超・近代観光都市・京都(後篇)
※本作品はフィクションです。
(三)京都府知事と京都市長
次の京都府知事選挙と京都市長選挙の日程が決まった。今回は同日選挙となった。
ひとりみんな党から福本四郎が府知事選挙に、清水紘衛が市長選挙に出馬することになった。
ひとりみんな党の皆上雄一は選挙にむけての心構えとして「正直」を最優先とした。
ひとに対して正直に、自分に対して正直に。
ひとりみんな党の候補者であるから、選挙公報には「みんながしあわせに生きられる社会をめざし」、「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」行動することを目指し、最終目標をお金のない社会の実現とし、そのために自給率100パーセントを達成し、土地と建物を「国民有化」することを掲げた。
土地、建物の私有を廃すが、国有にするわけでもない。一部の人たちで共有するわけでもない。みんなのもの、だから「国民有化」とした。
清水紘衛は京都市の未来像として「古都の復活」を掲げた。古の京都の街並みをそのままよみがえらせようと言う。高層建築はいらない。鉄筋コンクリートのビルはいらない。アスファルト舗装はいらない。あるのは、木と土でできた建築がならぶだけである。道路は土を固めただけである。
清水は言う。あなたの家の隣に高層建築やマンションが建ってうれしいですかと。
彼は景観を重視し、情に訴えかけるような言い方をしたが、その真意は、人間の住空間として自然の素材のみにかこまれているほうが健康に長生きできますよということであり、子供の心身の健やかな成長のためにはコンクリートに囲まれた空間はふさわしくないですよということであった。
アスファルト舗装をやめるにはあらたな道路造りの技術とあらたな道路維持の技術とあらたな乗り物が必要になる。その目的は、裸の土の道路にすることで、精神的ストレスが減少し、生活するうえでの快適性が向上するということだった。
第一段階として、東大路、西大路、北大路、九条通りが囲む区域を「古都街区」に定め、昔ながらの街並みを目指すとした。
府知事に立候補した福本四郎は、目標として、京都府限定の地域通貨によるベーシック・インカムの実施をかかげた。
彼は言った。子育てにあたる母親が正当な報酬を得られないのはおかしいと。子供の養育は社会全体にとって大切な仕事なのだと。だから本当は母親だけに支給すればよいのであるが、制度の平明さと、みんなで母親を応援するのだという観点から、府民全員に割り振って支給するのだと言った。子供を預けてまで働きに出なくてもよいようにしたいと。
さらに、京都限定の地域通貨とすることで、京都府内の経済を活性化し、京都府民が潤う経済にしようと訴えた。京都府民は京都府内の店で買い物をし、京都府内の店は京都府内の生産者から仕入れる。京都府内の生産者が潤うのである。
選挙の結果、清水と福本が当選した。
清水も福本もひとりみんな党もみんなが健康に生きられることを最重要視した。健康をおびやかすものは可能な限り排除しようとした。住空間もそうであるが、食べるもの、飲むもの、吸う空気から有害物質を排除しよう、その他心身にたいする余計なストレスを排除しようとした。
彼らは市や府の発行物のなかで、生活のなかでからだに取り込まれてしまう化学合成物質の害について声高に訴えた。自助努力でそれらを排除してくださいと。
急がなかった。「あたりまえ」に思っていることを打ち壊していくのだ。府民が自ら気付くように、テレビやマスコミが伝えないことを「正直に」流し続けた。
福本は言った。「みんなが健康になることが一番大事なことです。ですが、今、みんなが健康になってしまうと、医療業界、製薬業界、介護業界が大打撃を受けるのです。変化はゆっくりがいいのです。」
清水も言う。「コンクリート建築やアスファルト舗装を条例で禁じることは考えていません。業界の受ける影響が大きすぎます。」
福本がその在任中に実施した地域通貨によるベーシック・インカムは府民に受け入れられた。京都府は日本でいちばん住みたい県に選ばれた。
清水が取り組んだ古都の復活はゆっくりと街の姿を変えていった。そして、コンクリートがらとアスファルトからの土壌再生の技術が実現することによってそれは加速した。
(四)長期滞在型観光都市
一、街並みと車
