8月25-27日のロンドン
今回の「週末ロンドン」は、珍しくケンブリッジの日曜礼拝に出てから、つまりロンドンの教会の礼拝には出ずに「ロンドンに行く」だったのでした。今回の目的は、St. Martin'sの礼拝に出るためではなく、親友Jが開くランチパーティに参加することと、ロンドン大学時代の受入教授Cと会うためでした。
が!が、が!日曜の午後、ケンブリッジとロンドンのちょうど中間ぐらいのBishop's Stortfordという駅で、「この列車はこの先の運行はありません」という突然のアナウンス、でた〜。
電車を下ろされ、プラットフォームの電光案内板には「遅延」とあるので、まあ、ここで待っていればいずれ何とかなるだろう、と。…1時間が経ち、「遅延」は消え、これ以降の便はすべて「運行中止」、しかも上下線とも。理由についてはハナからろくな説明は期待できないわけで、ただただ、「こんなところに置き去りにされてどうすんねん」状態。
と、プラットフォームでぼんやりとしていたら、その1時間後、駅員が「振替輸送が用意できたで、外に出てくれろ〜」と。
用意できた、といっても、ローカル線のみたいな小さめのバスが1台来ただけ。「われ先に」みたいな人たちがそれに乗れたのだろうか。結局、バスに乗れたのは列に並んで2時間後でした。寒い強風が吹く中、次第に体力が奪われるのを感じながら、「タイタニックってこんな感じだったのかな、トロい自分は死ぬ組だな、フッ」とかネガティブ思考に陥りつつ、結局、ケンブリッジを出てから8時間後にロンドンのJのおうちに到着したのでした。ただし、おとうPが夜10時に最寄り駅まで車で迎えに来てくれたという、ありがたい出来事は付け加えておきます。
明けて、昼からのガーデンパーティ。わたしは永谷園のチャーハンの素と米を持参して、チャーハンの素の袋に書いてあったレシピで「ピラフ風」を提供です。
パーティは、まさに「欧米かっ」の典型のようなパーティでした、ただし欧米、ではなく、イギリスかっ、ですが。私はW家の家族側、ホスト側の人間として扱われているようで(ありがたいです)、手持ち無沙汰でぼーっとしていると、すぐさまおとうPから「ぼんやりすな!」と喝を入れられます笑 「こういうの苦手なんですぅ、わたし」は通用しない、というのは、とくに今時分の男性陣は身に染みてわかっていて、彼らのテキパキ具合は半端ではありません。こうなったら私としても、「何かお手伝いできることある?」を次から次へと言いまくります。それで、「ないからゆっくりしてて」とは言われないのです、絶対に。どんな小さなことでも、役割を与えられてしまうのでした。
助っ人として1時間早めに到着したP&S夫妻もすごい勢いでお手伝い。とくに夫Sの、調理器具を片っ端から洗い磨き上げるその手際の良さには、ただただ感心でした。しかも他人の家の台所で、ですよ⁉︎
何がいいたいのかというと、あの「欧米かっ」から連想される優雅なホームパーティの裏面として、それに対する入念な準備と惜しまない努力には想像以上のものがあったということです。まあ、クリスマスの時もそうでしたが。
さすがに翌日は、家の者で年長組はみんなグロッキーです。朝からのんびり、午後遅くにロンドン中心部に出るまでまったり食べたり、本を読んだり、少し論文を書いたり。
午後遅く、W家の人たちとお別れして(相変わらずおとうPは車で送ってくれました)、前回の受入教授Cとの待ち合わせのキングスクロス駅に向かいます。10分早く着いたのに、それ以上前に到着していたC。「やっと会えたね!」と、互いにハグ。彼は私のビザ事件とか、その他いろいろ知っているので。
結局2時間近く、キンクロ駅近くの、その割には静かめなパブで積もるお話など。こんな話、もう忘れているだろうなあ、と思っていた話題もよく覚えていてくれたり。
目に入れても痛くないお孫ちゃんの写真、会うたびにみせられて、その度に満面の笑顔、結構かわゆかったりします(絶対に本人に言えない笑)。最初の頃はね、ちょっと怖めというか警戒心を持たれていたというか、そんな感じだったCですが(出会い方からして当然なんですが)、お互いのことが分かってくると、本当に受け入れてくれているのを感じます。ありがたいです!