見出し画像

「私が離婚した訳」

皆さん、こんにちは!

今までに2回の離婚歴を持つ私ですが、

今回は最初の「離婚」の時のお話をさせて頂きます。

旦那さんとの出会い


私の一度目の結婚は22歳の時です。

結果的に、その時の結婚生活は2年も続きませんでした。

実はこの時結婚した旦那さんは、前回お話した「○○未遂を助けた話」の時に付き合ってた人と、別れた後に付き合った人。

私は当時勤めてたホテルで、それまでは主にフロント業務をしていました。


それが急遽営業部門の仕事をする事になり、

当時住んでいた東北から、長期出張で東京に半年ほど行く事に。

その出張先で、私が勤めてるホテルと取引があった

旅行会社の営業をしていた人が、のちに旦那さんとなります。

元々東北のホテルにいる時に、何度か営業でこちらに来ていた事があったため、顔見知りだった私達。

そんな私達が東京で再会し、仲が良くなるのに時間はかかりませんでした。


電話代はいくら?


彼との仲はあっという間に親密になり、

結果長期出張を終えた半年後、私達は結婚前提という形でお付き合いをしていました。

出張が終わったので、私は東北の会社の寮に帰ってきたわけですが、

遠距離恋愛になってしまった私達の、唯一の連絡手段が固定電話。

なので、仕事から帰ったら毎日何時間も電話をしていました。

ただ、電話の料金が私の負担にならないようにと、

帰宅したら、まずは私がワンコールして電話を切る。

すると、すぐに彼が電話を掛けてきてくれる、という流れ。

そうして、毎日眠くなるまでずっと電話は続きます。

毎日、毎日。

会えない分、ひたすら電話の毎日。

今になって思えば、どんだけ暇やねん、という感じですが

とにかく電話漬けの毎日でした。

その頃も今と変わらずな~んにも考えてなかった私は、
彼の方の電話代の事など一切考えないおバカさん。

結婚した後義理のお母さんから
「あの頃の電話代は月に10万を超えてて、みんな私が払ってたのよ」

と、苦笑いされました。

大金持ちの実家


これは付き合ってしばらくたってから知った事ですが、

彼の実家はなかなかのお金持ちでした。

実はご両親のお仕事に関しては結婚間近まで教えてくれなかったのですが、

実家は横浜で昔からの高級住宅地。

3階建ての一戸建てでした。

車はBM〇。

好きに乗っていいよ、との事。

そして、昼間は何故かご両親共揃って家にいました。

しかも彼が小さい頃は、家にお手伝いさんがいたとか。

とにかく、私が育った環境とはあまりにかけ離れ過ぎてて

彼の育った環境や、これからそんな家庭に自分が嫁ぐんだ

という現実味が、全く湧かない

そんな感じでした。


しかし話はトントン拍子に進み、私は仕事を辞めてついに横浜に引っ越す事に。

勤めていたホテルを寿退社しました。


彼が横浜から、私が住む東北まで迎えに来てくれる日。

私は会社の寮の、自分の荷物をまとめて外で待ってました。

快晴の気持ちのいい日。

BM〇で横浜から迎えに来てくれた彼。

笑顔で迎えに来てくれた彼のBM〇にいそいそと乗り込み、いざ横浜に向けて出発。

そして5時間ほど車に乗り、横浜に入る頃にはすでに夜。


首都高を走りながら見える夜景が余りにキレイで、夢見心地になった気分は

今でも鮮明に覚えています。

順調な滑り出し


横浜で彼との同棲生活が始まりました。

結婚式を数か月後に控え、私達の新居は新築マンション。

部屋探しから契約まで、全部彼が済ませてくれ

私達の新居は凄く綺麗なマンションでした。

彼の実家まで車で10分位。


又彼のおばあちゃんもご健在で、そちらのお家は車で20分程。

そのおばあちゃんにも、本当に可愛がってもらいました。

私の服をオーダーメイドしてくれたり、

なんと結婚式後は、おばあちゃんのお家の敷地が広いので、

その敷地内に私達が住む一戸建てを建ててくれる、との事。

しかもその建設費用は、全ておばあちゃんが出してくれる、という
何ともありがたい状況でした。


それから程なくして、結婚式の打ち合わせや