アサブは列車を降りて京都駅に降り立った。かたわらに降りた妻ナーシャに言った。
「ようやく来れたね、京都に。」
「そうよ、アサブ、申し込んだのは一年前だものね。」
京都はいまや世界で最も訪れたい街にダントツで一位に選ばれ続けているのだ。家庭内暴力が世界で最も少ない都市と言われ、さらに、入院日数の世界で最も少ない都市と言われ、住民が世界で最も働かない都市ともいわれている。世界中から観光客が殺到している。アサブとナーシャはインドはムンバイからの観光客である。事業を息子にまかせて一年の予定で長期の休暇にやってきた。夏の午後のことである。
京都駅の駅舎を出て、通りに一歩踏み出した途端、アサブは悟った。これが、人間にとってあたりまえの街並みなのだと。
いろいろと京都の情報は調べている。京都の街にはビルがほとんど残っていないという。建築物はすべて木と土でできている。道路はアスファルト舗装されておらず、土を固めただけである。まるで、二百年前の街ではないか。この目で見たかった最初のものである。
京都駅前のロータリーに出るとそこにはたくさんのタクシーと人力車が客待ちをしていた。足元の歩道は石畳であったが、道路は、すくなくとも目に見える範囲では、どこも舗装されていない。土がきれいに固められているだけである。学校のグラウンドのようなものである。車が走っているわりには、轍の跡がほとんどわからない。よほど丁寧にメンテナンスされているのだろう。道路の縁にはところどころ草が生えている。
タクシーも太いタイヤの自転車をふたつ並べてその間に、前に運転席、後ろに座席をふたつ、その後ろに荷物置きを据えて少し丈夫にしたようなものである。アサブとナーシャは荷物が大きかったのでタクシーに乗り込んだ。
「上京の下幸日町へお願いします。」
駅前から見る京都の町は瓦屋根の街並みが広がっている。ほとんどが平屋か二階建てである。お寺か神社の屋根がいくつか目立っている。鉄筋コンクリートのホテルかマンションも二、三見えたがそれだけだった。それよりもやたら空き地や公園が多いように思えた。
タクシーは電動モーターで走るのかほとんど音がしない。が、スピードも出ないのか、街ゆく人たちに挨拶しながら走ってゆく。後ろに幌がたたんであるようで、雨の日はこれをかぶせるのだろう。
通りはどこまで行っても土を固めただけである。通りにはセンターラインも停止線もない。車両はみな左側を走っている。交差点に信号がないから、その前ではスピードを落として、譲り合いながらゆっくりと交差している。自転車も多く、二輪、三輪、四輪と多彩である。補助モーターがついているものも多く、人々は軽々と走らせている。
アサブが運転手に聞いた。
「京都の街の道路はどこも舗装されていないのですか。」
「国道は舗装されています。他府県からの車はスピードがでますし、トラックや特殊な車両もありますので、国が舗装し続けるのです。」
「では、この車でその国道を走るのは危なくないですか。」
「危ないですよ。ですから、できるだけ国道は走りません。このタイプの車は時速40キロメートル以上は出せないようになっていますしね。」
土の通りと、木と土と瓦の家と店。公園や家屋の木々と隅々に生えている草。ところどころに見かける寺と神社。そして、多くの人々。それですべてである。
二、日暮れ
アサブとナーシャが着いた宿は普通の民家である。いわゆる民宿である。家の主人が迎えに出てきて、通りに面した部屋に案内した。泊まり部屋はひとつしかなく、一組しか泊まれない。
「ようこそ。お疲れでしょう。簡単な夕食をおつくりします。京都の夜は早いので夕食は早めにつくります。」
京都にはホテルはほとんどなく、ほとんどがここと同じように、泊まりが一部屋だけの民宿である。要するに民家が一部屋を泊り客に貸しているのである。そんな民宿が京都の古都街区とその周辺に十万軒以上ある。それらの民宿がすべてひとつのネットワークでつながっており、予約システムに加入している。申込者はそのシステムに申し込むことになる。世界中から申し込みが殺到しているために、アサブとナーシャのように今では一年近く待たされることも多い。ほとんどの泊り客は朝食、夕食付の長期滞在であり、月単位の支払いで泊まっている。自国で暮らすより少し費用がかかるかもしれないが、経済的に余裕がある人たちが人生といのちをリセットするためにやってくる。
