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7年を必死に閉じ込める

4年前期が終わった。もう卒業単位目前、きりきりとした学期だった。
学生最後の夏が始まる。部活は、本格的にラストシーズン。


この夏、大切に奥底に閉っておこうとするものがある。前の投稿でも話した、あの子についてだ。
色々あった、書ききれないほど。感動、喜び、哀愁、恐怖、嫉妬、人として感じるべきものたち。私には、大切だった、大切にしていくべきもの。まあ、相手からしたら意識外過ぎてどうでもよいものなのだろうな。でも、あの人が悪いのではない。絶対に。
閉じようと考えたのには、きっかけはある。関わるうちに、友人としてもあの子にとって私は大切ではない。そう感じたから。仕方がない、それがあの子の選択だ。



今まで、思い続けていた。何なら今も。でも、どこかで感じてた。「自分があの子の中に生きてしまっていないか、もっと自分に矢印を向けるべきだ」と。諦められない、いつまでもどん底にいるべきじゃない。本当に大切なものを選ぶべきだと思った。大切に思われてない人を大切にするべきなのだろうか。できたら、どれだけ寛大な心の持ち主だろう。ごめんな、俺にはできなかったよ。


神谷くんを好きでいたことは、日本での本当に大切な思い出です。
最後に仲良くなってくれてありがとう。

「水曜日の南階段はきれい」朝井リョウ


上の言葉に出会って、強さにあこがれた。あの人に対しても同じことを思う。つらいこと、めちゃくちゃあった。でも、色々気づかせてくれた。心が育ったと思う。ありがとう。7年間の恋を終わらせるのは簡単じゃない。これからも苦しむだろう。でも乗り越えるしかないね。


「大切」の擬人化のような人を見たことがある。電車に乗って、とある線を始発から終点まで乗ることがあった時。目の前に女性が座っていた。その方は、黄色いかすみ草のようなお花を両手で抱えてウトウトしながら乗っていた。始発から終点まで一緒だったが、ずっと大事に抱えて。彼に渡すのかな、家族にかな、もしかしたら自分にかもしれない。誰にかは分からないけど、「大切」な人だってことは何よりも分かった。初対面の俺に伝わったくらいだ、渡す相手には(自分だとしても)もっともっと大切さが伝わっただろう。
その人は、ちゃんと「大切」を大切にお家まで持って帰ったんだろうな。


今は、自分を大切にしよう。自分を大切に出来ない奴が人を大切になんて出来やしない。過去をも大切に出来る大人になれるように。


今はまだ息苦しい。まだまだ、いつかきっと。



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