キリスト教の正体

キリスト教は、一般的には素晴らしい教え、宗教であるという事にされてます。

 そして、法学、教育、政治など多方面に影響を及ぼして、日本人も無自覚にその支配下にあると言えます。

 以下で、自分が、キリスト教は邪教、呪いの類いであり、人類に有害な存在である事を確信した理由について述べます。

 特にキリスト教徒の方は反論があるでしょうから、コメントで「正解」を教えて下されば、反論させて頂きます。

 1 キリストとされた人は世界を救ったのか?

 キリスト教ではメシアとされる人ですが、歴史的にその実在を証明する事は出来ません。
 処刑されたとされる時から、数十年後から記述のある一次資料がありますが、それらは後世のキリスト教徒による改竄が疑われてもいます。

 その唯一と言って良い旧約聖書の記述からは、メシアとされた人の言動が、とても聖人とか神の子とは思えない粗暴な人格が伺えます。

 曰く「ユダヤ人だけを救う為に使わされた」とか神殿前の他人の屋台を破壊したとか路傍の無花果の木を罵って呪ったとか。

 また、数々の奇跡を行ったともされますが、宗教の教祖の伝記が誇張され虚飾されるのは他の宗教でもありふれた話ですし、「教祖の奇跡」を唄う宗教も多いです。

 この旧約の話が、仮に事実としても、現代の手品師達との違いが自分には分かりません。

 東洋では、聖人とか聖者とされる人々は、普段の言動から優れた人格者だったとされますが、キリスト教のメシアとされた人物が彼ら以上だとは思えません。

 「メシア」という点についても、キリスト教の教えでは全く理解できません。

 自分には、有りもしない罪をデッチ上げて、その一部を救ってやったから感謝しろという詐欺にしか見えません。

 或いは、当時のユダヤ教の腐敗を嘆いて過激な扇動をした人が居たかも知れませんが、それは既成宗教を批判して治安を乱して処刑されただけの話で、救世主と言えるような話ではありません。

 当時のユダヤ教で「メシアが現れる」という信仰があったから、それを利用しただけとしか思えない話です。

 「この世を救った」なら、現状を肯定すべきだし、現状を否定するなら「救った」というのは嘘になります。

 2  教えが素晴らしいのか?

 現在、キリスト教とは三位一体とか愛を説くとか色々言われますが、
三位一体とは、教祖が説いた話ではなく、後に公会議で多数決で決まった話で、それを認めないと異端として迫害された訳で、つまり利権を独占するために教義を絞ったという話。
 内容についても、「高度な宗教哲学」とか持ち上げられてますが、「父親と子供と父親の手下が同じ存在」という、正気を疑うような話です。

 「愛を云々」という話も、先述の通り、教祖が「ユダヤ人だけ」と言明したと聞いてます。
 これを後世で、「キリスト教徒だけが救われる」としただけで、それでも酷い話でしょう。
 何が「隣人愛」なんでしょうか?

 隣人でもキリスト教徒だと認めない事にして迫害してましたが。

 挙げればキリがありませんが、他には「布教してやるから感謝しろ」という話もあります。

 自称「唯一の正しい宗教」だから、異教徒を迫害し、改宗を強制してます。
 というか、今でも布教は続いていて、各地で、民族宗教を滅ぼして回ってます。
 
 こうした善意の鬼畜さというのは、キリスト教系統の特徴といえます。

 なにせ、絶対の正義を行使してる人達ですから、異端も異教も全否定する訳です。

 勿論、全員がという話ではなく、マトモな方もいらっしゃるでしょうが、キリスト教という宗教はこうした方向に人を仕向ける宗教だという話です。

 「キリスト教の牧師や神父は禁欲的な教えに従ってー」と言う方もあるでしょうが、その結果として、組織的な「信者の幼児への性的虐待」が欧米諸国で多数立件されてます。

 時のローマ法王は、マスコミの前で「陰謀だ」とか言ってますし、捜査で組織的な隠蔽が行われた事も明かされました。

 「沈黙」なんて読むと、キリスト教は素晴らしい深い宗教とか思うのかも知れませんが、自分には、空気に酔ってるだけとしか見えません。

 3  そもそも、キリスト教は「宗教」なのか?
 