京都の町は人の健康を最優先にしている。道路の舗装を止めた。鉄筋コンクリートの建物はなくなった。住居は木と土でつくられている。電気の使用は最小限におさえられており、また、住居の配電線も最小限にひかれている。農業や畜産業を含む食品産業では農薬などの薬品類の使用や化学合成物質の使用と添加はほとんどが条例で禁止されている。生活と暮らしの第一優先事項が住民の健康なのである。
アサブとナーシャも早めの夕食をすませて、近くの公園で風の音を聞きながら夕焼けを楽しみ、暮れてから静まった街の中で、京都駅前で買った日本酒を飲みながら昇ってきた月をしばらく眺めていた。
京都では日が暮れたらみんな寝てしまう。アサブが二番目に見たかった、そして、体験したかったものである。京都では照明は、広告看板を含め、炎色灯しか認められていない。炎色灯とは白熱灯などろうそくの光に準ずると認められた灯火のことで、住居や街中など、生活空間のなかでは、炎色灯しか使用できないのである。
アサブは夜の静けさと暗さを体感して、その理由を納得した。日が暮れてから起きていてもしようがないではないか。何をするというのか。そう思ったのである。
京都の夜は静かだ。ただし、すべての通りにセンサーと照明と拡声器が完備され、自動的にすべての感知データがコンピュータにより追跡されており、異常が発生したとみなされれば即時に照明が点灯し、通常カメラが録画を開始し、詰所に警報が鳴り響く。監視官は通りに設置されている拡声器により警告を発することもできる。近隣住民が家の明かりをつけて、通りに飛び出してくることになる。犯罪がおこる余地はない。夜に出歩く人は明かりを持って自由に行き来すればよい。
三、日常催事
翌日、アサブとナーシャは朝食をすませると、街に出た。毎日、様々なイベントがそこかしこで催されているという。アサブが三番目に見たかったものである。個人で開いているものもあるし、有志や団体が集まって開催しているものもある。イベント予定は情報端末にアップされているので、興味があるものがいつどこで開かれているかすべて検索できる。
アサブとナーシャは予備知識なしにあてずっぽうに歩いていた。公園や民家の一角やお寺の境内や通りの隅で、楽器を奏でる人たち、羽をついている人たち、本を朗読している人、玉を転がして遊んでいる人たち。皆、楽しそうである。また、家屋の通り沿いに作業場を設けて、様々なものが製作されている。絵画や木工、焼き物に織物。それぞれの作業場にもたくさんの人がいる。彼らがみな従業員とは思えない。ワークショップかなにかで、住民や観光客の参加も多いにちがいないとアサブは思った。平日なので子供たちは学校に行っているのか、おとなばかりであるが、青年から老年まで、混ざっている。女性は家にいる人が多いのか、男性のほうが少し多いようだ。
公園で二手に分かれて木のボールを木の槌で打っているグループがいた。しばらくながめていると声をかけられた。
「よかったら入ってやってみませんか。」
アサブとナーシゃは入って教えてもらいながらゲームを一刻楽しんだ。
アサブはゲームを主催していた若い男性に聞いてみた。
「みなさんは今日はお仕事はお休みなのですか。」
「いえいえ、これが仕事なんですよ。お金を稼ぐだけが仕事ではありませんから。やりたいことをやることが、すなわち、仕事をすることなんです。やりたいことはみんないっぱいあるんですよ。お金になる仕事もあるし、あんまりお金にならない仕事もあるし。あれこれやっているとなんとかなってゆくんです。無理せずに、何でも楽しめばいいんです。それでなんとかなります」
アサブは詳しく聞きたいと思ったが、またの機会に聞くこともできるだろうと思って、「ゲームは楽しかったです。ありがとうございました」と言うにとどめた。時間になったからと解散になり、みんなそれぞれに次の予定に散っていった。
四、棒体操
しばらくすると、同じ公園にまた人が集まって来た。老若男女さまざまな人たちだ。みんな長い棒を持っている。なにをするのかと見ていると、リーダーらしき人が音楽を流し始めた。体操をはじめるようだ。皆、両手に棒を構え、音楽がはじまると掛け声をかけながら強く鋭く棒を動かし始めた。これは体操なんてものじゃない。実戦の型だ。突く、打つ、払うの型だ。みんな真剣だ。空気が張り詰めている。五分ほどで終了し、空気がゆるんだ。それぞれに笑いながら、休んでいる。
