映像も一種の"アート"である
例えば彼女にフラれた時ってめちゃくちゃ気持ちがマイナスになったりしますよね。
そういった出来事があった時って、悔しいとか悲しいとか寂しいとかいう感情が入り混じってごっちゃごちゃになって、今の感情を上手く言葉にできない時って絶対あると思うんです。
どうにもこうにもやるせない、自分の中でフツフツと湧き出る感情を吐き出したい。
そんな時に、自分の感情を
"言葉"
以外の何かで表現できるってすごくいいなって思うんですよね。
絵で表現してもいいし、ダンスで表現してもいいし、歌で表現してもいい。
そして、"映像"という分野も一つの自己表現の手段だと思うんです。
音楽の曲調と、映像のスローの描写、映像の色合い、メッセージ性
こういった技術を駆使して自分の感情を映像にすることができるんです。
僕の知り合いの有名な絵のアーティストの方がこう言っていました。
"「みんなに上手いと思われたい!」と考えながら描く時はなんかいつも調子が乗らない。
逆に、周りのことなんか気にせずに(良い意味でテキトーに)自分が思うがままに描く時の方が大抵良い絵が描ける"
これがアートの本質なんだなと感じました。
自分の感情をそのまま絵にぶつけることによってその絵にその人の魂が乗るようなイメージ。
もちろん、映像クリエイターとしてはクライアントの意向にそって映像を作り上げますし、
クライアントには「満足して欲しい」と思いながら映像を制作していきます。
そして、自分の作りたい映像だけ作ってるような自己満足的なクリエイターは、映像クリエイターとして仕事をすることもできないと思います。
しかし、映像の本質もまた"アート"だということを忘れてしまうと、結局自分の作りたい映像は何なのかを見失ってしまいそうだとも思うわけです。
何が言いたいかと言うと、
映像も一種の"アート"である
という大前提は忘れずにクライアントワークを進めていくことで、自分が作りたい作品がどんなものなのかが自ずとわかってくるし、自分の作る映像に"味"が生まれてくるんだということです。
今回僕がこの記事を書くに思い至ったきっかけの映像です
この映像を見て僕は、
自分にしか作ることのできない世界観を大切にできるような映像クリエイターを目指していきたいなと思いました。