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賢木⑭ 三条宮に藤壺を襲う 二夜目 髪を取られる


🌷動画『三条宮に藤壺を襲う』


🌷🌙夕暮れ 中宮御回復

夕暮れの頃に、中宮の御気分は漸く回復して来る。

まさか、源氏が一日中塗籠に潜んでいたなどとは、中宮は思いもよらない。
女房たちもお心を乱すのを怖れてそのことは申し上げずにいた。
中宮は、昼の御座にいざり出て来られる。

もう大丈夫と、兵部卿宮なども退出されて、御前は人少なになった。

よろしう思さるるなめりとて 宮もまかでたまひなどして 御前 人少なになりぬ

中宮は普段からあまり御側に人を置かない方なので、女房たちはそこここの物陰などに控えている。

事情を知る王命婦たちは、
「あの君を、人目を忍んで塗籠からお出しするには、どうしたらいいのでしょう」
「今宵も同じように迫られて、宮様がまたお倒れになるのはおいたわしい」
と囁き合っている。

🌷塗籠から出て屏風の陰に潜む源氏

君は 塗籠の戸の 細めに開きたるを やをら おし開けて 御屏風のはさまに 伝ひ入りたまひぬ

源氏は、塗籠の戸が細く開いているのをそっと押し開いて、屏風と壁の隙間に入り込んで、中宮の様子を覗き見る。

めづらしく うれしきにも 涙落ちて 見たてまつりたまふ

中宮のお顔を明るい所で拝見するのは少年の日以来のことなので、源氏は嬉しくて涙が止まらない。

「とても苦しい」「このまま死んでしまうのかしら」と、外の方に目をやられる中宮の御横顔が、何とも言えず優美である。

女房が、硯の蓋に軽食を盛って「せめてこれだけでも」と差し出すが、見向きもされない。
世を儚むように静かに物思いに沈んでおられる御様子はいじらしくもお美しい。
御髪の色艶もかかり具合も御頭の形も匂い立つようにお美しい。
二条院の西の対の紫の君にそっくりだと、こんな時に改めて思う。
ここのところ慣れてしまっていたが、改めて若紫の姫君を見出した時の驚きを思い出して、自分にはこの片恋の遣り場があるのだと、少しだけ気が晴れるようでもある。
気後れしてしまうような気高さまでも似ているが、幼い頃からお慕いして来た年月の分、中宮の方が優っておられるような気もして、またも恋心が激しく波立ち渦巻く。

🌷御帳に侵入する源氏

惑乱のあまり、御帳を纏うようにそっと侵入して、衣擦れの音を立てる。
袖の香がさっと立ち、中宮は驚きと怖れでその場にひれ伏し倒れ込んでしまわれた。

「せめて振り向いてくださいませんか」とじれったくて辛くて抱き寄せると、

見だに 向きたまへかしと 心やましう つらうて 引き寄せたまへるに

中宮上衣から滑り出られたが、

御衣をすべし置きて ゐざりのきたまふに 心にもあらず 御髪の取り添へられたりければ

思いがけず、御髪が衣の中に残ってしまって身動きできなくなってしまわれた。

御髪の取り添へられたりければ いと心憂く 宿世のほど 思し知られて いみじと思したり

つくづくと運命の頼りなさが思われて、ただただお辛い。

源氏は、長年抑えて来た恋心が溢れ出して、気でも違ったように、あれもこれもと泣く泣く怨みを言う。

男も ここら世をもてしづめたまふ御心 みな乱れて
うつしざまにもあらず よろづのことを泣く泣く怨みきこえたまへど

中宮はあまりに不本意で御返事もできず、ただ、
「気分がすぐれないのです」「こんな時でもなければお返事もできましょう」
とおっしゃるが、
源氏は、尽きせぬ恋心を訴え続ける。

御心に響く言葉も混じっていようし、秘密を共有している御仲でもあるが、
こんな無理強いは極めて不本意である。
お情けなさばかりが今更に募られるが、中宮は優しい御物言いを乱されることなく、御上手にかわしながら、今宵も明けていくのをひたすらにお待ちになる。
淑女であられることに僅かな乱れもない。

🌷拒否を貫く中宮

男の力で無理強いするには畏れ多い気高さがおありなので、恋に狂っている源氏もそれ以上踏み込むことができず、自制に我が身を縛られる。
「これだけでもいいのです」「これ以上のことはいたしませんから」「どうか時々この苦しい胸の内をお聴きいただくだけで心も晴れましょうから」「大それた心などないのです」
などと油断させるようなことばかりを、無我夢中で搔き口説く。
その場では嘘でもなく衷心からの言葉でもある。
ありふれた仲でもこうした押し引きには見せ場のような場面もできるものなのに、まして類ない方である。
今宵も狼藉を働こうと侵入したのに主導権を取られっ放しでつけ入る隙もなく、源氏は改めて感嘆してしまっている。

🌷🌞夜明け 別れ

延々と同じ攻防が続くうちに、夜が明けてしまった。
王命婦と弁が二人して、大変なことになりますから…と申し上げる。

病後であられながら更に一晩中緊張消耗なされて、中宮は半ば魂が抜けたような御様子でいらっしゃる。

おいたわしさと自責で自身が追い詰められてしまって、源氏は、
「私のような男が生き永らえているとお耳に入るのも恥ずかしうございますから遠からず死んでしまいましょう」
「ですが、死んだところで心が変わるわけもなく、ただ現世執着の罪を重ねることとなりましょう」
などと、気味が悪いほどに思い詰めて言う。

  逢ふことのかたきを 今日に限らずは 今幾世をか 嘆きつつ経む
  これからもお逢いするのが難しいとおっしゃるのなら、私は来世もその次も幾世も嘆いて過ごしていくことでしょう
 「私の執着が御往生の妨げになりましょうか」
と申し上げる。

中宮は溜息をつかれて、
   長き世の恨みを 人に残しても かつは 心をあだと知らなむ
   未来永劫の怨みを残したとおっしゃったところで、一方ではその御心が変わり易いものだということもそのうちにおわかりになるでしょう

何でもないことのように軽くおっしゃるご様子までが言いようもなく素晴らしく思われるが、

はかなく言ひなさせたまへるさまの 言ふよしなき心地すれど

これ以上宮に軽蔑されるのも辛く自分も苦しくなるばかりである。

源氏は抜け殻のようになって帰った。

人の思さむところも わが御ためも苦しければ 我にもあらで 出でたまひぬ

この時、源氏24歳、藤壺中宮29歳

🎞️藤壺中宮への執着。母恋い。

動画です。


🎞️皇女が国母となるということ。

動画です。



                        眞斗通つぐ美

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