アサブとナーシャは近くにいた初老の女性に声をかけた。
「これは武術かなにかですか。」
「そうですよ。みんな、自分のために日課としてやっています。」
「健康のためにするには少し動きがきつくないですか。」
「健康のためにしているのではありません。身を守るためにやっています。子供たちは学校の体育の授業のなかで毎週やっています。私たちは日常生活のなかに組み込むようにしています。ストレス発散にもなりますし、気分いいですよ。」
「身を守るとはなにから身を守るのですか。」
「外敵から、そして、ならず者から、そして、暴力から。」
「この国はものすごく平和に思えます。守る必要などないのではないですか。」
「今は平和に見えてもいつ変わるかもしれません。人類の歴史は争いと戦争の連続でしたでしょ。人の心から争いのことばが消えてなくなるまでは自分の身は自分で守らねばなりません。人をあてにしてはいけないのです。」
「国には軍隊がいます。警察もあります。守ってくれますよ。」
「しかし、理不尽な支配者にもなるかもしれません。」
「自動小銃や戦車に抵抗できるのですか。」
「やりかたによると思っています。すくなくとも私たちは暴力による支配は歓迎しません。軍隊も警察もなくしてしまおうと言う人はたくさんいます。自分たちで自らを守れるなら、なくってもいいというのはひとつの考え方だと思います。」
「そこまで考えなくてもよいのではないですか。」
「そのときになってからあわてても遅いのです。子供達は学校で、男の子も女の子も、棒術と杖術と体術と組術をやっています。京都ではいじめなんてものはもうありません。大人社会でもここでは自警団がそだちつつあります。」
アサブとナーシャはもう少し街を周ってから宿所に戻った。
五、洛西
幾日か古都街区をめぐったあと、ある日、アサブとナーシャは郊外へ出てみようと思った。ゆっくり見たいと思ったので、人力車に乗って、西へ走ってもらった。西へ行くと桂川が流れている。西大路を離れるにしたがい、田畑が広がってきた。桂川の土手道にあがると、見える範囲には田んぼと、野菜畑と牧草地に牛や鶏、果樹園と、そして、その中に家々が点在している。
アサブは人力車夫に聞いた。
「このあたりにも観光客は泊まることはできるのですか。」
「泊まれるように離れを建てている家があってね。だけど、古都街区よりももっと人気が高くてなかなか泊まれないよ。」
アサブとナーシャはそこで降ろしてもらった。何人かで畑作業している人たちのなかに、白人も黒人もいる。女性も男性もいる。
「みなさんは観光で来ているのですか。」
若い女性が答えた。
「そうです。ここにいる人たちはみなさん、京都の街中に滞在している観光客です。毎日、通ってきています。都市にいながらこんなに近くで農業体験や牧畜体験ができるなんて驚きです。しかも、収穫したものを分けてもらって街に持って帰ると引き取ってもらえるので、宿代の足しにしています。」
アサブの事前収集情報にはこんな情報はなかった。考えねば。ふたたび人力車に乗り込んで、その日は桂川を超え、途中の野店で焼き鳥とねぎ焼きをほおばったりしながら、車夫とおしゃべりしながら、一日を楽しんだ。
六、昇龍会(しょうりゅうえ)
ある日、宿に戻ると、宿の主人が声を掛けてきた。
「夕食のあと予定がなければ、今日はちょうど昇龍会(しょうりゅうえ)の日なんです。私どもと一緒に月を眺めませんか。」
アサブは昇龍会のことは聞き知っていた。アサブが四番目に見たかったものである。同席させてもらいたいと答えた。
満月が東の空に昇ってきた。夜の街を明るく照らしている。下幸日町の公園に人々がいすを持って三々五々集まって来る。互いに声をかけあっているが、それ以外は無言である。手に持っているのはお菓子と飲み物だろうか。みんなすわってただ無言で、しかし、とても心地よさげにくつろいで月を眺めている。
アサブとナーシャも宿の主人夫婦といっしょに公園にやって来て同じように腰をおろした。もう日は暮れている。町に明かりはないが、月の光が町を煌々と照らしている。
「アサブさん。みんなこの日を楽しみにしています。満月の夜、晴れていればみんなで月を眺めます。月の光がなんとも心地よいのです。」