私達の新居の建設工事が始まります。


横浜に来てからというもの、夢のような毎日。


全てが順調過ぎて

ああ・・、運命の人って本当にいるんだな・・。

そんな感じで、あの頃の私の目は💛になっていたはず・・。


そして。


結婚式は新横浜駅前のホテルで盛大に執り行われました。


ちなみにこの時の結婚式の費用の方は

彼の両親が全て出してくれました。

我が子誕生


結婚式も無事に終わり、

新婚旅行はグアムに1週間。


何度も言いますが、私にとって本当に夢のような毎日でした。


そんな中、私は第一子を妊娠します。

旦那さんはもちろん、旦那さんの家族もみんな私の身体を一番に心配してくれました。

初産だった為出産時は時間がかかり、私の体力が限界・・

などという事がありましたが、それ以外は全て順調。


そして予定日より1週間遅れて、元気な男の子が産まれました。


義理母は孫にべったり。

又私が家事を出来るだけしなくていいように、

しょっちゅう晩御飯のおかずを作って持ってきてくれました。


そんな平穏で幸せな毎日に、

ある日、ちょっとしたひずみが生まれ始めます。


旦那さんは○○が大好き


元々結婚する前から、旦那さんがかなりの酒好きなのは知っていました。

付き合い始めてから一緒に飲みに行く事も多かったし、
結婚後も私達の自宅に彼の友達を呼んで、
飲み明かす事も多かったです。

でも

特にそれで何か困った事があった、という事はそれまでありませんでした。


ですが。


今まで何も無かったのは、ただの偶然だったのだろう。


そう思わざるを得ない出来事が、


実はこの後立て続けに起こり始めます。


ところで義両親の職業は?


ここで、

私自身結婚直前まで教えてもらえなかった、義両親が何の仕事をしていたのか

についてお話させて頂きます。


実は、義理両親は「雀荘」を経営してました。


「雀荘」というのは麻雀をやる所。


昔も今もその程度の知識しか持ち合わせていない私は

彼から「実は俺の両親は雀荘の経営者なんだ」

と聞かされた時も

「へえ・・」の一言。


でもって、何でそれを今まで頑なに教えてくれなかったのか、尋ねると

「いやあ・・何となく。雀荘やってるって聞いたら結婚してもらえないんじゃないか、と思って・・」

との事でした。


確かに後から思えば、両親揃って昼間は必ず家にいる、って事は

夜のお仕事だったから、という訳。


それに昼間訪ねると、そういえばいつもパジャマだったわ、

と、納得はしたものの、それ以外特に何も思いませんでした。


マジありえん・・。


そんなある日。

何の用事だったかは忘れましたが、午前中に旦那さんと一緒に彼の実家を訪ねました。

実家に着くと当然のように、いつものBM〇が停まっていたのですが、

車を見るなり

「ん!?」

と旦那さんがBM〇に駈け寄ります。

私も後に続き旦那さんの後ろから車を見てみると

何とBM〇の横の車体にガーっとこすったようなひどいキズ。

あらあら、と思いながら玄関のチャイムをピンポン。

するといつものようにパジャマ姿で、眠そうな顔をした義理母さんが出てきました。


「あのキズどうしたの?」

旦那さんが聞くと

「今朝雀荘から帰ってくる時に、駐車場の塀でこすった」

との事でした。

その後の言葉が衝撃。

「いや・・酔ってたからやっちゃったよ」


「・・・・・・・・・・・・。」


これ、もう時効だと思うからここに書いてますが、

マジでありえません。


実際にその話を聞いた当時も、

口にこそ出しませんでしたが、(マジありえん・・)と思いました。


そして


ああ、この人は飲酒運転とかを普通にする人なんだ・・


と、義理母にドン引きした事を覚えています。


そして更にドン引きした事が、それを聞いた時の旦那さんの態度。

「へえ・・」


「・・・・・・・・・・・・。」


「へえ・・」って


へえ・・じゃなくないっ!?


普通、親子だろうがそこ注意して怒る所じゃないの!?

この家族って、こういうの普通なの!?


