賢木⑱”” 尚侍と中宮と 道長の姫たち②嬉子 添臥 望月の果て
🍵閑話休題 添臥
😮ねねね!!!白河天皇様の御生母茂子様は、春宮妃でいらしたというのだけれど、添臥でいらしたんですって?
😦道長様の明子様の方の能信様が御養父ですって。
🤭お話飛ぶわねえw
🤪でも、添臥と聞いたら、なになに?ってなっちゃうわ!
😮添臥ってどんな御身分なのかしら。
😦左大臣の姫君の葵上さんも、添臥として、源氏君との御結婚をなさったみたいなのよ。
😮添臥からそのまま正妻になられたりもするみたいだから、添臥というのは年上の御褥専門の女、的なことでもなさそうなのよね。
😮御役目の名前だとしても、添臥だなんて、ちょっとギョッとしちゃうけど、言葉の感覚が違っていたのかしらね。
😮ロイヤルミストレス?公妾? そんな感じなのかしらと思っていたのだけれど。
😮ヨーロッパのロイヤルミストレスは継承から完全に排除されてまさに愛人という御身分なのでしょうけれど、添臥は、愛人とかお愉しみとか御褥専門とかいうのとは違うみたいなのよね。
😮葵上さんのことを思えば、確かにね。
😮御身分も高くて、『正妻』にもふさわしい姫君の御役目みたいね。
😮元服の夜に初めて共寝されるのね。
😮男子を産めば、その子が嫡男になる可能性もあるのだものね。
😮足入れ婚的な、ちょっと留保という思い入れみたいなことがあるのかしら。
😮高貴な姫君はお顔お見せにならないんですもの。その夜初めてお顔見て、やっぱタイプじゃなさ過ぎてムリ、みたいな余地を残すのかしら。
😮源氏君が末摘花の姫君とお過ごしになった翌朝ね。横目でお姿チラ見してびっくり!という場面があったわよね。
😮定子様も添臥でいらした可能性があるみたいね。
😮そうなの?
😮兼家様が薨去されて、道隆様が藤氏長者になられた年に定子様は一条天皇様に入内されてるの。
😮時の最高権力者の娘としての入内だから、ちょっと一晩お世話係、みたいな思い入れではなさそうだわ。
🌷嬉子 後朱雀天皇 春宮妃
😮次の嬉子様はー。
🤔11歳で尚侍、14歳で後の後朱雀天皇様の春宮妃になられたの。
🤔それで、18歳で後の後冷泉天皇様を御出産あそばしたのよね。
😮皇子をお産みになったのね!
🤔後朱雀天皇様の御即位前に亡くなられたから、中宮や皇太后にはおなりじゃなくて、春宮妃のままで薨去あそばしたのだけれど。
🤔折角嬉子様が春宮妃としてお産みになった後冷泉天皇様は、御在位中には皇子がおできにならず、お血筋は絶えてしまわれるの。
🌷望月の果て
🤔結局、『この世をば…』の御歌まで詠んで寿いだ姫君方の御結婚は、
彰子様のお血筋の後朱雀天皇様と
あんなに排除なさろうとした三条天皇様と妍子様の間にお生まれの禎子内親王様との間の
後三条天皇様を経て、
😮院政に至っちゃうのね!
😮望月の成れの果て…っていうか。。
😮神の味噌汁…っていうか。。
😡何言ってるの!
🤔とにかく、尚侍が御懐妊の結果春宮妃になられたとかではないのね。
🤔道長様の姫君ですもの。そんな行き当たりばったりの御身分のわけないんじゃない?
🤔不都合がおありになったとかではなくて、うんとお若い時から陣取りしちゃうみたいな?
🤔お若過ぎて中宮になられても、結局皇子をお産みにはなれなければ意味がないのだから、中宮位をお急ぎになるよりも、プレッシャーなく帝とお親しくなられる時間の方が大事という感覚が出来上がったのかしら。
🤔彰子様は、12歳で中宮になられたけれど、後の後一条天皇様をお産みになったのは20歳の時だものね。
🤔一応尚侍でワンバウンドというか、慣らし保育的に内裏とか帝とかにお馴染みになる期間を置くのはいいのかもしれないわね。
🤔添臥も即物的な御身分でもなさそうだしね。
🤔まあやっぱり陣取りとかお身内のお付きが睨みを利かすとか、そんな感じだったのかしら。
🤔他のお妃の入内除け、みたいなこともあるのかしらね。
😣下々は考えることが御下品でいやあね。
眞斗通つぐ美
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