音楽あふれる街・雑音をきかされる街
はじめに
年末25日まではクリスマスソングが、26日になったとたん、もういくつ寝ると…と流れ、1日になるとお琴が「春の海」を延々演奏していたりします。これが、私たちが経験してきた年末年始に半強制的に聞かされるBGM。ですよね。
もっと他にもあるだろうに、とため息をつきながら、スーパー、カフェ、商店街、モールなどを歩くのですが、みなさんは気になったこと、ありますか?
街で聞かされている音楽について、ちょっと思うことがあったので、少しだけ書いてみようと思いました。
感覚を磨く
人間は五感で外部の情報を認識します。ご存じのとおり、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚です。人間はとくに視覚重視。見えているものから得る情報が圧倒的に多くあり、睡眠中の夢ですら、映像ですからこちらも視覚です。その他の器官は出番が少ないか?というとそうではなく、地味に使われていて、とりわけ嗅覚は視覚をまさる、強烈な記憶をインプットしたり、何十年も昔であってもその匂い、香りをかぐだけで鮮明にその記憶が蘇らせる力があるともいわれています。若い頃につきあった彼がつけていたタクティクスが、70歳になった今でも「あ♪」なんて…。聞いたことがあります。
そんななか、聴覚はどうか?というと、これまた複雑。会話の場面では、その言葉を聞いて意味を受け取るということより、その言葉の抑揚、声の質、トーンや高さで微妙なニュアンスを受け取ったりしています。音楽なら、メロディラインを受け取る人もいれば、和声、コード進行に心が揺さぶられる人もいたり、また、その楽器や音源の音色に伝わるものがあるんだよっていう人もいます。これがほんとうに人によって、場面によって、場所にもよるのですからほんとうにやっかい。
クラシックは、ホールの残響、名器といわれる楽器、演奏者、聴衆、温度、照明など聞き方に影響する要素がたくさんあるので楽しみでしかたありませんね。
ではその聞き分けはどうでしょうか?知識も経験も必要ですし、聴覚という感覚も鋭いでしょう。それがあるから聞き分けることができるし、「それって私個人の意見です」と言いながら好きだの、イマイチだのうんちくも言えるわけです。これが音楽の楽しみ方の一つでもありますね。
子どもの頃から、聴覚だけでなく、そうした5つの感覚を磨いておくと、豊かな人間性、喜怒哀楽、人生観などがふくよかになり、生きている実感!だったりを味わうこともできます。
人生の最期に
おもいっきり話は飛躍しますが、さっきの「生きている実感」からもうひとつ。人生の最期、つまり人生100年(最近では、110年とか120年とか言っているらしいです)時代の後半期のなかでもいよいよ後半期、つまりクライマックスのタイミングの話をします。
シンプルに言うと、「要介護状態になったねたきりの自分」を想像してください。からだ、動きません。寝返りもうてません。会話もできません。ご飯もかめない飲み込めないから、胃ろうしていたりもします。しかし、聴覚はうっすらでも、あります。思考力も、それなりにあります。感情はバッチリあります。
ちなみに、認知症になったら思考力は低下するし、記憶や判断も心配になっていきますが、感情は落ちることはありません。うれしい悲しい楽しいドキドキする…ちゃんと感じているようです。
すると、もうおわかりでしょう。人生最期の幸福を、なにから得ていけば良いのか?
音楽です。
さらに、それを深めるのが、映像もセットでの音楽です。
記憶にひもづいた音楽や、その情景にすてきなBGMを装飾した音楽があると、100年の人生の記憶の箱の奥に、枯れたように整理された、あの記憶が鮮明に蘇るわけです。これ以上のしあわせってないのではないか?と、そういう仕事をしてきた私は思うわけです。
豊かな音楽があふれる街を選ぼう
音楽はなにげなく耳にはいってきます。見るものや経験したものに彩りを与えます。意識して聞かなくても、いい悪いと判断するより先に、耳に届くのが聴覚です。その体験の映像と、それに紐づく感情。未完了の感情やアドレナリンが放出される感情まで。さらに、そこでの学びや得た教訓も。これがおだんごになって記憶にこびりつく。脳に碇をおろすために、音楽が接着剤として活躍するわけです。
その記憶は死ぬその瞬間まで、自分自身の幸福な記憶をとめどなく再現してくれる脳内スイッチとして活躍してくれるわけです。からだが動くのをやめても、幸福を感じ、アドレナリンも味わえます。
とすると、ですよ。音楽が死ぬ瞬間の幸福に、めっちゃ貢献しているわけです。すごくないですか?
だとしたら、街中にすてきな音楽が流れていれば、それだけ幸福度がぐんぐんあがる。そのコード進行やその歌詞や、その音色が、感情のゆさぶりを高めてくれる。すごくないですか?
死ぬまでは生きよう
死ぬ瞬間に幸福でありたい。それが私のいちばんの願いです。この世とのお別れにはこの音楽を、という遺言をつくりたいし、意識がなくなったとしてもこの曲をAirPodsできかせていてほしいと思っている。ぜったい、高齢者施設でみんなまとめて民謡とか演歌とか(好きだけどね)一方的に聞かされたくないと思うのです。だから、いい音楽が流れている街に住みたい。すてきなカフェや駅の通路で、生演奏を聴きたいし、子どもたちがJAZZのリズムにあわせて踊っているような街角を歩いていたい。
そんな街を選んで、移住して、そしてたまに私も演奏して、誰かと笑って味わって、そうやって、音楽を浴びながら終わるのは、最高じゃないか?と思うのです。
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