学術大会「変化へと向かう教会:メソジストの社会正義300年間の探究」
10日前の日記になりますが。Church for the Change: Exploring 300 years of Methodist Social Justice (変化へと向かう教会:メソジストの社会正義300年間の探究)というタイトルでの学術大会が、オックスフォード・ブルックス大学で開かれ、参加しました。旧知の先生との親交を深めるとともに、新しく出会った先生方ともお知り合いになることができました。
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中でもウェストミンスター大学のピッパ・カトラル教授のスピーチは秀逸で、当日は慌ただしく、やっとこさ最後になって自己紹介ができて、今、ぎりぎりツイッターXでつながることができている状態。ピッパ先生は、戦間期のキリスト教社会主義、とりわけ非国教会派のそれについての歴史家でいらっしゃいます。先生に忘れられないうちに、近いうちにご著書を読み終えて、親交を深められればと願っています。まずは購入だ(まだ買ってないんかい💦円安がひどくて購入意欲が湧かなくてな…これではいかん!)
Brilliant opening paper by Prof Pippa Catterall #poverty and #inequality pic.twitter.com/qU75biwx3p
— Richard A. Davis, PhD (@rad_1968) November 4, 2023
(リチャードが撮った写真を、記録のため、ちゃっかりここに転記させてもらいました。ありがとうございます!断ってないけどOKよね?)
こちらにきてからは私生活において、メソジスト教会との関わりが薄く、イギリス聖公会との関わりが多い。それは、現在の研究対象がトーニーであることに遠因があるわけで、また、指導教授CがW・テンプル財団の会長であることも大きい。ただ、日本で聖公会のS先生からもお聞きしているように、メソジストと聖公会は合併するしないの議論が浮上しては消える、ということが何回かあったくらい、アングリカンの伝統を共有できる関係だ。
個人的には、いずれ合併することになる時がきても構わないと思っている。第一、日本のキリスト教会の事情を知る者としては、宗派がどうのといっていられない瀕死の状況なのだ。学会後、リチャードとお連れ合いのルビーとの楽しい夕食の時にも「なんかさあ、マサコはメソジストっぽくないよなあ」とちくっと言われたりもしたが、それについては日本のキリスト教事情ということもあるし、あと、たとえばロンドンのウェスレー・チャペルに行ってもさ、とくに最近はウェスレーを感じることが難しいと思うのよ、博物館を除いてはね、と反論。
それに、聖公会の事情、神学や思想に慣れ親しんで行くうちに、聖公会神学者によるウェスレー理解について、若い頃にはなかなかピンとこなかったものが、今になってやっと「なるほど、こういうことね」と腑に落ちることも多くあり、これは収穫だと思う。ウェスレー以降のメソジストについては話は別で、そこにはお互いの側から線を引く区別がありそうだが、やはり聖公会からみると、ウェスレーは聖公会司祭によるある種の宗教改革者、という感じなんでしょうか。
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ピッパ先生、最近のご著書について「うーん、トーニーについての記述は少ないなんだけどね(でも読んでね❤️的な)」とおっしゃるので、「それはそうでしょうが、私はもっと戦間期のキリスト教社会主義のことを知らなければならないのでっ」と食いつく私。実際、当時の組合や労働運動、労働党や、そこの構成員とトーニーとの関わり、要するに非国教会派の人々とトーニーとの関わりについて、私はまだ研究不足な分野で、はたしてそこにどう切り込んで行くべきかと道を探していたところのピッパ先生との出会いだもの。
うーん、読む本が積み上がる一方だ…。