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賢木⑯ 秋になり 雲林院に参籠


🌷雲林院に籠る 源氏は拗ねてるのか😮?!

源氏も、お可愛い盛りの春宮に会いたくてたまらないが、中宮に思い知らせてやりたい気持ちが勝って、参内もせずに引き籠っているが、

思い知らせてやるぅ

手持無沙汰で、秋の野の風情を見がてら、紫野の雲林院に詣でた。

母方の伯父君が 律師として お籠りの宿坊に参って、2,3日勤行してみると心に沁みることも多い。(Cf. 僧階 …僧正→僧都→律師)

秋の野の一面に色付き移ろいゆく景色は艶美で、凡俗の日常を忘れてしまいそうである。

紅葉やうやう色づきわたりて 秋の野の いとなまめきたる

学のある僧達を召し出して、議論させて聞く。

法師ばらの 才ある限り召し出でて 論議せさせて 聞こしめさせたまふ

こんな場所であるから世の無常のことをしみじみ思っているはずなのに、
つれない中宮のことが却って胸が痛いほどにまで思われて、『憂き人しもぞ』と思い知る。
   📋Cf. 天の戸を押し 明け方の月見れば 憂き人しもぞ 恋しかりける (新古今集)

明け方の月光の下、僧達があ刀のお供えに、菊の花や色とりどりの紅葉を、音を立てて折り散らしている。
そんな僧坊のちょっとした営みを眺めながら、
「こんなお勤めでもあれば、この世の退屈もなく、来世の希望ともなろう」「それに引き比べ思うに任せない我が身であることだ」
などと思う。
伯父君の 観無量寿経を唱え上げる尊い声が聞こえる。「念仏衆生摂取不捨(念仏を唱える衆生は皆受け入れて捨てない)」
ひどく羨ましくて、なぜ自分は出家できないのだと考えると、二条院の新妻のことがまず思い出されてしまう。
 …源氏の信仰心は、あまり御立派とは言えないようだ。
 (😀源氏物語って、時々、地の文に作者の感想が入るのよね)

🌷二条院の 紫の君 に文を送る

西の対の紫夫人とこんなに離れていることもなかったので気にかかって、文だけは度々送っている。

「出家できるものかどうか試すような気持ちで参ってみたが、寂しく心細いばかりだ」「学僧に教えてほしいことも残っているのでもう少し滞在するつもりだが、あなたのことが気掛かりだ」
檀紙に飾り気なく気楽に書いているのも美しい。
📥…………………………………………………………………………………………………
    浅茅生のやどりに 君をおきて 四方の静心なき
   《概訳》儚いこの世にあなたを置いて来たので 世間に吹き荒れる風のことが気が気ではないよ)
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こんなことが細やかに書いてある文を見て、二条院の紫の君は泣いてしまう。🥲
白い薄用に
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    吹けば まづぞ乱るる色変はる 浅茅に かかるささがに
   《概訳》風にすぐに乱れて色の変わる茅がやのように移り気なあなたの御心に 茅がやの露にかかる蜘蛛の糸のようにすがって生きている 心細い私です
……………………………………………………………………………………………………
とだけ書いて、雲林院の源氏に返す。

それを見ると、可愛いくて愛しくて、「ますます字もよくなってくるなあ」と独り言を言いながら、源氏は笑みこぼれる。

いつも文の遣り取りをしているので、源氏の筆跡とよく似てきているのだが、それに更に艶やかな女らしさが加わっている。
「欠点もなく素晴らしく育ってくれたものだ」と思う。

紫野雲林院の源氏 と 二条院西の対の紫の君 の間で文通


🌷賀茂神社の 朝顔斎院 に文を送る

紫野の雲林院の源氏は、程近くの賀茂神社斎院 朝顔にも文を送る。

雲林院 と 賀茂神社

朝顔の女房の中将に、「こんな旅の空に在るのは、物思いに彷徨い出てのことだとは御存じないでしょう」と恨み言を書き、
朝顔には、「申し上げるのも畏れ多いことですが、木綿欅(ゆうだすき)を見るにつけ、昔の秋が懐かしく恋しく思い出されるのです」「時を戻せるものならば」などと、唐渡の浅緑の紙に親し気に書き、

かけまくは かしこけれども そのかみの 秋思ほゆる木綿欅かな
昔を今にと 思ひたまふるも かひなく とり返されむもののやうに と

榊に木綿(ゆう)を付けて神々しく仕立てた枝に付けて差し上げる。

なれなれしげに 唐の浅緑の紙に 榊に木綿(ゆう)つけなど 神々しうしなして 参らせたまふ

中将からの返事には、「変わり映えのしない日々の無聊にあなた様のことを思い出すことも多うございますが、何の甲斐もございません」などと饒舌に書いてある。
からは、木綿の端に「昔の木綿欅(ゆうだすき)がどうだったとおっしゃるのでしょうか」とだけ書いて来られた。

源氏は、「細やかというのではないが、お上手になって草書なども美しくなられた」「お顔もさぞ美しくなられたことだろう」と胸を騒がせている。

神罰を思えば恐ろしいことである。

「御息所との野宮での情趣深い別れは去年の今頃であったな」「神域では不思議に同じようなことがあるものだ」と神を恨むのも見苦しい。
強く求めれば結婚も可能だった頃には暢気に構えていたのに、斎院になられた今になってじりじりと後悔している。源氏という人の困った性分である。

朝顔斎院の方では、源氏の心が気紛れの戯れというわけでもないのはわかっているので、無視もできず、たまにはお返事もお書きになる。

院も かくなべてならぬ御心ばへを 見知りきこえたまへれば たまさかなる御返りなどは
えしも もて離れきこえたまふまじかめり

斎院としては少し不適切なことかもしれない。

寺では、源氏が参籠中に天台六十巻の教典を読み不明な所を解説させたりしているのを、「日々の勤行で山寺にこんな光明が及ぼされたとは、さぞ仏の御面目も立とう」などと末端の者までも喜び合っている。

源氏は、静かな寺で来し方行く末のことなど考えていると、現世に戻るのも億劫にも思えて来るが、紫の君が絆(ほだし)となり、長居もできずに帰る。
誦経の布施はもちろん、僧から山賤にまで上下を問わず盛大に物を取らせ功徳の限りを尽くして去るのを、あちこちに賤しい老人などが集まって涙を流しながら見送る。
黒い車で喪服に身をやつしているので、いつもに比べて格段ということもないのだが、かすかな気配だけでも余人では代えがたい方だと、皆が思う。

 📜木綿欅(ゆうだすき) …風俗博物館様↓

源氏24歳、藤壺中宮29歳、春宮6歳、朝顔22歳、紫の君16歳

                        眞斗通つぐ美

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