今思えば、その時がこの家族に対する違和感を覚えた

一番最初の瞬間だったと思います。

勘違いじゃなかった、私の感じた違和感


その事をきっかけに、私の中の違和感が確信に変わる


色々な事が立て続けに起こります。


その頃我が家は先ほどお伝えした通り、

生まれたばかりの赤ちゃんがいました。


当然私は家でずっと赤ちゃんの世話をする毎日。


外で働く事はもちろん大変ですが、

一日中赤ちゃんの世話をするお母さんだって、本当に大変です。


そんな中でも、旦那さんは割としょっちゅう会社帰り、飲みに行ってました。


大の酒好きなのは元々知っていたし、あまりグチグチ言うのも良くないだろう

そう思っていたので、

いつも

「いいよ、いいよ」

と2つ返事をしていたのですが。


とある夜中。


その日も旦那さんは会社帰りそのまま飲みに行ってしまい、

私は赤ちゃんと一緒に、早々に眠っていました。


家の中がシンと静まり返った夜中。


突然、我が家の固定電話がけたたましく鳴り響きます。


ビックリして飛び起きる私。


同時に電話の音にビックリした赤ちゃんも泣き始めてしまいました。


ふと時計を見ると、夜中の3時。


隣を見ると、旦那さんはまだ帰ってきていません。


寝ぼけながら受話器を取ると、案の定ぐでんぐでんに酔っぱらってるであろう、旦那さんの声。


ろれつが回らない口調で、一方的に大声で何かを言ってますが

何を言ってるのかさっぱり分からない。


しかもこちらが何を聞いても、まともな返事は返ってこず正直埒があきません。

最初はこんな時間に相当酔っぱらってる様子に心配しましたが、
徐々にイライラしてきました。

「もう切るからね」

と半ばキレ気味に電話を切り、泣いてる赤ちゃんをあやします。


しばらくすると、私も赤ちゃんもウトウト・・。

そんな時。

又電話が鳴りました。


仕方なく受話器を取ると、又もろれつが回ってない旦那さんの大声。

今度は「もう切るから!!」と言ってすぐに電話を切りました。


その後も15分程の間隔で電話はかかってき続け、

結局その夜中の電話は計9回。


その電話の後、大分明るくなってきてから旦那さんは帰ってきましたが、
あんまり腹が立ちすぎて、数日口をきかなかった記憶があります。


その後旦那さんは怒る私に平謝りでしたが、

お酒が入ったら又同じ事をするだろうな・・、とその時思いました。


でも

これだけならまだいい方だったんです。


その事をこの後、私は思い知る事になります。

パトカーと一緒に帰宅


真夜中の連続電話事件があった数週間後。


朝から気持ちのいい快晴で、旦那さんが会社に行くのを見送った後、
私は赤ちゃんをおんぶして、ベランダで洗濯物を干していました。


ふと、遠くから原チャリの音が聞こえます。


気になって音の方を見て見ると、何と少し前に仕事に行ったはずの旦那さんが、原チャリで家に帰ってくる所。


しかも、その後からパトカーが何やら言いながらついてきてます。


何事!?と思い、

すぐに洗濯物を干すのをやめて、マンションの外に出ました。


すると、バツが悪そうにヘラヘラした笑いを浮かべながら

旦那さんがマンションの前で原チャリを停めます。


すると、その後ろにパトカーも停まり

イラっとした顔の警察官が車から降りてきました。


「あなた奥さん?」

と聞かれ

「・・はい。」と答えると


「ちょっとお宅の旦那さんさあ、原付で歩道走られちゃ困るよお。

しかもいくら言っても停まらないし」


「・・・・・・・・・・。」


返す言葉もなく、ただただ頭を下げる私。


そしてしばらく警察官の方にお小言をくらった後、

罰金の切符を切られ、私達は部屋に戻りました。


部屋に戻った私は、当然今の成り行きの原因を尋ねます。


「え、原チャリで歩道走ったの?」

「うん」

「なんで?」

「えっ、だって遅刻しそうなのにめっちゃ渋滞してたし、
歩道の方が空いてるから」


あっけらかんと悪びれずに言う旦那さんに、

私は言葉も出ませんでした。

