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さようなら スーパーアルバイト 赤江さん

 赤江珠緒さんのたまむすび降板(終了)の知らせを聞いて、率直に「なぜ?」と思った。番組は10周年記念イベントを9月に武道館で行うほど絶好調で、TBS側から打ち切りというのはまずあり得ないことは1リスナーでも容易にわかる。とすれば本人から辞めたいという話があったのだろうと朧げながら考えていた。果たしてその直後に本人による番組内での発表されたコメントからは、娘さん(番組内ではP瀧氏命名による「ピン太郎ちゃん」というあだ名で呼ばれていた)との時間を今はもう少し大事にしたいという旨の赤江さんご本人の強い希望であったことが明かされたのだった。
 これを受けたリスナーの反応は、概ね好意的なものが多かったように思う。
「子供のためという理由はすごく赤江さんらしくてよかった。」
「私たちも赤江さんの時間をピン太郎ちゃんに返してあげないと。」
番組終了を惜しむ声とともに、赤江さんの決断にも好意的な意見が溢れており、3月の終了まで私たちはこの「ドラマチック・プログラム」を盛り上げていこう、という空気感があっという間に醸成されていったように見える。
 このこと自体に異論もあろうはずがないのだが、私の中にはどうも今ひとつしっくりこない何かが残っていた。何だろう、と考えていくにつれ、この感情が「月金の(正確には金曜日は玉袋筋太郎さんと外山恵理アナ)ラジオの帯番組を担当するパーソナリティ」に対して私が抱いていたイメージが簡単に裏切られてしまったことによるものだと思い至ったので、少し書き記しておきたいと思う。
 ラジオがリスナーの生活に寄り添ったメディアということはさんざん語り尽くされてきたことだ。日々の日常の生活リズもを刻む時計代わりであり、時に人生の伴走者となり、時に気の置けない話し相手となるラジオ。特に帯番組はその特性が発揮されやすく、10年、20年と続く番組がザラであることからも、これらの番組を持つことが単なる一番組のパーソナリティということに留まらない覚悟と責任のようなものを生み出している、少なくとも私はそのように理解していた。この春に同じTBSラジオで伊集院光さんの「ラジオと」が終わった時に吹き出した不満や批判の背後にあった感情が、「まだこれからが本当の意味での本番だったのに、TBSの上層部はどうしてくれるんだ。」というものだったことが、こうした事情を証明していると思う(番組は丸6年間で終了した)。つまり、ラジオの帯番組を担当することは、老舗になるまでお付き合いしようというリスナーの重い思いを引き受けていく覚悟が必要であり、当然パーソナリティもそのような心持ちでいるはずだ、と私は勝手に思い込んでいたのだ。
 ところが、今回の赤江さんの降板は、こうしたこちらの勝手な思いとはまるで違うところで行われていた。赤江さんにとって帯番組とはあくまでも家庭を中心としたご自分の人生の中の、単なる仕事場に過ぎないのから、職場より人生を取るのはごく当然でしょ(もちろん実際にはこんな軽い言葉ではなく、きちんと誠実にご自分の率直な胸の内を話していた)、という判断と、ラジオの帯番組のパーソナリティという重責?との天秤が全く釣り合っていないように感じられたのだ。
 しかし、一歩離れて冷静に振り返ってみると、赤江さんは最初から老舗の後継社員として始めたのではないのだ、と思い至った。その力量の高さと類いまれなラジオ的才能で、てっきり優秀な正社員だと思っていたのだが、彼女は超優秀なスーパーアルバイト(またはパート)さんだったのだ。だから、家庭の事情で3月まででやめます、となっても全く問題ない。なにしろ勝手に正社員だと思っていたのは私たちお客の方なのだから。
 こう思い至ったことで、先述のモヤモヤは晴れ渡り、気持ち的には落ち着いてきた。さようなら、スーパーアルバイト、赤江珠緒さん。バイトだからまた都合のいい時に、都合のいい日時で働いてくれることもあるだろう。その時は、また能天気に笑ったり、泣いたりしながらお店に通うことになるのだろう。
 でも、この店、その頃には無くなっていたり、大手のチェーン店の一つになっているんだろうなぁ……

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