hoyuのヘアカラーにまつわる恋の思い出

 行儀見習いのため高校の卒業式前に私を先方の家へ行かせるよう祖父は父に命じたが、末娘との別れの時を少しでも先延ばしにしたかった両親は拒否した。珍しいことだ、と私は思った。普段の両親は祖父に絶対服従なのだ。遅く来た反抗期なのか? そうかもしれないけれど、そればかりではない。海外で事業を拡大させている次兄がSOSを発信してきたのだ。人手が足りないので私に仕事を手伝って欲しいのだという。結婚を目前に控えた私を海外へ出すなど以ての外! と最初は怒った祖父だったが次兄の説得で折れた。祖父は元々、次兄を買っている。孫の男子の中ではもっとも優れているとして、行く行くは総本家の跡継ぎにしたいと考えているのだ。そんな次兄の頼みなら、ということで祖父は私の嫁ぎ先に掛け合って、行儀見習いの時期を遅らせてもらった。私の夫となる男性は不満を示したらしい。一度しか会ってない私を、そんなに気に入ってくれるとは恐縮だ。こっちは何とも思っていないので誠に申し訳ない。
 日本を発つ前、私は髪を明るい色に染めた。以前、私の家庭教師をしてくれた外国籍の女性の髪の色に憧れていたのだ。高校を卒業したら髪を染めようと思っていたのに、その前に結婚が決まった。向こうの家に嫁いだら、私は髪を自由に染めることはできない。そして私は先方の家風に染まらねばならないのだ。嫁ぐ日の前に一度だけでも髪を染めたい。そう思った。
 次兄と義姉は私を歓待してくれた。二人が経営する事業の取引先は十数カ国に及んでおり、複数の外国語ができる私のような人間を求めていたのだ。私は到着の翌日から交渉の場面に駆り出された。仕事は大変だったけど自慢の語学力を発揮できて、私は嬉しかった。充実の日々だった。そんなときに彼と出会った。いや……出会ってしまった。運命の悪戯だった。
 あの人とのことは詳しく書けない。相手の事情があるし、私の心の整理が今も付いていなくて、文章にできないのだ。
 放心状態で帰国し、そのまま結婚して子供が生まれ、懸命に子育てして、そして……髪に混ざる白いものが目立つようになった。夫は髪を染めろという。私も、そう思う。どんな色にしようか? いや、悩むことはなかった。私に選択権はない。夫の後援会の面々は目立つ妻を好まない。白髪が目立たなければ、それでいいのだ。
 そう、それで良かったはずなのに……またも運命の悪戯が起こった。
 次兄の海外事業で知り合った彼が来日するという。その際、私にどうしても逢いたいと言っているそうだ。義姉が教えてくれた。彼女は私たちの事情を知っている。動画の中の彼女は、悪戯っぽく笑って言った。
「〇〇さんの髪の色が、とても素敵だったって彼、今も言っているわよ」
 私は胸の高まりを覚えた。あのときの髪の色を再現しなければと思った。でも、どんな色だったのか、思い出せない。メーカーの名前は憶えている。
 ホーユー株式会社。私が買ったヘアカラーはhoyuの製品だった。
 あの髪色を、もう一度……と心からを願っている。

#髪を染めた日

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