・インカムを地域通貨で支給したいと考えています。京都府では京都府内でのみ通用する通貨を発行し、支給します。ここで大事なことは、その通貨は循環させねばならないということです。余ったぶんは返してください。各事業体が毎年決算して報告するのはあたりまえですが、各個人のひとりひとりについて収入と支出をその都度申告していただいて、前年度からの繰り越しも含めて、余っているはずのお金の七〇パーセントを税として徴収することを考えております。使えば使うほど払う税金は少なくてすみます。しかし、このように言いますと、まるでがんじがらめの管理社会ではないか、生活のすべてを知られてしまうではないか、プライバシーなんてなくなるではないか、と批判されそうですが、お金は道具にすぎません。受け取ったお金を社会に還元してくださいと言っているだけなのです。といってもまだまだ先のことですのでこれからも検討しつづける課題です。土地、建物にお金を使わなくてもよいのだから、取得したお金はどんどん使ってしまってください、ということです。

 お金がなくなると、道路はどうする、橋はだれがつくる、列車は維持できるのか、飛行機は飛ばせるのか、いろいろ疑問をもたれるかと思います。結論からもうしますと、限りなく縮小していきます。自動車については役に立てばよいという程度に簡便に、そして軽量化したい、そう考えます。今のように、1トンもの鉄の塊りに乗って移動する必要はないのです。時速100キロ、200キロのスピードで走っての安全性を問題にすれば堅牢な車体を作らねばならないでしょうが、時速45キロしか出ない車だと同じ安全基準でもはるかに軽量に作れます。経済範囲が縮小すればするほど移動手段は簡易なものに置き換えていけます。大量の物資を長距離にわたり運ぶ必要がなくなるからです。
 『ひとりみんな党』はお金のない社会をつくることをゴールとしますが、人類にとってこれはゴールではありません。再出発のスタートラインにすぎません。そしてまた、ここで申し上げていることはひとつの正解ではあっても、決して模範解答ではありません。答えはみなさんひとりひとりの胸の内にあります。それらはすべて正解なのです。今、私が申し上げているような事柄について、日常的にフランクに言い合える仲間社会になることを願っています。

 最後にもうひとつ申し上げます。『ひとりみんな党』が目指すゴールが『みんながしあわせに生きられる世の中をめざす』ことだと申し上げました。ただ、これは申し上げておかねばなりませんが、『みんな』というのは人間だけのことではありません。この地上に生きる生き物たちすべてのことです。人間だけでは健全な永続する生存環境を維持できないのです。すべての生き物たちが力をあわせてこの地球を維持しています。人間は自分たちのことしか考えないから、自分で自分の首を絞めているのです。人間の好き勝手にさせておけば、早晩、地球の生き物はすべて滅んでしまうことになります。人間には自然を支配する能力はありません。人間は生き物たちのじゃまをしてはいけないのです。じゃまをしなければ生き物たちは未来にむかって、この自然環境、すなわち、生存環境を維持してくれるでしょう。これは人間の手に負えることではありません。
 私はすべての生き物に心があり、意志があると思います。人間だけがのさばるのではなく、生き物みな兄弟という考えのもとに、この地球を楽園にしたい、そう思いませんか。」

 皆上雄一らの立ち上げた『ひとりみんな党』は徐々に、静かに人々の意識に広がっていく。そして京都の地から政治をゆっくりと変えていくことになる。

超・近代観光都市・京都(前編)完
令和 5年 6月27日

(前編)はこれでおしまいです。もし値打ちがあると思われましたら以下よりご購入いただけましたらありがたいです。

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