 というと、「お前は何を言っているんだ?」と思われるでしょうが、キリスト教の洗脳から離れて人類史を考えるなら、本来の「宗教」とは、教祖のない、民族固有の世界観や派生した神話や神々を祀る事で、付随する呪術や司祭としての修行法でしょう。

 日本だと、神道であり、国家神道や神社神道などは「宗教」が出来た後で作られたものでしょう。

 各地で神々が祀られ呪術が行われやがて修行法が確立され、さらに長い年月で様々な「教団」が権力闘争の果てに作られます。

 「神道教団」とは関係なく、我々は神社詣りして、新年を祝い、初日の出を拝みますし、「御先祖様」とか「御天道様」を気にします。

 まぁ、現代人だと気にしない人も多そうですが、少なくとも江戸時代にキリスト教の教えを聞いた町人の一人は「御先祖様が地獄に落ちて救われることは無い」と言われて泣いたそうです。

 現代日本人ではそんな人は居ないでしょうが。

 さて、「キリスト教は宗教なのか?」という問題に対して、自分は、「ユダヤ教から派生した宗教モドキとしか見えません。」と答えます。

 群れの共通の世界観、生死観として、群れの神々を祀る規範として、宗教が発展してきましたが、キリスト教の場合は、「個人と唯一神との個人契約」です。

 この論法だと「仏教」も「宗教ではない」となりますが、それでも仏教は神々を敬い社会の世界観を受け入れた上で、出家者、修行者として自らを規定してますので、ギリギリ宗教だと思ってます。

 キリスト教のような、現地の宗教施設を破壊して、そこに教会を立てるような考えではありませんでした。

 こうして見ると、キリスト教は「宗教」というより共産主義に近いように見えます。

 つまり、宗教から派生したキリスト教を始めとするキリスト教系統の一つが共産主義だと言えます。

 個人と唯一神、個人と唯一の社会体制という考え方なので、民族の伝統なんてものは考慮されませんし、むしろ邪魔な存在です。

 ソ連でも中共でも、共産が許可した宗教は存在を許されてました。
 しかしキリスト教では、異教徒は文字通り殲滅、オウサツされました。
 現在では、「他宗教との融和」などとまたも教義を変えましたが、教会内部では今も「異教徒は石木を拝んでいる」と教えている事でしょう。

 では、何故、キリスト教はローマの国教となり、その後も栄えたのか?

 自分程度の知能でも判るカラクリが当時の知識人達に見抜けなかったという事は無いでしょう。

 逆に考えると、支配するのに都合の良い宗教だったからではないかと思います。

 「すぐに週末が来る」「お前らには原罪がある」「キリスト教でしか救われない」表現はこれとは違いますが、言ってる話を要約するとこういう詐欺、強迫です。

  多民族国家にとって、宗教というのは現代ですら難題です。

 解りやすく縋りやすい、特定の民族のものではない「宗教」は上手い手だと言えます。

 どの程度まで、当時の支配者が理解していたかは判りませんが、初期キリスト教司祭達は当然理解した上で使ってたはずです。

  もし、本当に唯一神を信じてたなら、教義の書き換えは出来ないはずですから。

 仏教徒の経典に対する執着を見れば御理解頂けるかと思います。
一部には、この伝統を誤認して、教義よりも経典に執着したものまで生じました。

 冒頭でも触れましたが、このキリスト教の影響は国家の仕組みから経済活動の意味など幅広く浸透していて、影響が無い社会を見つける方が難しいと思います。

 つまり、現代の人類社会の問題の根幹には全て、このキリスト教があると言えるので、端的に表現すると「呪い」であり、「邪教」だと、自分は結論付けました。

これに対して、キリスト教徒は「本当のキリスト教は違う、間違えたキリスト教徒が多いだけ」とか「本当のキリスト教を理解してない」と反論するでしょう。

 つまり、「自分達が絶対に正しい」ので、「間違えたお前は悪だ」となる訳ですが、彼らには、この文章が何の暗喩なのかが理解出来ません。

 洗脳というのはこうしたものですので。

 


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