河合栄治郎『在欧通信』覚書
表題のとおり、研究の覚書です。
社会思想家の河合栄治郎による、1929年の書『在欧通信』が国会図書館デジタル上で、イギリスからでも読めてしまうのは大変ありがたい。
本当に偶然に、東京大学から取り寄せた本に、トーニーの直筆サインをみつけたときの感動は、半年前↓のXでつぶやいたとおり。
さらに、東大にあるその資料にはトーニーの直筆と思われる献呈の言葉も添えてある❗️
— 林 昌子 HayashiMasako (@HayashiMasako1) June 19, 2023
帰りの電車の中で「1920年とか30年代、東大教授だったカワイって誰…カワイ…カワイ……」と頭を巡らせても、錆び付いた私の頭には誰も浮かばなかったのだが… pic.twitter.com/hK2sbWD0Dx
https://twitter.com/HayashiMasako1/status/1670808712473083904
帰宅して、落ち着いて検索して…
— 林 昌子 HayashiMasako (@HayashiMasako1) June 19, 2023
まじか。
河合栄治郎なのか⁈
そうなのか?そうなのか?いやもう、そうに違いないよねそれしか考えられないもん。
https://twitter.com/HayashiMasako1/status/1670803892567719936
すごいものを発掘してしまった😍
— 林 昌子 HayashiMasako (@HayashiMasako1) June 19, 2023
https://twitter.com/HayashiMasako1/status/1670808712473083904
それとあと、ハリーの字が案外かわゆくて萌える💓
— 林 昌子 HayashiMasako (@HayashiMasako1) June 19, 2023
サインは見覚えがあるんだけど、この程度でもまとまったかたまりは、どうだろう、見るのはじめてかしら?
編集上サインだけをアップしましたが、この本は、Tawney. Education: The Socialist Policy (1924) です。河合が帰国したのは1925年なので、河合の在英中にトーニーから河合へ贈呈されたと考えられます。『在欧通信』の中で、河合はトーニーに「2、3回会った」と書いているので、その時に贈られたのでしょうか。
それにしても、河合のトーニーに対する「印象」が、なんというか、ペラすぎる。いわく、高邁な人格者だけど(LSE: ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスでの)講義はダルい、無愛想で服装への無頓着で靴下に穴が空いているのも気にしない……って。あとは、敬虔な聖公会信徒なんですって、だとか、著書『獲得社会』が大評判らしいでっせ、とか……。まあそのとおり、間違いはどこにもないのですが、思わず、「え、それだけですか?」と、かなり拍子抜けしてしまいました。
100年後の今だから言えるのでしょうが、当時の(今でもですか)大御所のセンセイに声を大にしていいたい、「トーニーに、宛名入りで、With Kind Regard, RHTと署名してもらったことを、もっとありがたがらんかい!」(河合先生の信奉者の方すみません) うらやましすぎるぞ。
もっとも、イギリス人の慣わしというかマナーというか、普通、著者にサインして下さいと頼んで応じてくれないことはないし、それどころか、あなたの名前は何?と必ずあて名を聞いてくれます。これは、サインを頼んで、実際にサインしていただけるのが、感覚的には半分くらいな日本の場合に慣れている者からすると、素晴らしいマナーだなといつも感心します。
今日は、トーニーの盟友ウィリアム・テンプルによるChristianity and the State (1928) を一気に読み終え、テンプルの国家論についての深い洞察に、いたく考えさせられた一日でした。これほど教会と国家との関係について熟考を重ねた学者は、そういないのではないでしょうか。さらに本書は、「わが友 R.H.トーニーへ」とあり、トーニーに献呈されています。
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本書は、世に初めて「福祉国家」Welfare Stateという言葉を生み出した本としても有名です。「初めて」に関して諸説ありますが、まあ、公に断言したのはテンプルが初めてといってよいのではないでしょうか。
それとあわせて、明治・大正時代の日本のキリスト教社会主義についての論文も2、3本読みました。ひとことだけ感想をいいます。
日本人にとって、これまでいったいキリスト教とは何だったのでしょうか。正直のところ、明治大正期の初期プロテスタントキリスト者たちへの幻滅を、ますます深めています。さらにその後の今に至るキリスト者たちはどうでしょうか。(好きな用語ではありませんが)「世界宗教としてのキリスト教」の伝統を共有できるごく一部のマイノリティを除いて、そこにはひょっこりひょうたん島におけるキリスト教みたいな何かがあるだけではないのか、と戦慄を覚えてしまいます。