社会の基本構造
例えば、数十人で無人島生活を考えてみると、先ず外敵への備えと食料の確保共有と集団内の調和が問題となります。
つまり、武力と生産と流通と政治です。
これは原初の人類も同様ですが、しかし、当然なから、その前の文化、猿の群としての習性という文化からの発展という点も踏まえねばなりません。
オカルト系統だと、「宇宙人がー」とか「高次元のー」とか「神様がー」なんて与太話になりますが、真面目に考えると、やはり進化論を踏まえての話になるでしょう。
チンパンジーやゴリラなどの生態をみれば、原初の人類も群を形成していたのは間違いないでしょうし、子育てという観点から見ても、やはり群で生活したのは間違いないでしょう。
現代では、一般的には親が子育てをしますが、そのストレスが相当なもので、祖父母や地域社会の協力が無い、例えばシングルマザーのケースなどは過酷なものと聞きます。
武力については、現代では軍や警察、個人レベルでは武術やスポーツなどとなりますが、特に現代日本の場合、様々な制約が課せられていて、異常な社会と言えます。
次に生産並び流通ですが、これも現代日本では、外圧に屈した政治的圧力又は官僚の作り出した規制により、また経済的制約により、生産者側も流通業側も厳しい現状と言えます。
そして政治は、主に共産主義勢力が様々な横暴を繰り返してきた結果、見るも無惨な事になりました。
現在、自民党がまた醜態を晒して再び国家を混乱させてますが、保守とされる自民党でもやはり、再生エネルギー関連の利権やLGBT関連などで共産主義勢力の走狗となった者が多い様に思えます。
共産主義勢力の連中は、共産主義や社会主義が正義だと盲信して、その正義の為ならあらゆる悪逆非道も許されるという信仰ですが、
原始社会主義という言葉があるように、原始的な社会構造の焼き直しでしかなく、要は幼稚な感情論でしかありません。
理性的合理的な話し合いで意志決定を行うというのは理想論でしかなく、
人類は未だにボス猿とその他の群社会であり、共産主義だ社会主義だと言い張っても、隣国を見れば周隠蔽がボス猿として君臨している野蛮人国家な訳です。
これは程度の差こそあれ、日本国も同様で、山を埋め尽くすソーラーパネルや無法な在日外国人達を鑑みれば、日本国の指導者達が正常な思考をしていないというのは明らかでしょう。
人類が、こうした迷路に迷い込んだのは何故か、という問いに対しては、様々な意見があるでしょうが、
自分は「キリスト教以降である」と考えてます。
現代社会から見ると、共産主義やそもそも人類はこの程度の種だとも思えますが、歴史的に考えると、自分にはキリスト教から狂ったと思えます。
また、一般的には「宗教はすべて害悪」とする意見もありますが、自分は「宗教」と「宗教組織」は別だと考えてます。
我々日本人は、無意識的に「お天道様に恥ずかしくない」ように「家族又はご先祖さまに恥ずかしくない」ように行動しますが、勿論そうでない人々も多数居ます。
この文化は、神道に由来します。
つまり、日本人全体で神道という宗教を継承している人と出来なかった人が居る訳です。
これと「神道系の宗教団体」とは無関係とも言えます。
様々な自称宗教家、または宗教学者などが「神道とはー」と語りますが、神道とは神社の儀式や地域社会での祭りなどではなく、人々の価値観、常識などの継承された文化だと思えます。
勿論、様々な神々を奉る事も重要ですが、外国の異教徒が礼拝してても、それは神道ではなく、異教の派生物でしかなく、我々の信仰とは別物だと思います。
宗教団体からすると、信者が多ければ実入りも増えるので、「それも神道だ」となりますが、
宗教という視点から見るなら別物でしょう。
これは仏教にも言える話で、印度での仏教と、日本での仏教は、やはり厳密には別と言えます。
日本の場合は、神道の派生物としての仏教となります。
だから日本仏教では「先祖代々の霊位」を祀り、針供養などの様々な供養を行うのだと思います。
ところで、そもそも「神々」とは何なのでしょう。
様々な説がありますが、自分は現生人類以前からある「ボス猿とその他」という関係性の延長で生じた概念だと思ってます。
それとは別に、霊的な存在としての「神々」なども個人的には「在る」と認識してますが、それはまた別の話。
原型が「ボス猿」なので、我々の群の長であり、導く存在であり、つまりは畏敬すべき存在です。
なので、神々と宗教団体と宗教は厳密には分けて考えるべきであり、スピリチュアルやカルトのような、何もかも一緒にして個人的な利益目的で縋るというのは過ちだとおもわれます。
神道と仏教は、千年以上かけて融合しようとしてきましたが、そもそも基本的な方向性から違いますので、両部神道とか本地垂迹説とかのような宗教団体や一つの説としてしか存続してません。
近年では「全ての宗教が目指すのは同じ」等とも言われますが、自分から見れば、とんでもない話です。
仏教がどのようなものかについては、他の回で説明しましたので省きますが、現在では多くの日本仏教の宗派がこうした世論に迎合して、その教学を疎かにしているように思えます。
人類史については、様々な仮説がありますが、近年発掘されたギョベクリテペ遺跡で明らかなように、狩猟時代には「宗教」と呼べるものは出来上がっていたと思われます。
自分は更に古くからあると思ってますが、何れにせよ、「宗教」、現代のような「宗教団体」ではなく、とは、人の社会の根幹的な共有概念であり、道徳や人倫などの根拠だと思います。
キリスト教や共産主義やカルトなどは、これを破壊するものなので、自分は根絶すべきだと認識してます。
社会の発展と共に、邑や国での対立が、そして社会的な階級での闘争などが繰り返されてきましたが、キリスト教以降はこれらに加えて宗教的な差別意識が社会問題となりました。
有色人種差別、特に黒人差別問題は、現在では白人対黒人という構図で語られますが、自分から見るとキリスト教によって作られた問題と思えます。
これは米国の黒人社会が独自の宗教を失った為に、そして彼らもキリスト教徒であるが故に問題が複雑化したと思えます。
文化の根底にある宗教が違うなら、別の国として分割すれば済む話ですが、同じ国、同じ宗教で混在しているので一つの群として機能出来ない訳です。
近年、日本国でも政府や企業が外国人労働者を受け入れる動きがありますが、どうなるかは米国を見れば、明らかでしょう。
ある人は米国を「成功例」と言いましたが、別の人は「米国は何れ内戦の可能性がある」とも言います。
最近の米国の腐り様、レイプ犯罪者が女性刑務所に入れられたり、相変わらず銃規制が出来ないままなのを見てると、とても「成功例」とは思えませんが。
キリスト教系統の考えでは「社会はより良い形に進化している」とされますが、これは彼らの信仰でしかなく、ホーキング博士は「このままでは百年以内で滅びる」と言いました。
自分はもう少し長いと思いますが、千年は持たないと思います。
その原動力は、共産主義勢力を初めとするキリスト教系統の宗教モドキだというのが自分の見立てです。
社会の基本構造である政治、武力、生産流通、そして宗教が、現代では軽んじられ、人権や性的マイノリティーや難民などの問題を現実問題よりも優先しているように見えるのが現代社会でしょう。
星一氏の方が、権力側からも世間からも見向きもされず、口先三寸や有名人が持て囃されるのか世の習いといえます。
「星一」さんを知らない方は、星新一著「人民は弱し官吏は強し」を御一読あれ。
というステマの真似事を落ちとして、今回はおしまい。