ヴィオラ・ダ・ガンバ、探しています
唐突なタイトルですよね。すみません。
でも、今、ガンバを探しているので、記事にしてみました。どなたか、貸してくれるかた・譲ってくれるかた、いらっしゃいませんか?6弦でもいいですが、よかったら7弦がうれしいです。もちろん大事にしますし、飾っておく・保管しておくのではなく、日々楽器を弾いて、すてきな音楽も奏でます。「貸してあげてもいいよ」または「この金額で譲ってもいいよ」というかたがいらっしゃったら、喜んで伺います。
なぜ、そう思っているのか?たんに、ガンバをもう一度、演奏したいから、とシンプルにそれだけですが、30数年ぶりでもあるので、その理由を整理したいなと思ってちょっとだけ書いてみようと思いました。
なぜ、ガンバなのか?
あと2年で還暦ともなると、周りにはそろそろ天寿を迎える知らせが続いてやってきます。いつまでも青春の気分でいた私ではあっても、未完了があります。やり残したことがたくさんあって、一つひとつ完了させながら、ていねいにいきていかないとと思っています。この年齢の人ならわかってくれるかも。
そもそも未完了なこととは、おうちの掃除や押し入れの片付け、買い物袋をまるめてつっこんだ引き出しのようにぐちゃぐちゃになっています。まずはそれを一旦出して、広げて、それで、いるものいらないものを仕わけします。
いらないものはわかりやすい。「嫌な思いをしたこと」「不器用すぎてうまくいかないこと」「好きになれないこと」「プライドだけだったなと反省したこと」など。いやな色あいやいやなにおい、いやなかたちをしています。ゴミです。捨てたいです。正直、こういうのが多すぎます。長く生きているとどうしても積み重なっていきますよね。
経年劣化とか経年変化とか、いぶし銀とか、中古とか。年数がたったらかたちが変わるというのを、いろんな言葉で表現します。人間も同じ。いい年のとりかたと、そうでない年のとりかたもあります。わたしは、長年、福祉分野の研修の仕事をしています。すると、いろんな事業をしている経営者や現場スタッフ、利用者さんたちに会いますが、福祉や介護は幸せがゴールになるビジネスなのに、幸せではない人に会うことがあります。つらそう・・・・。怒っていたり、感情が固定化していたり、あきらめたり、妬んだり。いろんなことがあったのでしょう。想像したくないけれど、今がしんどそう。考えてみたけれど、共通するのは「人生の未完了にまみれていること」ではないかなと。
あぁ、こういう人になりたくない。けれど、わたしもときどきこういう感じになります。今の自分が不甲斐ないとか、もっとできることがあったはずだとか、誠意をもって対応したのにどうしてこんなことを言われないといけないのかとか、自分がつくったわけでもないお金や夫の年収、子どもの学歴で思いっきり偉そうにマウントしてくる奥様がうっとおしいとか、つい、ネガティブな感情がうずまいたりもしますが、そういう場面に遭遇すると「あぁ、こういう人になりたくない」と感じ、「ならないようにしよう」と切り替えます。気付ける間はまだいい。気づかせてもらえてありがとうと心のなかで手を合わせ感謝を口にして、深呼吸。未完了を完了させて、人生を楽しもうと。
そこで、、完了させていきたいと考えたのです。いろいろ未完了はありますが、かなり上位3つにはいってくいこんでくるのが、音楽、楽器の演奏でした。とりわけ、糸のはった楽器は愛してやまないよろこびです。
ヴィオラ・ダ・ガンバは、チェロに似た形で足にのせて引く古楽器。通奏低音ができるのが魅力です。旋律を奏でるバイオリン、ひとりで伴奏とメロディができるハープは現在進行中ですが、だれかを下から支えるメロディはいちばん自分らしさを実感できます。20代のころ、経済的な理由で続けることができなかった自分の無力さ、シンプルに音楽にどっぷり浸かりたかった、そういう願いを完了させたい。それが「ガンバ愛」につながっています。
あなたの愛はどこに向かっていますか?
人にはそれぞれ未完了を完了させて、愛を、幸福を実感したいと思っているはずです。あきらめたくないなぁ・・・って。ここ数ヶ月、どんどん人生を諦めている友人や知人がいるなかで、次はわたし?って思うと、愛を自分のまんなかにおいておきたいと考えました。
だれか、使っていないすてきなヴィオラ・ダ・ガンバ、持っていませんか?お借りできますか?譲っていただけますか?誰ともわからないかもしれない私の未完了のために、力を貸してもらえたらうれしいです。
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