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「父が急に無職になったら」~小学生期

皆さん、こんにちは!

今回は、私の小学生時代の体験をお話したいと思います。


~悪い知らせ~

私が生まれる前から、父はずっと長距離トラックの運転手をしていました。

日本中あちこちトラックで荷物を運んでいたので、家に帰ってくるのは1週間に一度のペース。


そんな生活が、ある日突然一変します。


私が小学2年生の時。

朝早く、確か5時くらい。

家の電話がけたたましくなりました。


寝ていた母が慌てて起き、電話で話してた後ろ姿はうっすら覚えています。

次に覚えてるのは、電車を乗り継いで遠くの病院に行った事。


そう。父が交通事故にあった、という警察からの電話だったんです。


~事故の詳細~

父の入院は3ヶ月におよびました。

ケガの場所は膝部分。

なぜこんな事故が起きたのか、ざっくり説明しますと・・、


1、父。夜の高速を大型トラックで走ってる最中に、疲れたのでパーキングエリアに寄る。

2、喉が渇いた為、自販機にジュースを買いに行く。

3、自販機に向かう途中、ふと振り返ると自分の大型トラックがゆっくり動き出している光景を目にする。←これはサイドブレーキの引きが甘かった為。

4、前方には他の人の車。

5、(トラックに傷が付いたら、会社で死ぬほど怒られる!!)

咄嗟にそう思った父は、何を思ったかトラックと他人の乗用車の間に走って入り込む。

6、そのまま他人の乗用車と自分のトラックの間に、自分の膝をはさんで接触を防ごうとした。

7、当然無事で済むはずもなく、即救急車で運ばれる。

といった具合です・・・。


父の膝はそりゃあえらい状態になってたようで、手術もしてその後3ヶ月程入院になりました。

歩けるようには回復したものの、事故のせいで左右の足の長さが微妙に違う、という状態。

それに長時間立ってるのも、逆に座ってる事も足が痛んできて出来ないし、常に腰も痛いような状態だった為、その事故をきっかけに長距離トラックの運転手は辞めてしまいました。


~父が無職に。その後我が家の家計は?~

当時、私は小学2年生。

父親が大きな交通事故にあった。

大けがをした。

トラック運転手を辞めた。

それくらいの事しか理解していませんでした。

なので、トラック運転手を辞めた。=(イコール)父が無職になった。

じゃあ、我が家の生活は!?

なんて事は、全く考えもしなかったです。

それこそな~んにも考えないまま、毎日能天気に暮らしてました。

でも。

少なくとも私自身の生活は、全く変わりませんでした。

我が家は借家住まいでしたが、幼稚園の時からエレクトーン、ピアノ、書道を習ってて、私の部屋にもエレクトーンとピアノが小さい時から置いてありました。

その生活は18歳位まで続いたので、私の習い事だけでもそれなりにお金は掛かっていたと思います。

母はずっと内職はしてたものの、おそらく大した金額にはなってなかっただろうと思います。

何故かというと、暇な時などは母の内職を手伝っていたのですが、小学生の私にも出来るような内職だったし、実際私も大人になってから1年半ほど内職をしていた時期がありましたが、月に1万稼げたらいい方でした。

なので、母の内職だけで我が家の生活を支えるのは無理だったと思われます。

じゃあ、一体我が家の家計はどういう状態で成り立っていたのか。

答えは・・・、父が心底好きな事。

実は、パチンコだったんです。

~実は高校生になるまで知らなかった~

結局私が小さい頃は父親がトラック運転手を辞めた、という事だけで、他の生活は一切変わりませんでした。

そして、父に対しても別な新しい仕事に就く訳でもなく毎日パチンコに行ってるな・・、位の感じ。

でも、そのパチンコで勝った収入で我が家の生計が成り立っていた、と知ったのは私が高校生になってからの話。

ただそれを母から聞いた時は「ええ~っ!!」と大騒ぎしたのを覚えてます。

その頃ちょっと異性を気にし始めた時で💦、(これじゃあこの先お付き合いした人に、お父さん何の仕事してるの?って聞かれた時に言えないじゃん!!)と咄嗟に思ったんですね。

そこで速攻父親に、「ちゃんと会社に勤めて!!」とお願いした訳です。

その後1週間程で、父はホテルの駐車場係の仕事に無事就職。

「あ~良かったあ・・」と色々な思惑を胸に隠しながら、私はほっと一安心。


でも・・。

あの当時の私には、父親への感謝の気持ちは全くありませんでした。

父のパチンコの収入で家計が成り立ってた、そんな事を言われても全くピンと来ず「とりあえず彼氏が出来た時に、説明出来る状態だったらいいわ」

正直そんな感じでした。

とにかく実家にいた頃、父が無職だった期間我が家がどうやって生活する事が出来てたのか。

それは父がパチンコで稼いだお金で、私達家族は約9年ほどの間生活出来ていた、という事を母の話で頭では理解しましたが、あの頃の私と言えば、自分は好きな事が出来て当たり前で、生活のお金を誰がどうやって稼いでくれてるのか、なんて事にはこれっぽっちも興味がありませんでした。


そしてそれから何十年もの間、私の中での父親は「好きな事をやって自由に生きてるお気楽な人」そんなイメージがずっとありました。

そして私が人生の色んな局面で失敗する度に、(私はあのお気楽に生きてる父の血が流れてる。だから後先考えず行動していつも失敗するんだ)

そんな風に恨むことさえありました。


~新しい解釈~

私自身は現在50歳過ぎて、シングルマザー。

2人の子供はもう成人してますが、下の娘はまだ一緒に暮らしています。

高校生の時に不登校になり、その後高校、大学と通信制に通ってますが、ほぼ自宅から出ない日々。

当然バイトもした事が無く、我が家の経済状況は全て私1人に掛かってます。

そしてこの状況になって、初めてあの時の父親の心境が分かってきました。


最初に感じたのが(自分が倒れたら我が家の生活はどうしよう)という強烈な不安。

次に、親兄弟の誰にも頼れない、という孤独と恐怖。

離婚して3年ほど経ちますが、最初の2年ほどはとにかく不安と恐怖しかありませんでした。

それが今年に入った頃から、「なんかこういう精神状態って良くないよな・・」とふと思うように。

そして「悩んでも疲れるし、なるようにしかならんか~」っと、肩の力を抜いて生きようと決めた途端に、思い出したのが幼い日の父親の姿。

そうか、あの時の父親も私と同じ状況だったはず。

もちろん私の前で愚痴をこぼすような事は一度もありませんでしたが、稼ぎ手がたった1人だけ、という現実はやはり大変だったでしょう。

パチンコという自分が好きな事で稼ぐ、という点は羨ましいと思いますが、現実問題常に勝ち続けられるものでもないだろうし、そう思ったらよく9年間もの間私達家族を養ってくれた、と思います。

何も言わなかった父と、何も考えてなかった私。

長い年月が経ち私の状況が変わった事で、やっと父への感謝に気付きました。

何十年も掛からないと分からない、なんて自分でも本当にどうかと思いますが、

自由奔放でお気楽な父親→1人で必死に家族を養ってくれてた父親

に私の解釈が変わった事で、心から「ありがとう」の気持ちを持てて穏やかで優しい記憶に変わりました。

今は気持ち的にも距離的にも、遠い両親。

そして、両親ももう大分高齢です。

色々あって疎遠の状態が続いてる私達ですが、今後は私から距離をどんどん縮めていこうと思っています。

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