アサブはなんと言っていいかわからなかった。だまって主人を見返している。月というのは地球の衛星で太陽の光を反射しているだけではないか。宿の主人が説明した。
「京都の地は、もともと龍族が住み、守る地といわれています。かつての日本の天皇家が龍族と信義を誓い、この地に都を造ったといわれています。龍が本当にいるのかどうか私は見たことはありませんが、京都人は昇る月に昇る龍を重ねているのです。龍は夜に遊ぶのが好きといわれています。夜のしじまの中を、人が夢をみるときに、その空を飛びまわるのが好きなのです。龍を見たと言う人はたくさんいます。龍と話したという人もいます。」
ナーシャが聞いた。
「龍というのは恐ろしい生き物だと言われています。人間が関わってはならないのだと。」
宿の主人が答えた。
「龍を支配しようとすれば、とんでもないしっぺがえしがくるでしょう。人間が龍を尊重し、友好的であれば、龍は逆にいろいろな恩恵をあたえてくれると言われています。」
ナーシャがさらに聞いた。
「どんな恩恵を与えてくれるのですか。」
「考え方の問題です。恩恵を与えてくれると考える人はその恩恵を受けていると思うし、恩恵を与えてくれる龍なんていないと考える人は、なにかいいことがあっても、それは自力で獲得したのだと思うし。でも、私は、人間が一番偉いのだという考え方はすこし傲慢だと思います。」
アサブは気になっていることを問いかけた。
「昼間多くの人たちが遊んでいました。聞くと、これが仕事なんだと答えました。遊ぶことが仕事ですか。」
宿の主人が答えた。
「京都の街の住人の暮らしの多くは、京都府が支給するベーシック・インカムと、あなたたちのような観光客からの収入で成り立っています。観光客にとって来る値打ちのある街であり続けることがわたしたちの目標なのです。京都は観光客がくることによって潤っています。観光客のみなさんに喜んでいただくことが一番大事なことなんです。」
「遊ぶことがですか。」
「みなさんに楽しんでいただくことが、です。この街では過度に働く必要はありません。しかし、遊んでばかりではいけません。適度にはたらくことが大事です。適度というのは、からだと心が無理をしないということです。からだと心が無理をしなければ病気も減るのです。京都の街は世界一病人の少ない街だといわれるようになりました。働かないのはいけませんが、適度によろこんで働くことは大事です。」
ナーシャが言った。
「こんなに遊んでいられる街をよく造ることができましたね。」
「私の祖父が生まれた頃は、京都も他と同じような街でした。政変が起こったのです。皆上という人が『ひとりみんな党』を立ち上げて、府知事選挙と京都市長選挙に打ってでて、福本知事と清水市長が誕生しました。よくぞ、そのときの京都府民がこのおふたりを当選させたものだと、誰もが思っています。が、この街はまだ変化の半ばです。日本のすべてがこの京都とおなじようになれば、そのときこそ、『ひとりみんな党』が訴え続けている『みんがしあわせに生きられる社会』が実現する準備ができるのです。」
「あなたはそれを信じているのですか。」
「信じるもなにも、みんながそう思えばそうなるのです。京都がここまで変わってきたように。」
「世界が変わっていないのに、なぜ、京都が変わることができたのですか。」
「人にそれぞれの想いがあるように、龍神にも龍神の想いがあるのだと思います。龍神は京都に白羽の矢を立てたのではないでしょうか。」
「何のために。」
「人それぞれが極楽を求めるように、龍神には龍神の望む世界があるのだと思いますよ。京都は試されているのかもしれません。」
満月は中空にかかっている。街は寝静まっているようにみえる。しかし、家のなかでは、親が満月を見に出ていったあと、子供たちがひそかに、静かに、起きて遊んでいる。あるいは、近所の子供どうし、集まって、ひそかに、庭や通りを走り回っている。晴れた満月の夜だけは夜更かしして思う存分遊べるのだ。
時に遊びが過ぎて火事が何度か起こっている。そんなときこそ、消防隊の出番である。そして、子供たちは盛大に叱られる。爆発事故が起こったこともあった。京都人はそれらも昇龍会のおまけのひとつだと思っている。
(超・近代観光都市・京都 完)
令和 5年11月21日
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