着物の記憶

祖母は大正15年生まれ、90歳で亡くなったが、私が思い出す祖母はいつも着物を着ていた。美人3姉妹と言われていたようで、亡くなる数年前の写真ですら「美しい」と感じさせる。

祖母は十勝から出てきた祖父と結婚し、商売を切り盛りしながら6人の子供を設けた。商売は上手くいったようで、庭には蔵があり、奥に続く部屋、住み込みさんがいる棟など、断片的に覚えている。
その後、建物はビルになり祖父母は閑静な住宅地に引越し同居ではなくなったが、私が中学の頃から、一人暮らしになった(祖父が他界)祖母と再び同居した。

小学校3年生以来、5年ぶりの同居は家業を継いだ忙しい両親に代わって、祖母が食事の支度をしてくれていた。仕出し屋の娘だったこともあり料理上手で、洋食こそ少なかったが昔ながらの日本の手作りの食生活を体験した時期だった。

普段の暮らし方も、思い出すと着物であそこまでよく動けたなと驚くことばかりだ。朝、寝巻き(もちろん浴衣の寝巻き)で顔を洗い、化粧をし、着替え、割烹着で朝ごはんの支度。掃除も庭仕事も、時には薪割りも!もんぺを履いてこなし、市場に行くときはモンペを脱ぎ、さっとショールや和装コートなどを羽織り、カゴを持って出かけていた。
夏の暑い時期はワンピースの様な物を着ていたが、それも、着物地から作ったようなもので、年間を通してほぼ着物だった。

一方、昭和11年生まれの母は165センチという大柄で目鼻立ちがはっきりした華やかな人だった。当時の女性がそうであったように、洋服が中心の生活だったが、入学式や卒業式は色無地に黒羽織と定番の出立ちだった。
嫁いでくる時にそれなりに着物を準備してきた母の和箪笥はマゼンダカラーや大柄な模様の羽織など、どんな場面で着たのかと想像がつかないものばかりだ。
5歳離れた弟は「お母さんは出かける時は女優みたいだった」と語っていた様に、背が高くウエストも細かったので洋服の方が決まっていたのだろう。

私はというと、着物を着る機会は七五三と成人式、短大の卒業式、たまにお正月に着せてもらう程度で、特に興味があった訳ではなかった。着物は苦しいし動き辛いし、特別な時に着る物という印象しかなかった。

私が結婚し数年経った頃、祖母が90歳で亡くなり、母も程なくして亡くなった。実家に残された箪笥の着物を出してみて量の多さに驚いたが私自身が着ることはないと思っていた為リサイクルショップに持ち込んでみたり(安い金額を提示され辞めたが)フリーマーケットで売ってみたり、解いて袋物にしたりと、処分することばかり考えていた。 
そんな私がある時から着物に魅せられてしまった。海外生活を送った経験もあり、日本人である事を認識させられた。更には環境活動の中で昔の人の着物活用がサスティナブルだと知り、着物の魅力にすっかり取りつかれてしまった。

今は寝ても覚めても着物のことばかりを考えている。

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