続く悪夢

義理母さんの飲酒運転に続き、旦那さんの

正気とは思えない行動。


どうしても私の中の違和感がぬぐい切れない内に、

次の事件が勃発します。


その日もやはり天気のいい平日の午前中。


朝、旦那さんが出勤してしばらくたった位の事。


突然、家の電話が鳴りました。


出てみると、相手はさっき仕事に行くため家を出たはずの旦那さん。


一体何事か尋ねると


何と「車にはねられた」との事。

そして

「今から救急車に乗せられて病院に行くから」

と言うと、今から運んで頂く病院の名前を告げて電話が切られました。


私は血の気が引く思いがしましたが、取り合えず身支度を整えてタクシーを呼びました。


病院へ向かう途中のタクシーの中。


冷静に考えてみれば自分で電話出来る位だったら、少なくとも意識はあったという事。


そこまで心配しなくても大丈夫か・・。


いや、でも・・。

と頭の中がぐるぐるしている内に、病院に到着。


受付で名前を伝えるとすぐに病室を教えてもらえた為、
エレベーターに乗って旦那さんがいる部屋へ。


するとおそらく旦那さんに事情を聴いていたであろう、警察官の方と入口ですれ違いました。


特に声も掛けられなかった為、会釈だけして旦那さんが寝てるベッドへ。


すると顔が傷だらけになった旦那さんがいました。


どうして車にはねられたのか。


いきさつを尋ねた私は絶句。


なんと前回同様原チャリで通勤中、遅刻しそうで焦った旦那さん。


そのタイミングで運悪く信号が赤に。


(ここで停まったら電車の時間に間に合わない)


そう思った旦那さんは、


何と赤信号をGO。


そこを青信号で直進していた車にはねられた、との事だったのです。


ここまで来ると、私は掛ける言葉もありません。


幸い旦那さんのケガは、先程もお伝えした通り


顔が傷だらけになってたのと、前歯が1本折れた、というものでした。


「痛い、痛い」


と騒ぐ旦那さんを後目に

(自業自得だろ・・)


と思わざるを得ません。


そして


その時にふと思った事を今でもよく覚えています。


これから子供も大きくなっていくというのに、


この人は、こんな事をいつまでも繰り返すんじゃないだろか。


何より最悪なのは、自分が悪い事をしたからこうなった、

という意識が全く無い所。


私の中で、正直これは致命的だと思いました。

離婚を決めた決定打


車にはねられたと言っても大したケガではなかった為、

旦那さんはその日の内に帰宅出来ました。


顔が腫れていて傷だらけだった為、

仕事は数日休みましたが、すぐに復帰。


あ~、やっといつもの日常に戻ったか、と思った矢先。


夕方旦那さんから電話があり、

「今日も会社の人と飲んで帰るわ~」

との事。


そして

「今日はそんなに遅くならないから、駅まで迎えに来て欲しい」

と言われました。


遅くならない、と言われても正直何時になるかは読めません。


そこで義理母に電話して事情を説明し、


夕方位から赤ちゃんを預かってもらえるか尋ねました。


すると雀荘の方は義理父さんだけでも大丈夫だから、


いつでも連れておいで、との事。


なので、お言葉に甘えて夕方実家に赤ちゃんを預けに行きました。


そして

「そのまま駅に迎えにいくのに、BM〇使っていいよ」

との言葉に甘えて、車もお借りする事に。


それから一旦自分の家に戻り

旦那さんからの電話を待つ事にしました。


帰りが何時になるか分からない為、19時頃には1人夕食を済ませ、

電話を待つこと数時間。


22時頃にやっと電話がかかって来て、駅への到着時間が分かりました。


そして私は到着時間に駅に間に合うように

借りたBM〇に乗って駅へ。


駅前には丁度義両親の雀荘もある為、そこで借りてる駐車場に車を停め、

そこから後は数分歩いて駅の改札口へ向かいました。

そして程無くして電車が着き、改札口から赤ら顔の旦那さんが帰ってきます。

(顔は大分赤いけど、ちゃんと歩けてるか・・)

