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前坊の続柄 (はらから)

🍵閑話休題。
『葵の巻』まで戻ります。
六条御息所のお仕えした前坊(=前の皇太子)という方が、桐壺帝とどういう御関係かよくわからないでいたのですが、
前坊は、桐壺帝同腹の『一の院』の皇子、弟宮ですね。
桐壺院の 同じき御はらから(=同腹の御兄弟) とありました。

『葵の巻』。
六条御息所は、左大臣邸が葵上の出産で沸いているさ中、
朦朧とする記憶を辿っているうちに、自分の衣に芥子の香りが濃く染み付いていることから、我が身を離れた生霊の不埒を悟り暗然とします。

かの姫君とおぼしき人の いときよらにてある所に行きて とかく引きまさぐり うつつにも似ず
たけく いかき ひたぶる心 出で来て うちかなぐるなど 見えたまふこと 度かさなりにけり

葵上の葬送の後、
自分の意識の埒外であったにせよ、その呪わしい行状が、あんなに親身に御心配くださった桐壺院の御耳に入ったらどうしようと、六条御息所が我が身を責める場面に、同じき御はらから(=同腹の御兄弟)という言葉が出て来ていました。

六条御息所は思う。
自分が生霊になったことなどが、桐壺帝の御耳に入ったら、どう思されることだろう。
自分のお仕えした故皇太子は  同母の御兄弟 の中でも  桐壺帝とは特にとても御仲がおよろしくて、姫君の御将来のことなどもよくお頼みあそばしたので、
桐壺帝は、『代わりに私がちゃんと御世話しますよ』と、いつも仰せで、
自分にも『このまま宮中にいらっしゃい』と度々仰せだった。
畏れ多いことと御辞退申し上げていたのだが…
…………………………………………………………………………………………………
  📜かやうなる聞こえありて 院にもいかに思さむ
   故前坊の 同じき御はらから と言ふなかにも いみじう思ひ交はしきこえさせたまひて この斎宮の御ことをも ねむごろに聞こえつけさせたまひしかば
  『その御代はりにも、やがて見たてまつり扱はむ』など、常にのたまはせて、『やがて内裏住みしたまへ』と、たびたび聞こえさせたまひしをだに、いとあるまじきこと、と思ひ離れにしを

🐍🦶🏻
『このまま宮中にいらっしゃい』とは、このまま朕の妃に横滑りしておとどまりなさい という意味で、桐壺帝の好色😋を示す、、というような読み方もあるようなのですが、
あの弘徽殿女御は、御代替わりの後、弘徽殿の殿舎は朧月夜尚侍に譲られて、御自分は宮中にとどまられるに当たり梅壺の殿舎に移られた、という記述もあるので、「後宮にお残りなさい」=「寵を受けよ」でもないのかもしれません。
どうなのでしょうか。

≪ 弘徽殿女御は、朱雀帝の御代には、梅壺へ ≫

   😮はらからって、ただ兄弟のことを言うのでなく、もしかして、同じ 腹から生まれた という言葉だったの?
   🤔そうかもね。異腹の時は、ことはらから とか ことはら とか言うらしいわ。
   😮へえ!

                        眞斗通つぐ美

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