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ヒトリボシ (2)

一日にして生活が変わった。

今が現実なら、今までの過去が幻と化した。
人の人生はこんなにも一瞬にして変わるのか。子どもの頃からの順子と今が途切れてしまった。

それでも、幼い頃、友達と楽しく遊んでいても、ふと頭を抱え、憂いを感じることがあった。
そして、今まで思ったこともなかったのに、
「今の生活は健一が元気でいるから」
という思いがふと頭に微かによぎったりもしていた。
また、小さな二人の娘を育てながら、
「『母を尋ねて三千里』の『マルコ』のような子どもに育てたい。」
と言っていた。

まるで将来の自分を予知していたかのように。

元来、健一は面倒臭がり屋なんだ。
「終日のたりのたりかな」
健一がよく口にした言葉。本当はこんな生活を望んでいながらも、
「一度立ち止まると、もう動けなくなるのでは」
と言う強迫観念を持って、バタバタと仕事に打ち込んできた。
そう、毎日、ひたすら仕事。

「一つのことだけやっていればいいなんて、楽だよねーー」 
ずっと妻や子どもはほったらかし。
「あ、行事の時だけ顔、出してたか」
「イベント夫」
「イベント親父」
準備も後片付けもほったらかし。

ほったらかし、ほったらかし、ほったらかし。

「でも、妻と子どもだけじゃなかったんだね。ほったらかしてたの」
「自分の体もほったらかしてたんだね」   

そして、しっぺ返しを食らった。
妻や子どもはほったらかしてても、子どもは育つし、妻も自由に過ごす。
お一人様も楽しんで。
「結局、一番キツイよねーー 自分の体のしっぺ返しが」
もう二進も三進も。


「お医者様」「お医者さん」
「お○○様」「お○○さん」
ここまで呼ばれる職業。
ほぼ「神様」「仏様」的な。
この世の中、理不尽なことは一杯あるが、病人や患者を助けるのが「お医者様」「お医者さん」の仕事。

「救急で運ばれて、どうしてすぐ手術して下らなかったのですか? どうして一晩置いておいたのですか?」
「患者や家族のその後の辛く、過酷な人生考えてますか?」
「医者なら、罪にならない?」
精一杯力を尽くして貰ったのなら、いや、せめて納得できる説明があれば、仕方ないとも思えるけれど。

診察中、
「辞めたい」
と言う医者に二人出会った。
「患者や家族に言うか?」  
一人は初対面で言った。
「他にも患者がいるので、一人にばかり構ってられない」
この言葉は何人もの医者から聞いた。
「はて、これを学校の先生が言ったら、どうなるだろうか?」
「僕が気に入らないなら、どうぞ他へ」
も医者の口から出たし、病院自体が受診を拒否した。

医者同士がかばい合い、都合の悪いことははぐらかす、「ドクハラ」横行。
そんな病院が「患者中心」を看板まで上げ、謳っている。

そして、初めて知った。病院は「急性期」病院と言って二ケ月までに「リハビリ」病院へ移らないとリハビリを受けることが出来ず、「リハビリ」病院は長くて半年。老健(介護老人保健施設)は三ケ月と。
国の決まり事云々かんぬん……
「もういい加減にしてーー」

皆、いずれ病気になる。そして、死ぬ。
明日は我が身。
たとえいくら気を付け、努力して健康を手にしていても。
健康は人を傲慢にさせる。
医者の「上から目線」、マジ勘弁!

