見出し画像

「にいちゃん」

はらださんの作品は暗くてどろどろとしている。
正直BLだからいいとかそんなことは考えてない。
なんなら百合の方が好きだ。
ゆいの考え方と人間の黒くて気持ちの悪いところが出ているのと迎合できない世界に対して完璧に腑に落ちていないからこそ起こる不安を感じるところがたまらねぇ。



にいちゃんが母親からラインをもらったときに憤怒とともにゆいに対して
「一緒に苦しんでくれなきゃ気が済まないよ」
といったのもある意味一つの依存のように見えて、相手に対して復讐のような念を募らせつつも相手がいないと自分もダメになるというある意味依存のような感じになっている。

にいちゃんの今までの行動は自分がされたことをゆいにすることで愛してもらえなかったおじさんへの愛を消化しようとしている
すべての行動は「誰かに愛されたい」という願望からなるものだった。

ゆいはにいちゃんからどんなことをされてもにいちゃんのことを愛している。他人が、社会が、決めた愛についての考え方に疑問を持っている。
まいとまいの父親の過去をしっていくことでにいちゃんがどうしてこういうことをしているのか、誰かに愛されたいという願望からなる行動であったことに気づく。だからその願望をかなえるために…。

ってかんじで、私は本当に抱いたシーンあたりからのゆいの思考が好きだ。
愛を理解してくれないものに対して自分たちが迎合するのではなく切り捨てちゃえばいい
一緒に苦しんでくれというにいちゃんのセリフに応えるかのように
「いくらでも一緒に苦しんであげるからお願い俺の愛を認めてよ」
っていうセリフ
多分にいちゃんは成人になっていく過程で社会と適合しなければならない必要性に気づいてこういう結論に陥ったんだけど、ゆいはまだ高校生。だから大人ほどに世界に対して無知だし何でもできると思っている。無知ゆえの強さってやつ。

そんで、にいちゃんはいまだに完璧に大人になるうえでのピースをすべて拾い集めたわけじゃないからまだ未熟な部分がある。だから後半のにいちゃん視点の時からの一人称が「ボク」なんだと思う
実家に帰って自己を顧みる一環としておじさんのもとに行くも、おじさんは兄ちゃんのことなんか忘れてたし、しかも「ふつうの」家庭を持っていた。

自分はそんな形の幸せを手に入れられなかった。
悔しさと愛していた人に忘れ去られたという悲しさ。
だからその瞬間ゆいの言葉を思い出してゆいの考えと同じところに行きつく。ゆいの元へと行く。


その後、ゆいと再会してゆいしかいないと証明した後の最後の2コマ

「もう逃げないって約束できる?」
「うん、もう絶対逃げないよ」←このコマ二人とも影のトーン貼られているの不穏すぎるだろ、しかもにいちゃんがゆいと再開した起承転結の起のときと同じセリフじゃねぇかよ。くらいくらいよ…………………。

あとがき以降彼らのその後の話が出てるんだけど、いままでにいちゃんが攻めだったのに受けになってるのエッチすぎるな。これくらいしかBL としていいとしか思ってない。

にいちゃんが薬と煙草に依存しているのはやはり今まで世間体に従っていたからで、ゆいのように切り捨てることができないから。でも、ゆいとは一緒にいたい。
ゆいは切り捨てればいい、というけれども、にいちゃんにあんなこと言っているけれども、実家に行くと現実に引き戻される。

にいちゃんといるという幸せをつかんだ。この二人の関係は「ふつう」の恋人たちのように多幸感にあふれているもののはずなのに現実はそうさせてくれない。だから最後の1ページ、煙草を吸いながら、錠剤を切り捨てながら「自分たちが間違っていない」と言い聞かせている。


これよ。これがいいんだわ。
二人の関係は二人の中では完璧なのに、外の世界が邪魔をしている。二人にしかわからない愛のカタチが本当にもどかしくて美しい。
私も簡単に世界を捨ててみたい。ゆいのセリフ読んでいると屋上から飛び降り自殺配信をした女子高生二人組を思い出すんだよなぁ。
まぁとりあえず私は「二人にしかわからない閉鎖的な愛」と「自分が迎合するくらいなら世界でもなんでも切り捨ててしまえばいい」っていうゆいの考え方が好きなんだよ馬鹿野郎。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?