と思い、一安心。

そして改札口を抜けるなり

「トイレに行きたい」

とそのまま目の前の男子トイレに入って行きました。


そのままトイレの前でしばらく待っていると。

なんと男子トイレの入り口から転げるように倒れ出てくる男性。


それは何とうちの旦那さんでした。


しかもその後から見知ら中年男性もトイレから出て来たかと思うと

トイレの前でお互い胸ぐらをつかみ合った状態。


呆気にとられ何も出来なかった私でしたが、

恐らくその中年男性の知り合いであろう人もトイレから出てきて、

必死でその中年男性を押さえています。


それを見て私も我に帰り、あわてて旦那さんを止めに入りました。


お互いに2人を引き離しながら何とか距離を取れたタイミングで、
相手の人達が、先に駅を出ていきました。


私も(取り合えず旦那さんを家に連れて帰ろう)と思い

中年男性2人組が出て少し時間が経った後、旦那さんを抱えながら駅を出て駐車場へ。


怒りが治まらない旦那さんに何が起こったのかを聞くと、

またまた耳を疑う答えが返ってきました。


「だってこっちは漏れそうなのに、トイレめちゃくちゃ混んでてさあ。

だから並んでる所に横入りしたんだよ。

そんな事であいつ掴みかかってきやがって」


「・・・・・・・・・・・・・。」


もう今回こそは心底あきれて、何か言おうと思ってもどうしても言葉が出てきませんでした。

その後私達は何も言葉を交わす事もなく、駐車場に止めてあった車に乗り込みました。


そして家に帰ろうとし、私の運転で駐車場を出た瞬間。


私達を乗せた車が走る道路の少し先を、


何と先ほどの中年男性2人組が、千鳥足で道路をふらふらしながら横断していました。


一瞬、やべっ・・と心の中で思いましたが、

取り合えず気付かないふり。


でも旦那さんはあれだけ酔っていたにもかかわらず「あっ!!」と言い、すぐに気が付いてしまいました。


次の瞬間。


「あいつらひき殺せ!!」

と言ったかと思うと

助手席から私が運転しているハンドルに手をかけ

中年男性2人組に向けて思いっきり蛇行運転をし始めたのです。


(これはマジでヤバいっ!!)

と思った私は、渾身の力を込めて

ハンドルから旦那さんの手を引き離しました。

そして

「もういい加減にしてよっ!!💢」

と本気で怒鳴ると、さすがに旦那さんも静かになり、

その後私達は何もしゃべらないまま、帰路へと着いたのでした。

新しい解釈


「ひき殺せ!!」事件が決定打になり、

私は旦那さんとの離婚を決めました。


あの時最も強く感じた思いは、

自分の中の常識と旦那さん一家の常識のあまりの違い。


旦那さん一家には

「こんな事普通でしょ」

という事が、私には普通じゃない。


それに子供が大きくなっていくのに

旦那さん一家の常識は正直悪影響でしかない。


マジでありえない。


当時の私は溜まりにたまったストレスで、怒り心頭。


旦那さんの言い分には一切耳も貸さず、強引に離婚に踏み切りました。


今振り返るとあの当時の私は

「若かったなあ・・」の一言に尽きます。


もちろん自分が下した判断は、今も間違ってなかった!と胸を張って言えます。


でも今なら

子供もまだ1歳だし・・。


マイホームもただで建ててもらってるし・・。


実家、お金持ち出し・・。

な~んて

多少は迷いそうです。


でも


やっぱり「結論」は変わらないかなあ、と思います。


しかし当然人によっては

私のようなタイプは「堪え性」が無い、と思う人もいるだろうし、

子供の為には、絶対離婚しちゃだめだよ

っていう人もいるでしょう。


昔は、自分が幸せじゃなきゃ子供も幸せになれないじゃん!!


って考えだったので、自分がストレスを感じたら、即自分の世界からイヤな事は排除してました。


だけど


それこそ、あのまま結婚生活を我慢しながらでも続けていれば


旦那さんやその家族も、もしかしたら考えが変わってくれたかもしれません。


でも、それは時が経たなければ分からない。


縁あって結婚したんだから。


子供の為なら耐えられるでしょ。


そういう意見も、今は心から理解出来ます。


結局の所現在の私の解釈は、


正解も不正解もないんじゃないか、という事。


ようは自分が決めた答えを、自分がどう解釈するか。


それに尽きる気がします。


ポジティブにとらえるもネガティブにとらえるも


自分の自由。


だったら自分の気持ちが穏やかになれる解釈を、これからもしていきたい。


こんな結論に達した、今回の振り返りでした。

















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?