健一のイビキだけが以前と変わらない。

今まで健一はリビングで、
「話すのを止めたな」
と思った次の瞬間、大きなイビキを掻き始め、結局、ベッドまで辿り着くことができず、夫婦、別々に寝てきた。

病気になってからは健一の介護ベッドの横に布団を敷いて、添い寝している。
相変わらず、先に寝てしまう健一のうるさいイビキがいつの間にか、子守唄となって毎晩、順子は眠りについた。

そして、朝もまだ寝ている健一のイビキを聞きながら、
「どうか幻でありますように」
と願って重い体を起こす。そして、残酷な現実を見る。健一は現状維持が精一杯でもう元の体に回復できる見込みはない。

こんなことなら、十年早く出逢って付き合えていたらなぁ……

私達夫婦は結婚指輪をはめていない。
私は腕時計を始め、体を縛られる物が嫌でアクセサリーも特別な時以外、身に付けない。そして、男性が指輪をはめているのも、好きではないので、健一が指輪を付けてなくても、何とも思わなかった。

結局、結婚指輪も実のところどこに行ったのかわからず、健一にプレゼントして貰ったネックレスや
「一緒にゴルフをしよう」
と買って貰ったシューズも履く機会も余りなく、いつの間にか失くしてしまっていた。
「僕のあの帽子どうしたでせうね」
と同様、
「健一からのプレゼント全部どうしたでせうね」
さっぱりわからない。

そして、
「亭主元気で留守が良い」
と言うとおり、元気な時、夫婦で一緒にいることはほとんどなかったし、たとえ、今、健一が元通りに復活できたとしても、私の元にはおらず、すぐに仕事へと戻り、同僚と楽しく飲み歩いているだろう。
つくづく縁の薄さを感じさせられる。

健一はいつも、
「なあ、なあ、なあ」
と順子の腕を肘でつつきながら、声を掛けた。
懐かしい……

順子にとって健一は何も気を使わずに気楽に遊べる遊び相手。たまに休みがあると、健一は順子が行きたい所には特に興味、関心がなくても、食べ物目当てにどこにでもついて来た。食べることが大好きで「美味しい物を食べに行く」と言うと、その夜だけは仕事を早めに終えてやって来た。
そして、
「食べられるうちに食べとかな」
「飲めるうちに飲んどかな」
が病気を予感していたのか、いつの間にか健一の口癖になっていた。

健一がそんな生活をしながら、ある時、
「俺は長生きしなくてもいい」
とポソッと言ったのを聞いて、順子は、
「何、無責任なこと言ってんの!」
と怒ったことがある。

そして、年齢とともに筋肉が脂肪へと変わっていく健一に
「どこか痛いとか、具合の悪い所はない?」
と健一の体を気遣ったことはあるが、その度、健一は、
「ない」
と返事し、順子は健一の体は根性同様、強靭な体と思い込んでしまっていた。

健一自身、無理を重ね、限界も感じ、短命を覚悟していたのだろう。
しかし、人はそんな都合良く死ねない。
健一は不自由な体で命ある限り、生きていかなければならないし、順子はそんな健一に付き合わなければならない。健一の病気を未然に防ぐことができなかったことに罪悪感を感じながら。

新婚の頃、珍しく二人でスーパーに買物に行くと、健一は、
「こんなんしたかったんやろ? なあ、結婚したら、CМの新婚夫婦みたいに夫婦でスーパーで買物するのが夢やったんやろ?」
とうるさく言ってきた。

果たして夫婦で買物等、何回したことか……
買物は大抵順子一人だった。
そして、もう二度と夫婦で買物なんて……
今、スーパーで他所の夫婦が一緒に買物しているのを目にすると、心が重く沈み、健一の元気な姿が目に浮かんでは消えていく。

そして、健一より年上の旦那がボーーッと腕組みしたり、手を後ろ手に組んでフラッと嫁さんについて買物に来ているのを見ると、
「邪魔! どいて!」
とイラッとしながらも、
「立ってる!」
「歩いてる!」
とただ立っていること、歩いていることが、
「凄――い!」
と思える。
    
涼音が大学を卒業し、働き出したと同時に健一の病気。
「健一の体、二人の娘を大学卒業させるまでよく頑張ったね。」
順子は「子育て」からの間髪入れない「夫の介護」に大きなショックを受けながらも、健一が「娘達が一人前になるまでは」と父親としての責任をちゃんと果たしたことに感じ入りもする。

男手が欲しい。

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